Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(3)

13時間半かけてようやく目的地のUftiに到着した。道を尋ねた男性はこの家の主で、なかなか来ない我々を待つために道路まで出て待っていたらしい。ありがたいことである。車から荷物を下そうとすると、フセインさんがバッグはどれを下す?水は何本必要だ?と尋ねてくる。明日から車が代わると聞いていたので、すべて下すと答え、彼もわかったといって荷物を全部下ろし始めた。部屋に荷物をすべて入れると「ところで明日は何時に来ればいい?」という。Uftiに着く直前に代理店から電話がかかってきて、なにやら話していることは知っていた。急遽、フセインさんがこの後の行程すべて対応することになったようだ。先に言ってくれれば、荷物をすべて下す必要もなかったのにと思いながら、この陽気なムスリムとこれからも旅を続けられると思うとちょっとうれしくなった。

案内された今日の寝床は、これまでのHome Stay先同様、床にゴザを敷いている部屋だった。寒さが気になったので寝袋も持ち込んだが、部屋にあった毛布だけで十分寒さをしのげそうだ。荷物を入れると、居間に案内される。最初は一緒にいたドライバーが間に入ってくれたが、彼が帰ると言葉が通じず、なかなかコミュニケーションが取れない。Home Stayといいつつ、その家の住人とコミュニケーションをとることはほとんどしていなかった。ようやく、地元の人との交流ができたような気がする。この主が一生懸命に話しかけてきてくれるのはうれしい。代理店の方の親戚ということもあり、ZanskarではどこのHome Stay先でも温かく迎えられた。しばらくすると家の中にある太鼓が鳴らされる。居間から見えない位置にあるのだが、どうやら主が叩いているようだ。Gompaとは違った音色だ。主が居間で料理を作り始める。なんとこの日はモモだった。皮をその場で作り、具材もここで混ぜている。まさに手作りだ。まさかZanskar滞在中にモモが食べられるとは思わなかったのでうれしかった。主、ちょっと張り切り過ぎじゃないかと思うくらいテンション高い……。21時を過ぎて食事、22時過ぎには就寝というパターンはZanskarでも変わらず、食後しばらく話をしているうちに眠くなったので、部屋に戻って寝ることとした。

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翌朝、さすがに疲れていたのだろう、なんと8時半にさすがに心配になったHome Stay先の方に起こされる。この日の日程はみんなが「こりゃゆっくりでいいぞー」というくらい短いルートだったので9時出発としていた。ドライバーが来て、さすがに心配になったのだろう。ようやく起きることができた。実際には6時ころ一度起きて、また寝てしまったらこんな時間になっていたのだけど……。

朝食をいただく。すると小学生くらいの娘が学校に行こうとしている。昨日はほとんどコミュニケーションが取れなかったが、持参した飴を渡す。ZanskarでのHome Stay先は一族から成功者が出ているようなので、比較的裕福な家庭が多いだろう。それでもこの娘に飴を渡すと目を輝いて受け取ってくれた。ミャンマーのチャイントゥン郊外の村で飴を渡しても(それも10年以上前だ)こんな表情を見せてくれなかった。この程度でこんなに喜んでもらえると、恐縮するばかりである。朝食を済ませ、慌てて準備をしようとすると「今日は本当に短いからもっとゆっくりでもいいぞー」といわれる。ここはZanskar、急ぐこともあるまい。

結局10時過ぎにHome Stay先を出発する。Home Stayでもここは当然商売にしているわけではないので、宿代は決まっていない。若干少なめと思いつつ、いくばくかのお金を渡すと固辞された。なんどかやりとりをしてようやく受け取ってもらう。このあと3か所、みな親族のところを周るのだから、渡す金額は一緒にしないと……などと日本人らしいことを考えてしまう。

