Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(2)

 Deskitをあとにして車はさらに奥へ進む。次の目的地はHundarという村だ。Deskitを越えるとうねうねと波打つ真っ白な砂丘が広がっている。この砂丘フタコブラクダに乗って歩き回れるキャメルサファリを楽しむことができるが、この日は行わず、最終日に乗る予定だ。

Hundar

Deskitの北西約8㎞。村の奥の道路に面したところにお堂があり、ここには像が祀られているということだったが、カギを持った人が見つからず。ただお堂はガラスが割れていたり、ほとんど管理されているように見えなかった。ガラス越しに見る限り、特になにか壁画なども見えず、荒れ果てた雰囲気だった。道路を挟んだ岩山には砦跡とお堂があったが、管理人が見つからない状態で登っても仕方がないと思い、この日は引き返すことにした。それにしてもこの辺りは通りがかる人も少ない。このお堂のすぐ先に架かっている橋は以前までチェックポストがあり、外国人はこの先に行けなかったらしい。

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この先を行くとTurtukというパキスタンとの国境に近い村へ行けるのだが、この日はHundarで引き返す。車から見たHundarは道沿いにはこれといったものもなく、道路から外れたところに大きな集落がみられるようなところだった。集落にはテントが多く見られ、旅行者の宿泊先になっているらしい。旅行者には居心地のいい村と聞いていたが、通り過ぎるだけだとその魅力はわからなかった。自分は2泊3日のスケジュールでNubraを手配したが、1泊しかできないのであれば、HundarかDeskitで宿泊するしかなく、旅行者は私が宿泊するような村に行かないのならそう感じるのかもしれない。

Karsalの先にある分岐点で今度は右側に車は進路をとりPanamicに向かう。ここは温泉が湧き出ているというのだ。宿泊予定(あくまでも予定)のSumurを過ぎ、車はひたすらPanamicを目指す。けっこうな時間になっており、果たしてPanamicまで行ってこのSumurまで戻って来られるか、かなり不安になっていた。

Panamic

温泉が湧き出ていることから旅行者に人気があるらしいが……まずは温泉へ向かったが、日本人の想像するような温泉ではない。小屋の中にある小さなプールのような湯船?があるが、お湯はほとんど入っておらず、温泉につかるなんてことはできない。ただ、シャワー室のようなスペースがあり、そこでひと浴びすることにした。実はラダックに入っていちどもシャワーを浴びていなかったのだ……中の様子を見て浴びることを決めてから、シャンプーなどの入ったバッグを車まで取りに行き、再び小屋に戻る。ドライバーも浴びるらしく、一緒にカバンから必要なものを取り出していた。実際にはシャワーもなく、蛇口から出るお湯をバケツに入れて、水と合わせて温度を調整。それを頭からかける……このくり返しだ。お湯は意外にも熱湯といっていいほど熱かった。湯冷めしないといいなと思いつつ、約1週間ぶりに浴びたお湯は気持ちいいものだった。服を着ていると、インド人の観光客がやってきた。インド人にはなぜか受けている奇妙なスポットだった。

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Panamicの村を適当に走らせてもらったが、ここも住人の姿はほとんど見ることがなかった。遠くで農作業をしているか、放牧に出かけているのだろうか。それにしてもそろそろ日も陰ってきたのに……車は今日の宿泊予定地Sumurへ向かった。代理店の方からいただいているスケジュール表には宿泊地Sumurとある。このSumur、実はTegarという村と隣接している。Panamicから向かうとTegarのほうが手前に位置する。ドライバーは「今日どこ泊まる?」といので「どこでもいいから早く泊まるところ決めようぜ」と答えるとドライバーはGuest Houseの看板を見て「あそこ、行ってみる?」という。看板にはTegarと書いてある。このときすでに18時半近くになっていた。どこでもいいから一度横になりたかったので、そこでいいと答える。Guest Houseに行くと、ラダックではあまり見かけないThis is Indiaといった男性が部屋を見せてくれ、値段も予算内だったのでここに決める。この村には食堂もないので、Guest Houseで食事を作ってもらうことになった。するとこの男性が今から材料を買いに?行くと外へ出て行った。18時半を過ぎたが、外はまだ明るい。このころ、日の入りは19時半ころだったと思う。少し横になったあと、村を散歩してみた。村といっても走ってきた道くらいしか歩いて行けそうなところはなく、通りすがりの子供の写真を撮るくらいしかすることはなかった。退屈なところだなあ~と思いながら歩いているとある看板が目に入った。「Cultural Show」とあるその看板には7:30-9:00Pmまでなにかやるということが記してあった。すでに準備を始めているのか、中から打楽器の音が聞こえてきた。Guest Houseに戻りドライバーにこのことを話すと買い出しから帰ってきていた従業員、実は英語が全く(数字でさえ!)理解できずドライバーを介さないと会話が成り立たないのだ、に聞いてくれた。この地では現金収入が少ないこともあり、村おこしの一環で村の女性が伝統衣装を身に着けてダンスを披露してくれるらしい。9:00までとなっているが、旅行者がいる限りShowを見せてくれるから、先に食事を食べて行けという。すでに7:30近くなっているが、そういわれると従わざるを得ない。従業員の男はキッチンでなにか作りはじめていた。いつ終わるか、気が気でないまま時間は過ぎていく。ドライバーに先に見に行ってから食事しない?というが、ドライバーはいやすぐできるっていうから待とうよというばかり。8:00を過ぎたあたりで少し大きな(怒りを込めた)声でドライバーを話していると、別の男性がドライバーに声をかけてきた。どうやらこのGuest Houseのオーナーらしい。オーナーはドライバーから話を聞くと、従業員にかなりきつい声でなにかいい始めた。結局食事ができたのは8:30過ぎ。急いで口に運んだのだが、これが悔しいほど美味しいのだ。だが気分を害していた私はこのときの食事の写真を撮っていなかった。スープが前菜でカレーのようなものと美味しいチャパティ+ライスだったような気がする。とにかくレー以外で食べた食事で最も美味しかったことだけは記憶に強く残っている。ラダックは自分のイメージするようなインドではなかったのだが、このGuest Houseにいる間はまさにインドにいるような感覚だった。食事を終えて会場に行こうとすると、オーナーが車で連れて行ってくれるという。まあ歩いても2分程度だったと思うが、さすがにこの時間は外も真っ暗で、歩いて行くのはちょっと怖かったので助かった。ドライバーと一緒に会場へ着くと、なにやら歓声が上がって盛り上がっていた。2,30人のインド人グループの女性が、この地の伝統衣装を身に着け、音楽に合わせて踊っていたのであった。男性陣も写真撮影などして大盛り上がり。そのうちみんなで踊り始め、お前も踊れーとインド人に言われ、よくわからないまま体が動いていた。突然音楽が止むと、じゃあねーとインド人旅行者は帰っていった。どうやら9:00を過ぎたようだ。あーあ、もうちょっと見たかったなあ、と思いながらインド人のあとに続き会場をあとにしようとすると、オーナーが「もう少し待て。今からダンスを披露するから」という。座って待っていると生演奏が始まり、村の女性たちが伝統衣装を身にまとい、伝統的な踊りを披露してくれた。どうやらオーナーが話をしてくれたらしい。2分程度のものだが、観客は私とGuest Houseのオーナー、ドライバーの3人だけ。ぜいたくなひとときであった。多少のお金をおき、音楽を奏でていた子供たちに飴を渡して、会場をあとにした。

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レーに戻ってから、代理店の方に「TegarではなくSumurに泊まることにしていたのはなにか理由があったのか」尋ねてみたが、特に理由はなく、Sumurのほうが大きいから泊まるところが見つかりやすいと思ったからだったそうだ。もし予定通りSumurに泊まっていたら、このショーは見られなかったかもしれない。Guest Houseの従業員の振る舞いに腹を立てつつも、食事の美味しさやショーが見られたことを思うと、ここに泊まってよかったのか、判断に苦しむところでもあった。

ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(1)

PhyangからLeh に戻りそのまま旅行代理店へ。代理店の方と訪問した先々での話をしつつ、明日からヌブラ渓谷へ行くツアーを正式に手配した。このエリアに外国人が入域するときは、インナーラインパーミットと呼ばれる許可証が必要だ。個人では取れないため、事前に旅行代理店の方に取得をしていただいていた。旅行代理店の方が組むルートは比較的時間に余裕があると思い、出発を1時間ほど遅らせて8時でお願いした。一度宿に戻って一休みしてから夕食へ。街を歩いても、出発前よりも息使いが落ち着いている。この2泊3日のルートはLehと比べてもそれほど高い土地を訪れていない。少なくても初日と比べると、かなり楽になっている。

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Nubra Valleyは標高5620m(公称)のKharudung Laを越えたところにある渓谷地帯。Shayok RiverとNubra Riverがもたらす豊かな水により、緑に恵まれたオアシスが形成された土地だ。また訪問予定地のTurtukという村は、2010年に外国人の入域が許可された村。1973年までパキスタン領だったそうだ。移動ルートは一気に高度が上がるので不安だったが、高いところはKharudung Laのみ、宿泊先も3000m前後なので、下ラダックのときと大して変わらなさそうだ。