出発すると目の前に小高い丘の上のGompaが見えた。最初の目的地のPipiting Gompaだ。歩いても行ける距離にあった。丘を登ると、ちょうど僧がお祈りを行っていた。邪魔にならないよう端に座ってお祈りを聞く。お祈りの休憩の際、僧にどこから来たのかなどと尋ねられる。Ladakhではなかったことだ。お祈りを終え、僧はどこかへ去っていく。世話人の若い男がいろいろと話しかけてくる。どこから来た?Zanskarは何日いるんだ?ここはどうだ、いいところだろう?そんなたわいのない会話ができた。

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車は北東に進路を取る。次の目的地はTondey Gompaだ。勾配のない道で、見渡す限り見事なまでになにもない。Tondey村はZanskar川の東岸にあり、村の外れにある岩山に村を見下ろすようにTondey Gompaが建っている。とても歩く気になれない岩山を上りきりGompaに到着。ZanskarではKarsha Gompaに次ぐ大きいGompaだ。ここから見下ろすと、Tondeyの村や畑が一望できる。中庭を囲むようにお堂が配置されている。訪問客に気がついた僧がいくつかのお堂を開けてくれたので、内部を見学する。見学後、修復作業をしている村人の写真を撮る。女性が多く、子供を連れてきている人も多い。外国人が珍しいようで、子供たちは興味津々といったところだった。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(2)

道路に面しているこの宿では車の音がうるさく、ほとんど眠れなかった。かなり熱いお湯が出る以外、Lehの宿のほうがずっと居心地がいい。

5時。ドライバーが迎えに来た。「Zanskarまで12時間は見てください、なにかあったらさらに時間は延びるので早めに出発してほしい」といわれこの時間に出発することになっていた。移動に加えて、途中摩崖仏をひとつ、Gompaをひとつ見学予定があったのでこの時間設定は正しい。

昨日Kargilの宿に来ていたドライバーと挨拶。フセインさん、陽気なムスリムだ。川沿いを走っていると「You know this river ?スル''ガワ''」と日本語を交えた説明をしてくれる。まだ暗闇のKargilを抜けると、放牧に行く人たちが何組も見られた。この辺りの道は舗装されており、スムーズなドライブ。眠気もあるが、陽気なドライバーと話をしているうちに目も覚めてくる。

1時間ほど走り、Sankuという村で摩崖仏を見に行く。車は街道を外れ、川沿いに走っていく。集落を通り抜け、小川を見ながら少し進んだところで車を止めた。小川沿いに少し歩くとドライバーが上を見ろという。川岸の崖に突然摩崖仏が現れた。まだ薄暗い空を背景に摩崖仏を見上げる。7-10世紀ごろに彫られたものらしい。Mulbechで見た摩崖仏よりも神秘的な気がする。やはりこれは街道沿いと少し離れたところにある違いだろうか。

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Sankuを出発すると、街道沿いに見える家が少なくなってきた。この辺りは川沿いに集落が点在している。Panikhorという村に到着。ここにフセインさんの自宅があり、朝食となった。Kargilを出発した直後に、ご自宅へ連絡していて準備していただいていたのだった。朝食をいただき、ひと休み。フセインさんは朝食を運んでくれるものの一緒に食べることなく、なにやら家族と話しているようだった。この理由はLadakhを離れて知る。

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Panikhorを出て少し進むと山道に入り、車は高度を上げる。そして道の舗装も途切れ、土の上を走ることとなる。雪解け水が路面に流れ、ぬかるみとなった道を走り始める。坂道でもあり、スピードは出ない。陽気なフセインさんも口数が減ってきた。フセインさんには申し訳ないが、この辺りから景色は絶景が続き、ずっと見とれていた。遠くには雪をかぶった山々が、道路沿いにはみずみずしい湿原が見られる。NubraやTsu Moririに行ったときもさることながら、この景色はなんとも口に表せられない。この日から3日間晴天が続き、Zanskarで会う人もこんなに天気のいい日はそう続かない、というほど青空が美しかった。そんな景色を見ていると、いつのまにか時間が過ぎてしまっていた。

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悪路を走り続け、ようやくJuldoという村で休憩となった。「いいか、ここからPadumまで食べるところはもちろん、食料を手に入れるところもない。チャイも飲めない。だからなにか必要なものがあったらここで買っておいてくれ」と言われる。Juldoは湿原の中に数軒の集落がある程度の村だが、このルートでは貴重な補給地点だ。簡易宿舎も建っている。シーズンにはテントも張られそうだ。旅行者の車が何台も止まっていても、すべてインド人。日本人はもちろん白人の姿も見られない。まだシーズンには早いようだ。

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小休止のあと車は出発する。Ladakh最後のGompaであるRangdum Gompaへ向かう。小高い丘の上に建つこのGompaは2000年7月に武装ゲリラに襲われる事件が発生し、3人の僧が殺されている。そのため、今でも丘のふもとには警備員がおり、チェックを受ける。丘の上に着き、Gompaへ行く。数名の僧がいたが、これまでLadakhで入ったどのGompaと比べても世俗的。「おー外国の方かーどこから来たー?え、日本?!そうかそうか」と肩を叩かれ、「ほら、おれたちの写真撮れー」とこちらがひるむほどだ。なにが彼らを陽気にさせていたのか、いまだに謎……。

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Rangdum Gompaを出発。地図ではまだ集落があるようだが、車からはほとんど見えない。だが、突然、道の横にある岩の脇に座っているご婦人方が現れた。「フセインさん、彼女たち、どこから来たの?近くに集落ないでしょう?」「だから、あの辺から歩いて来ているんだって!」「あの辺ってどこよ?」「だからあの辺!」指さす方向、なにも見えない……。まあ、とんでもなく遠くから来ていることだけは間違いないが、さてなにしに来ているのだろうか?動物を放牧している様子もない……。とはいえ、4000mを超える高地を歩いているだけでも、頭の下がる思いである。フセインさん、このルートでは相当な顔で、このご婦人方とも顔見知りのようだ。行く先々で顔見知りと挨拶している。(開通してから10日ほどしか経っておらず、今シーズン初のZanskarとのことだった)

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次のポイントはPensi La、4400mほどの峠だ。もちろんこのルートで最も高いところとなる。Ladakh側は緩やかな上りが続く。路面は相変わらず雪解け水でぬかるんでいるところが多く、20㎞/h程度しかスピードが出せない。このスピードを保ちつつ運転しているドライバーの忍耐には、恐れ入るばかりだ。ようやく到着。記念撮影。道路から離れたところにコンクリートの建物があり、屋上で作業員が2人ほど横になって寝ていた……。恐れ入るばかりである。

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 車は下りになってもスピードが出せない。いや、下りのほうが怖い。Zanskar側のほうが傾斜が急だ。右側に白い塊が見えてくる。Darag-Drung 氷河だ。だが、氷は思ったほど多くなく、ちょっと期待外れ。車はさらに下り、雪解け水が集まってできたかのような小さな池が見えてくる。写真を撮るにも車は止まれない。この辺りで物資を運んでいるトラックがを何台も見る。物資を満載に積んでおり、スピードが出ない。道が細くなかなか抜けるところもないので、そのたびにフセインさんもイラついている。しかし、普通車でさえ、12時間近くかかるというのに、トラックだとどれくらいかかるのだろう……。ただ運転しているのではなく、この悪路である。前職で遣っていたタイ人のトレーラードライバーに運転させたら、なんというかな?とふと思う。

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下り道も緩やかになると、ぽつぽつと集落が見えてくる。ところどころで手を振ってくる子供たちもいる。スピードは相変わらず出せずに、車は進む。この日の宿泊予定地はUftiという村。Padumより少し手前らしい。近くまで行くものの、なかなかHome Stay先にたどり着けない。なんどか道を尋ね、最後に尋ねたのが家主だったというオチもあったが、18時半、無事に目的地に到着できた。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(1)