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08:00Guest Houseで朝食をとってからゆっくりと出発。ドライバーも同じグショックさん。Lehの街は意外と狭く、少し走るとすぐに山を登り始める。道は車がすれ違うのがやっとの狭さ。左は崖、右は谷。対向車とすれ違うたびにスピードを落とし、慎重にすれ違う。ドライバーは慣れているようだが、いつもヒヤヒヤする。山道なので、スリナガルへ行く道とは雲泥の差。それでも舗装されている間はよかったが……。しばらくしてドライバーが山のほうを指さして「あれがKharudung Laだ」と教えてくれた。「うーん……雪が多いなあ」とぼやいたような気がする。景色のいいところで観光客が記念撮影しているので、我々も車を降りて一枚。しばらくしてチェックポスト(South Pull)があり、ドライバーがインナーラインパーミッションを見せに事務所へ行く。かなり高度が上がっているが、車に乗っているだけだからか、それほど息苦しさも頭痛も感じられない。

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その後、山を登るにつれ舗装の具合がひどくなってきた。また高度が上がるにつれ路上に雪が残るようになり、雪の上を走るようになってきた。しかし軍用道路でもありNubraに住む人々にとっては貴重な補給路でもあることからか、どんなに高いところでも除雪作業を行うワーカーがいるのに驚く。そのほとんどが手作業。まさに人海戦術だ。車が通るたびに手を振ったりするワーカーも多い。こんな高地であのような肉体労働をする人間に事欠かない国……インドの国力を見せつけられた気がする。10:00前にKharudung Laに到着。意外と早く着いた気がした。早速記念撮影だ。インド人を中心に多くの観光客が記念撮影を行っている。峠の周りを少し歩いても、多少の息の乱れはあるものの、頭痛は感じられない。高度順応できてきたのかもしれない。

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これまでは登りだったが、これからはずっと下りに入る。路面が雪で滑りやすいのか、運転手は上りのとき以上に慎重でに運転しスピードが出ない。我が車だけでなくほかの車もスピードが出せず、道は渋滞となっていった。また道が狭いため、ときどきカーブを曲がり切れない車もあった。するとすぐに後ろが詰まってしまう。ドライバーの力量が問われる道であるようだ。二度目のチェックポスト(North Pull)があり、ドライバーはパーミッションを見せに行く。やはりこの地は国境が近く、微妙な土地であることに気づかされる。さらに走り続けるとKhalsar(3140m)に到着。ここまで来ればもうこれまでのような下り道はないようだ。路上の雪もなくなっており、ドライバーもほっと一息、ひと休みだ。もしなにか買うのであれば、ここで済ませてくださいとのことだった。水は多めに買ってあるので、今回はバナナのみ。ちなみに1本10IRP(17,8円くらい?)。このバナナさえ、数週間前まで手に入らなかったそうだ。Khalsarを過ぎしばらく走ると、分岐点があった。まずは左、Deskit方面へ向かう。荒涼とした道を走り、Deskitに到着。ここはNubraの中心地でもあり、かなり大きな村だ。まずはDeskit Gompaへ向かう。このGompaも岩山の上に建てられているが、車道が通じているのは幸いだ。ドライバーと別れGompaの真下からお堂へ歩いて向かうと、道に迷ってしまったらしい。迷ってしまったところは垂直に切れ落ちた断崖が望め、タルチョ(祈りの旗)がかかっているのを見ることができた。あとから上がってきたドライバーに案内されてお堂を見学。Gompaの壁画にはそろそろ飽きが来ているようで、写真も撮っていなかったようだ。その後、お堂の向かいにある小高い丘の上にある像を見に行く。こちらは修復中だった。7月にダライ・ラマが訪問されているので、その準備だったかもしれない。ここから見るDiskit Gompaはなかなかのものだった。このころからGompaそのものより、景色のほうが強く印象に残るようになり、仏教美術には関心が薄れていった。

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ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(4)

朝食は今日もチャパティと卵焼き。Home Stayに限らずこの地ではこれが定番のようだ。

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この日はLehに戻りながらいくつかのGompaを周る予定。8時過ぎにGuest Houseを出発した。このときはまさかもう一度世話になるとは思いもしなかったが……

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Lamayuruの街を少し離れたところにあるMoon Landといわれる異様な形をした黄褐色の岩肌の山々を見ながら、車はWanla Gompaへ向かう。