 Tsu Moririから戻り、1日ほどLehに滞在。この時点でカトマンズ行きのフライトまで10日ほど残していた。

Zanskarへ行きたかった……。ラダックの南にあるZanskarは、幾重にも連なる険しい山々に囲まれた地域だ。中心地であるPadumまで通じている車道は、KargilからPensi Laを通じて入る道路のみ。冬はこの車道はもちろん、外界と結ぶ峠も雪で塞がってしまうまさに陸の孤島だ。冬は凍った川の上を歩くチャダルが唯一の手段となる。バンコクを出る前、Zanskarへ行けるか確認したところ、その時点ではKargilから先が開通していないが、私の滞在中には開通するだろうとのことだった。予想通り、下ラダックを旅行中に開通したので、空いた1日を使って代理店の方と詳しい日程を詰めることにした。

実をいうと車のチャーターなどでこの時点でほぼ予算を使い果たしていた。Zanskarは中心地であるPadumまでKargilを経由して片道2日かかる。そのためZanskarに3日滞在すると6泊7日となり長丁場だ。車も他の地域より少し高めの設定だ。だがここまで来て時間には余裕があるのに行かないのは絶対に後悔するだろう。なんとか金策をして?行くことを決めた。KargilはラダックでLehに次ぐ第二の街で、イスラム教徒が大半を占めている。そのためか、LehからKargilへ行く車は仏教徒のドライバーでかまわないが、Kargil発はムスリムでないとならないというルールがあるそうだ。そうした事情もあって、初日はKargilまでこれまでと同じドライバーで行き、Kargilから先はムスリムのドライバーということになった。Gompaによってはムスリムの立ち入りを禁止するところがあるからだ。Zanskar内の移動は別のドライバーになるらしい。またZanskarに宿泊する4日はすべてHome Stay。今回、Home Stay先はすべて代理店の方の親戚宅であり、事前に連絡を入れておいてもらうことになった。

7時にLehを出発。下ラダックへ行った道と同じルートを走る。これまでに見たGompaで最も気に入ったRizong Gompaにもう一度立ち寄ってもらった。Ule Tokpoからひたすら登る道は、まさに人里離れたGompaのイメージだ。ようやく僧房が見えてくると、数日前来た時とは様子が違い、多くの車が止まっていた。明日、なにか大きなイベントがあるそうで、その準備のため多くの僧や信徒が集まっているとのことだった。上階の本堂に行くと、多くの僧がお祈りをしているようで、中に入る雰囲気ではなかった。スピーカーから流れるお祈りを聞きながらしばらく待つと、お祈りを終えた数十人の僧が本堂から出てきた。どうぞ中にといわれて、中に入る。ラダックで入ったGompaでここだけは流れている空気が異なっているように感じだ。敬虔なその雰囲気に圧倒される。その後、別のお堂でこちらは少年僧がやはりお祈りを始めてそちらにお邪魔する。Rezong Gompaの麓にはNunnery、尼僧院もありこちらからも多数参加しているようだ。総勢100人を超えていた。端にひっそりと座りお祈りを聞く。風貌が明らかに違う異邦人が珍しいのか、お祈りをしながら少年僧はこちらをちらちらと見てくる。やはりまだ子供だ。小休止となりパンのようなものが配られた。これまでに見たことのない大きく厚手のものだ。ラダッキブレッドと呼ばれるもののようだ。私にもひとつ配られ、ドライバーと一緒に食す。大量に作ったもののひとつで冷めており、全部食すことができなかった。再びお祈りが始まったあと、用意していた飴を若い僧に託し、Rezong Gompaをあとにした。