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Wanla Gompa

村の中心にある岩山の上に建つGompa。この地のGompaはどこも山の上にある。入り口に着くと僧が一人髭を剃っていた。ドライバーが交渉してお堂を開けてもらう。Alchiに似た構造のお堂に千種観音などが祀られている。壁画も痛みが激しいがまだ見られる程度に残っていた。山の上からの景色もいいのだが、若い僧の態度が感じ悪く、長居したくなかったので早々に引き上げる。Lamayuruからそれほど遠くない地にもかかわらず、ひとりで任されているのは苦痛なのだろうか。お堂のカギを開けると案内することもなくすぐに消え、お堂以外を見学して再び戻るとカギがかかっていた。またほかにもいくつかお堂があったが、現在公開しているのはここだけということで、ひとつしか見学できなかったのは本当に残念だった。Sukurpchanとは大きな違いだ。

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Lamayuruから来た道を戻り、再び街道に出て、次の目的地Saspolへ向かう。

Saspol

村の北側にある洞窟の中に壁画が残されている。「旅行人ウルトラガイドブック「ラダック」」によると、洞窟は全部で五つあるらしいが、ほとんど崩壊しているようで残っているのは唯一扉が残っている洞窟のみらしい。洞窟といっても山を登ったところにあるため、車を途中で止めて、ドライバーと一緒に登っていった。我がドライバーは、この唯一扉が残っている洞窟以外行ったことがないということで行かなかったが、戻ってからネットやガイドブック(前述した「ラダック」はザンスカールへ行く前に旅行代理店の方から借りたもので、この時は手元になかった。なお、古本市場でも見かけないので、ラダックに行こうと考えている人は見つけたら即買いである)を見ても、ドライバーの言うとおりだと思う。個人的にはAlchiより壁画の印象が強く残っている。どうやら自分は洞窟寺院というのが好きらしい。

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洞窟寺院を見終え山を下りる。すると村人が集まってなにやら集会のようなものを行っていた。ちょっと覗くと、座って食事をしているようにしか見えないが、人々はなにか楽しそう。結局ここでも紙パックのジュースをいただいてしまい恐縮してしまう。Sukurupchanと似たような集会と思うが、こちらは日中だったせいか、アルコールは回っていなかった様子。

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再び街道に戻り、次の目的地Likirへ向かった。

Likir Gompa

街道から外れて一本道を5kmほど進んだところにある。村の奥に位置する。かなり大きなGompaではあるが、ほとんど印象に残っていない。境内にある巨大な像があったことくらい。

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さらに東へ向かいPhyangへ。

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ここはPhyang Gompaの前に村の奥にあるGuru Lhakhangへも足を運んだ。

Guru Lhakhang

村の東外れにある山の中腹にある小さなお堂。まずはカギを持っている村人を探し、家を訪ねる。ドライバーが食事誘われているけどどう?というので茶だけならということで家を訪問。だが茶だけで済むわけなく、やはり食事を出された。素朴なチャーハンのようなもの。ドライバーと村人がなにか話しているが、よくわからない。ここでなんとかぶせてあった歯が取れてしまったのだ!この歯、1年かけて一度治したのだけど、最後のチェックの際に問題が発覚してやり治した歯。結局2年越しで今年の2月にようやく治療が完了したばかりだった。この間約2年……取れた歯を財布に入れておく。タイに戻ってから被せ治してもらった。

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食事を終え、カギを持っている管理人とともに山を登る。SaspolといいこのGuru Lhakhangといい、とにかく登ってばかりの1日だったが、ここもSaspol同様、素晴らしい壁画が残っていた。赤を基調とした色鮮やかな壁画は希少なもの。保存状態があまりよくない上に、修復されることもないと思われるので、こちらも早めに見に行ったほうがよさそうだ。

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Phyang Gompa

Likir Gompa同様かなり大きなGompaだが、僧はほとんどおらず。特に印象は残っていない。

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メモの一部を紛失してしまっており、その時々の心情をあまり描写できませんが、思いつくままに書き綴っています。

 

※ 9月19日日本のテレビでこのPhyangが登場。なつかしい風景を見ることができました。Guru Lhakhangも映っていましたが、かなり修復されているようです。よかったのかどうか(どこまで復元されているのか?)なんとも言い難いですが。

ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(3)

Ladakhに入って初めてのHome Stay。Home Stayも大きく2つに分けられ、ひとつは最初からHome Stayを生業にしているところ、もうひとつは特に生業にしていないが、宿泊希望者がいれば受けつけるところがあるらしい。Skurbuchanは観光客が泊まるような村ではなく(その後回った村と比べるとかなり大きく感じたが)、HotelはもちろんのことGuest HouseやHome Stayを生業にしているところもないらしい。だからドライバーも宿を探すのに時間がかかったに違いない。部屋は石の上にゴザのようなものを敷かれており、さらに座布団のようなものを並べてあった。毛布は部屋の端に重なっており、好きに使ってくれとのことだった。代理店の方が寝袋を用意してくれたので部屋に持ち込んだが、使う必要はなかった、ダウンジャケットを着て毛布を掛けて寝ると寒さは感じなかった。

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初めてのHome Stay先での朝食。チャパティと卵料理。チャパティにはジャムが添えられていたが、外国人用だろう。チャパティは小麦の全粒粉と塩を混ぜて出来上がった生地を焼いたもの。味が薄くあまり好きではないが、この地ではこれが多い。今回の旅行中数か所でHome Stayをしたが、滞在先によって異なる味を楽しめた。

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08:00過ぎに荷物をまとめて出発。車は西へと進んだ。これまでと比べると道は少し悪くなってきたが、走るのが困難というほどではない。しばらく走ると緑が増えてくる。花の民と呼ばれるドクパが住むダー・ハヌーエリアに入る。特に観光名所はないが、周囲と比べて緑が多い。幹線道路を外れ、Dahへ入る道で放牧の群れに道を塞がれた。この後、なんども遭遇することだが、この時が初めて。しかもここは道が狭いこともあり、迫力を感じる。

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一般的にドクパは花の民と呼ばれることが多いが、これは宗教儀式の際に頭に花を乗せることから呼ばれていると思われる。普段はほかの民と変わらない服を身に着けている。顔立ちは彫りが深く、ラダック人とは少し違うようだ。ガイドブックや旅行代理店にあるような写真は、儀式のときしか見られないと思ったほうがいい。ただ、この地は緑が豊富で、畑でなにか作物を作っていたし、村中にアプリコットの木も植えられている。幹線道路を外れてから100m以上登ったはずだが川の水もあり、乾いた土地の中に突然現れた桃源郷のような村だった。行ったことのないフンザ(パキスタン)がこんな感じかな、とふと思った。

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Gompaは無人で鍵がかかっており、村人を呼ぶ必要があったが、どうも出かけているらしくかなりの時間を待たされた。中には千手観音が祀られていた。Gompaを見たあと村を歩く。Sukurubuchanほど大きくないこじんまりとした村だ。子供を見かけない。学校へ行ってるのだろうが、この日のルート上、学校らしいものは見かけなかった。さらに奥のほうにあったのかもしれない。

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Dahを離れ、元の道を戻りLamayuruへ向かう。途中、メインの街道を外れSanjak Valleyと呼ばれる道に入る。街道沿いの村々にはモスクがあり、イスラム色が強まってくる。歩いている人々の顔つきも違う。ちょっと単調な道だったのでうとうとしているうちにKargilとLehを結ぶ道路に入っていた。いくつかの軍事基地を通り過ぎFotu La(4090m)を越えてLamayuruに入る。今回の2泊3日ではこのFoto Laが一番高いところだ。代理店の方が下ラダックは一番高所順応に適しているというのはこういうことだろう。

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Lamayuruに到着。下ラダックで訪れる観光客が最も多い村だろう。Moon Land=月の世界とも呼ばれる異様な形をした岩肌に囲まれている。Gompaの前で車を止め、入館料を払い中に入った。本堂の外の壁画は新しい。また本堂の中に入って右側には石窟につながる小窓があり、奥に像が飾られている。このGompaは内部よりも外観のほうが見ごたえがあるような気がする。観光客はほとんどインド人で白人やその他アジア系はほとんどいなかった。インド人の多くは仏教徒ではなく、Gompaでの態度も決していいものではない。とにかく騒がしい。英語での注意書きなど無視だ。騒がしくなるたびに少年僧が注意を促すが、すぐに騒ぎ出す。今回回ったGompaでは最も観光客が多いとともに、最もマナーの悪い観光客だらけのGompaだった。少年僧に同情したくなったくらいだ。ガイドブックに村へ降りる途中にあるセンゲガンというお堂にはきれいな壁画と像仏像があると書いてあったので探してみたが、見つからなかった。探しているうちに雨が降り始め、本堂に戻って雨宿りだ。インド人旅行者の多くは雨の中車に戻っていった。しばらく本堂で雨が止むのを待つ。先ほどまでインド人に注意を促していた少年僧もひと休みだ。本堂の上のほうでお経が聞こえ始めた。雨が弱まった合間を縫って、移動する。このお堂では年配の僧が中心となって、お経が唱えられていた。中に入って少年僧が座っている横に座ってお経を一緒に聞いていた。インド人旅行者が中を覗き、私に写真を撮っていいかと聞いてくる。服装が全然違って僧ではないことはわかるはずだが、こうして聞いてくるのはインド人らしい。撮影禁止の表示は出ていたが、彼らは関係なく中に入って一回りし写真を撮っていく。やはり宗教が違うとこうも感覚が違うのだなあと実感。僧は一心不乱にお経を唱えているが、内心うっとうしいに違いない。お経の合間に流れる打楽器や管楽器の音が心地よい。いかにもチベットだなあと思ったひとときだ。1時間もしたころ、少年僧がバター茶を持ってきてくれた。ありがたいことである。お経をまだ唱えられない少年僧が10人くらい座って聞いていたが、彼らは私に視線を投げかけてきた。こんなに長い時間座り続ける観光客は多くないのだろう。バター茶がなくなるとすぐに注ぎ足してくれる。結局2時間半ほどお経を聞いてからGompaをあとにした。