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西へ進みこれも一度寄っているLamayuru Gompaへ。Gompaの奥にあるセンゲガンというお堂を見つけることができなかったため再訪問だ。センゲガンは村へ降りていく途中にあり、前回近くまで来ていたのに気がつけなかったらしい。私が見つけられないことを心配して、今度はドライバーも一緒に来てくれた。狭いお堂に古い仏像と壁画がある。狭くて静かな空間が心を落ち着かせてくれた。

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さらに西へ進み、Mulbechという集落で摩崖仏を見に行く。道路に面した巨大な岩に彫られており、脇に小さなお堂がある。7,8世紀頃に造られたそうだ。なんのために崖にこんなものを彫ったのだろうか。

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摩崖仏の向かいに小さなレストランがあり、ランチ休憩。シンプルに卵チャーハンだ。

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Mulbechの手前からはイスラム圏に入る。歩いている人もムスリムが多くなってきた。Kargilの手前から道が悪くなってくる。工事をしている区間が長い。そろそろ疲れてきたと思ったころ、突然道が開け、目の前にLehを離れて初めて街といえる住宅地の塊が目の前に広がっていた。1999年にパキスタンとの紛争で砲撃を受けたという国境に近い街。だがそのような傷跡を見つけることもなく、商業都市のようだ。指定された宿にチェックイン。明日からのドライバーと挨拶を交わし、明日のピックアップ時間を確認。ひとりになって、地図を見てもどこを歩いているのかわからず、レストランも見つからない。5分ほど歩いたところにあるホテルの中のレストランで食事。夜でもブッフェがメインだが、オーダーで作ってもらう。これから5日間、食生活は厳しいものとなる。最後の晩餐と思い、金額に目をつぶって食すとした。

【Book Review】『盤上の向日葵』(柚月裕子)

藤井聡太4段の活躍もあり、将棋ブームが沸き起こっている。そんなブームに乗って書いた一冊かと甘く見て読み始めたところ、その思いはすぐに一蹴された。

将棋の街天童市で行われているタイトル戦会場に刑事が訪れるところから物語は始まる。

白骨化された死体と一緒に埋められていた600万円もの価値がある将棋の駒を追い続ける警察。母親を亡くし、父親に虐待される将棋好きの少年。二つの物語が交互に描かれる。奨励会を退会した刑事もさることながら、やはりこの物語の主役は少年の壮絶な人生だ。小池重明をほうふつさせる真剣師の強烈な個性が、さらに物語を引き立ててくれる。金には汚いが、並々ならぬ将棋に対する執念。この狂気に巻き込まれた少年の先に待つ人生は栄光か、破滅か?!

人生のどうしようもないやるせなさに思わず涙が出そうになった1冊。直木賞候補にもなった「孤狼の血」に劣らない作品だ。

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【Book Review】 『スリーパー 浸透工作員 警視庁公安部外事二課』(竹内明)

警視庁公安部外事2課(ソトニ)を追われた元エース筒見慶太朗を主人公とした国際諜報小説。『スリーパー』はシリーズ3作目。今度の相手は北朝鮮の秘密工作員だ。

「背乗り」(はいのり)とは、工作員など他国人が現地人になりすますために身分・戸籍を乗っ取る行為を指す警察用語である。背乗りして日本に潜む北朝鮮工作員と元公安のエース筒見慶太朗の壮絶な戦いが、フィクションを超えたリアル感で描かれている。諜報戦の最前線で戦う倉本や筒見の抱えきれないほどの家族愛、対立する国家に引き裂かれた工作員の思い……。インテリジェンス小説らしく、だれが敵でだれが味方なのか、最後まで読まないとわからない。北朝鮮工作員がこれほど侵入しているとしたら、本当に恐ろしい。緻密に書かれた公安の捜査手法は、精密に公安警察を取材した作者にしか書けまい。

日朝諜報戦の深層が、この一冊に濃縮されている。

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ラダック旅行記 Part 5 Tsu Moriri(3)