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ドライバーは笑いながらいったいなにをしていたんだ?と尋ねてくる。今日はこのLamayuruで泊まるだけだから時間に余裕があったからずっと見てたんだよ、とだけ答える。この日もHome StayでSingay Home stay and Resturantというところに荷を置いた。ここはHome Stayを生業にしているところで、ベッドのある部屋に案内された。夕食を食べ終えるとすることはない。電気は通じているがwifiはダウンしているとのこと。ダメもとで挑戦すると、なんと奇跡的に繋がった。急いでメールを送って30分ほど友人とチャットしていると突然電気が消えた。もちろんwifiもダウン。ラダック/ザンスカールで唯一ネットがつながった瞬間だったが、まさかこのときはそんなことを思いもしなかった。

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ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(2)

再び街道に戻る。車は西に進み、カルツェという宿場町で休憩。なにか買い物をするのであればここでするように、このあとまともな店はないですよ、という代理店の方の話もあり、バナナと水を購入。ドライバーもなんか食べて行けという。陸路移動のときはできるだけ食事をしないという考えを持っている。だが、今回はこのあとなにが食べられるかわからないという恐怖心のようなもののほうが上回り、レストランでカレーを食べることにした若干戦ったが美味しいカレーが出てきた。この2泊3日では一番のごちそうだった。

街の外れにチェックポイントがあった。この先の分岐点、私が行く道はパーミッションがないと通れない。もちろん事前にとってあるので、それを見せに事務所のようなところへ運転手が行った。しばらく走ると広大な空き地にコンテナがいくつも並んでいた。前年に倒産した韓国の会社のものだ。その数50から100。タイで仕事をしていたとき、コンテナを扱う仕事をしていたので、気になってしまう。インドの港から運ばれているのだろうが、冬の間、港のあるところからここまでの道は閉鎖されているはず。いったいどうやって?なんの目的でここに?疑問は尽きないが、もう関係ないので、あまり深く考えないようにする。

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しばらくして今日の宿泊地、Sukrbuchanに到着。この地ではホテルはなく、HomeStayをすることになっているので、Stay先をドライバーが探している。正直この辺の交渉はよくわからない。このコースをアレンジするとき、多くの旅行者はもう少し先のDah(翌日訪問する)で宿泊することが多いそうだ。だが、代理店の方は「Pさんはあまり人が行かないところのほうがお好きなようですので、こちらのほうがいいのでは?」とSukrbuchanを勧めてくれたので、ドライバーもあまり知らない村だったと思う。ただ言葉は通じるので、なんにんかと話した後、この村での宿泊地を確保できた。

荷を置いた後、「ゴンパ行く?それとも明日の朝にする?」とドライバーに尋ねられたので、山の上に建つゴンパまで歩いて行くことにする。このとき17時過ぎ。暗くなると嫌だなあーと思いつつ、宿泊先を出てゴンパへ向かった。

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村人とすれ違うたびに「ジュレー」と声をかけられる。ジュレーとはネパールでいうナマステのようなもので、いつでも使える便利な挨拶だ。山の上にあるといっても、Rizongと違い、村の中を歩いて行く道のりだ。ゴンパからお経が聞こえてくる。マイクを使っているので、村まで届いているのだ。ゴンパに着くと、下男と思われる人から、寄っていけと声をかけられる。最初はバター茶だったが、すぐに食事を勧められる。ドライバーも食べていくというので一緒にいただく。ごはんと豆の煮込み、そして卵。質素な食事だ。お祈りをしている僧とは別の僧がひとり、ドライバーとずっと話していた。小僧もひとり、なにかに色を塗っている。しばらくすると、お経を唱えていた僧が戻り、僧院を案内してもらった。この案内してくれた僧というのが、タイ人の知り合いにそっくりで、親しみを感じる。ここの壁画はかなり新しく、また少しエロスを感じるものが多かった。さらに博物館と称して、古い食器などが岩をくり貫いた洞窟のようなスペースに展示されている。あまり有名ではないが、実はけっこう裕福な僧院のようだ。その後、いくつものゴンパを回ったが、ここがいちばん僧にていねいに案内してもらえたような気がする。この時はそう思わなかったけど……

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そろそろ暗くなるからと、ゴンパをあとにした。村まで降りると、どこからか村人が道路に集まって座り込んでいる。その数、100人以上……いったいなにがあったのか?ドライバーに聞いても要領を得ず、まあ、お前らもそこに座れや、と村人に言われるがままに座っていた。すると、チャイを飲めとコップを渡されチャイが注がれ、飲み干すとすぐに別の村人が注ごうとする。そのうち今度はアルコールだ。アルコールは全く受け付けないので断固として拒否。ドライバーも必死に断っていた。あとで聞くと、かなり強い酒だったらしい。そのうち、だれからともなくうたが歌い始められ、みなで合唱がはじまった。その間もチャイや酒がふるまわれ、おなかが膨れてしまった。紙パックのジュースが出席者にふるまわれ、私やドライバーにも回ってきた。そろそろ暗くなってきたので部屋に帰ろうとドライバーに告げる。ドライバーもちょっとこの雰囲気にはついていけなくなってきたようだった。部屋に戻るとドライバーが「食事、何時ころがいい?」と尋ねる。いや、さっき僧院で食べたじゃん、おなかいっぱいでなにも食べられないよ、それより早く寝させてくれ、もう疲れた、という気分だったので、そのように告げるとなぜか驚いている。さっき、お代わりするくらい食べていたのだれだよ…ということばを飲み込み、この日はこのまま寝てしまった。

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ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(1)

07:00、Guest Houseに車が迎えに来てくれた。ドライバーはグショックさんという30代半ばの男性だ。挨拶を交わし、さっそく出発。レー市内を出ても道がいい。この道はスリナガルまで通じている軍事道路ともいえるからだろう。非常時には戦車が走り、場合によっては戦闘機が離発着することも考えられる。車も整備されており、走っていて不快ではない。ネパールとの国力を感じさせてくれた。あまり英語はできませんが…と代理店の方がいう通り、ドライバーはあまり話しかけてこない。のちにザンスカールへ一緒に行ったドライバーは陽気な男(ムスリム)だったが、彼はこちらから話しかけないとあまり話をしてこないタイプだった。それでも時間が経つといろいろと話しかけてくれた。

最初に声をかけられたのはインダス川ザンスカール川の合流地点。水の色が微妙に異なる。どうやら撮影スポットらしく、写真撮ろうか?といわれたが、とりあえず合流地点の写真のみ。その後、インダス川沿いに車は走り、最初の目的地Alchiに到着した。

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Alchi Choskhor Gompa

ラダックザンスカールだけではなく、チベット文化圏でも1,2を争うほどの仏教美術の宝庫として知られるゴンパ。スムチェクと呼ばれるお堂の中に入ると、内部には細密画が描かれている。残念ながら撮影禁止。ただ、一瞬息が止まるような美しさであったことは間違いない。保存状態は決していいとはいえず(のちに他の僧院に行ったときと比べるとかなりましだったが)、見られるうちに見ておくほうがいいと思う。

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Tshatshapuri

Alchi Choskhor Gompa からさらに歩くこと数分。途中小川を渡ったが、橋は工事中。行きは工事をしている脇を通ったが、帰りは川の上を石伝いに飛んで渡った。パッと見た感じただの建物にしか見えないが、無人の僧院らしい。近くの住人を呼んでカギを開けてもらう。内部は赤を基調とした曼荼羅などが描かれていたが、傷みが激しく修復もままならない状態のようだ。

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次の目的地Mangyuに向かう。車はインダス川沿いにさらに奥へ進む。幹線道路から離れているので、石の上を走る感じ。それでもネパールでジョムソンまで車で行ったときのことを思うと楽勝な道だ。

 

Mangyu Gompa

Alchiほど有名ではないが、ここも見ごたえのある壁画が残っているとのことだった。ここも住人を呼んでカギを開けてもらい中に入ると、やはり損傷が激しかった。3つほどあるお堂を回っているとき、ダウンジャケットにくぎを刺してしまい穴が開いてしまった。ダウンが抜けてしまい、こちらのショックのほうが大きかった……

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幹線通りに戻り、次の目的地Rizongへ向かう。

 

Rizong Gompa

藤原新也の「全東洋街道」にも出てくる有名なGompa。ウレトクポという街で道路を外れ、ひたすら山道を登っていくが、途中住居はない。いかにも修行の場という感じだ。実際、かなり厳しい戒律の寺院として知られているそうだ。麓に少年僧が学ぶ学校がある。

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院のあるほうへ登っていくとかなり規模の大きいGompaであることがわかる。いくつもの建物が山の傾斜に沿って建ち並んでいる。ドライバーのあとをついていく。特記するような壁画はないが、歩いていてやはり雰囲気が違うのだ。Alchiがかなり世俗的であるのに対し、ここは宗教色が強いまさに「気」のようなものを感じられた。ひと通り回ると、僧の一人がお茶でも飲んでいきなさいというので、お言葉に甘えてミルクティーを一杯。お代わりを勧められ、このあとはバター茶。最初はいいがこのあとこのバター茶攻撃には悩まされ続けた。なお、ここにムスリムは入れないそうだ。

 

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バター茶を飲み干して、移動開始。幹線道路からこのGompaまで約5㎞。車がなんとかすれ違える程度の道幅、なんどもヘアピンカーブを曲がり、ちょっと間違えればがけ下へ落ちる道……当然公共の輸送機関はなく、たいていの旅行者は車をチャーターするが、まれに歩いて訪ねる旅行者もいるようだ(藤原新也もそうだ)。

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ラダック旅行記 Part 2 レー

Jigmet Guest Houseに荷をおくと、寝不足のためか、いつの間にか横になっていた。デリーまでのフライトこそ多少は眠れたが、入国後は一睡もしていない。小一時間ほど経ったころに目が覚めて、以前メールのやり取りをした旅行代理店まで歩いて行った。

Jigmet Guest Houseから歩いて1,2分のところにあるこの旅行代理店はHidden Himalayaという。やはり高度3500mのせいか、寝不足のせいか、わずか1,2分といえ、歩くと息苦しさを感じた。

代理店に入ると、日本人女性が迎えてくれた。この日に行くことは伝えてあったので、すぐにわかってくれた。明日から早速出かける、というのはやはり高度順応できていないので無理、早くて明後日から動きたいという旨を告げ、先方もそのほうがいいということで話を進める。

  • 下ラダック+花の民 (2泊3日)
  • ヌブラ渓谷 (2泊3日)
  • ツォモリリ (2泊3日)
  • ザンスカール (6泊7日。移動に4日かかるのでザンスカールに4泊。域内は丸3日)

話を聞きながら以上に様な大雑把なスケジュールを立てた。

下ラダックは高度があまり高くないので、高度順応に適していること。パンゴンツォとツォモリリとふたつの湖があるが、パンゴンツォはインド人の間でブームになっていてインド人だらけだから、静かな環境を求めるならツォモリリのほうがいい。ザンスカールはまだ道路が開通していない。ただ、上の3つのツアーに行ってる間に開通するのは間違いないということで、日程を立てると、私の滞在予定の間に6泊7日で行くことは可能、ということだった。

ツアー自体は前日に決めてもらえばいいですから、ということで今日のところは体調が万全でないことから回答を保留した。両替所を教えていただき、米ドルを両替。1$⇒63IRP。滞在中になんどか両替したが、ずっと同じレートだった。ネパールと違い、レーでは各両替所にレートが表示されていなかった。

 

わずか10分程度歩いただけでも、息の乱れが明らかだった。さらに軽い頭痛。これは一度戻ったほうがいいと思い、Guest Houseに戻って仮眠をとった。

夕方になって起き上がると、頭痛はだいぶ治まっていた。まだ食事をとっていないなあ、と思ったが、なぜか空腹を感じない。レーの街を散策する。マニ車を回しながら歩いている人、いかにもインド人といった顔つきの人、モスクから聞こえるアザーン、いかにも異国に来たという気持ちに浸ることができた。

 

翌朝、起きると明らかに頭痛は治まっていた。朝、散歩したところ、息苦しさは変わらない。前月、ネパールで行ったムクティナートが3700m程度。2700m程度のジョムソンからバスで入ったときにかなり息苦しさを感じた。高度が上がると空気が薄くなるので、当然のこと、これは慣れるしかないだろう。しかし、レーの街は坂が多い。ちょっと歩くだけでもハァハァと息が切れる。

散歩のあと、旅行代理店を訪れ、予定通り下ラダック+花の民のツアーを依頼した。ツアーといっても、個人で車をチャーターするので、自分が行きたいところに行くことができる。昨日提案のあったスポットにいくつか追加してもらい、明日7時にピックアップしてもらうことにした。

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イスラム教徒のパン屋