朝起きて部屋を出る。やはり高地だ、突き刺さるような寒気が肌を襲う。外に出ると、女主が水汲みから帰ってきたところだった。水を背負いながら、これから朝食作るから待っててね、という。この寒さで、朝一の仕事が水汲みとはやはり生活は厳しい。パンと卵の朝食をいただきKorzokをあとにする。

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昨日は湖をほとんど見ていないので、Lehへ帰る前に昨日行ったスポットへ行くことにした。Korzokを離れるとすぐに羊の集団に遭遇。前に進めない……

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バイクの大集団はKorzokの外れにあるキャンプサイトに泊まっていた模様。Korzokだけではなく、ラダックでは多くの観光地にこのようなキャンプサイトがある。値段はピンキリらしい。ひとりだからHome Stayのほうが気楽だ。

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前日と同じスポットに到着。風はあるものの前日と比べて穏やか。写真を撮影。湖の岸辺にはみずみずしい湿原が広がっており、シーズンにはさまざまな野生の鳥が生息しているそうだ。しかし、少し時期が早いのか、鳥の姿を見ることはできなかった。水の色が昨日とは異なる気がする。

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車は昨日通った道を引き返す。途中Nomadoのお宅をお邪魔させていただく。以前は完全な遊牧民だったようだが、最近は移動の際は車を利用していることが多いらしく、ひとつのグループにつき1台くらいは何かしらの車を所有しているように見えた。石で津柵を作り羊を飼っている。Nomado宅でのんびりしていると、Korzokにいたバイクの大集団が走り去っていった。どうやら100台以上あった様子。この大自然を走ると気持ちよさそうだ。f:id:pumpuikun:20171022194011j:plain

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昼食休憩したSomdoを通過。昨日同様ガスっているが、運転に影響を与えるほどではない。Sumdoを通り抜け、昨日来た方向とは逆、西へ向かう。しばらくすると道が悪くなり、さらに急な上りが始まった。車が止まれるような道が続く。ついに先ほど追い抜かれたバイクの大集団に追いつく。バイクの何台かは登り切れず、スタックしてしまっていた。道が塞がれ、我が車も止まってしまうことがあったがなんとか脱出。再びNomadoに遭遇すると、運転手がNomadoのおばさんとなにやら交渉を始める。前日に渡したチップを見せながら、ちょっと待っててと交渉に夢中。どうやら黒い羊の皮を買おうとしているらしい。先に寄ったNomadoとも交渉していたけど、金額が合わなかったので買わなかったようだ。あとで知ったのだが、この皮はザンスカールの伝統衣装に使うそうだ。ザンスカール出身のドライバーがほしがった理由もわかる。交渉の間、Nomadoの子供たちに飴を渡すと、袋を取らずに口に放り込んでしまった。子供たちもすぐに気がつくが、文明とかけ離れた生活をしていることが窺い知れる。さすがにタイで山の村に行っても、いまどきこれはないと思う。f:id:pumpuikun:20171022193939j:plain

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しばらくして左に湖らしきものがかすかに見えるようになってきた。Tso Karという湖だが水量が少ない。本当は道路の近くまで広がって大きいはずだが、今は水量が少ないらしい。ドライバーが野生の鳥の存在を教えてくれるが、私の目には見えないことも多かった。Nubraでもそうだったが、彼らの視力はとてつもなくいいようだ。Thukjeという村に入る手前に小さな茶店があったので休憩を取る。Tsu Moririのコースで2泊3日する場合、KorzokとThukjeか近くのキャンプサイトに泊まることが多いそうだが、ここで一日を費やすのはどうだろうか。昨日のチップが利いているのか、ドライバーがお茶代を払ってくれた。

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Thukjeに寄りGompaを見に行く。実は車にカメラを忘れたため、ここの写真はない。狭い洞窟の奥にきれいな仏像が祀られている。どのように運び入れたのか謎である。デブの私は手の届く距離までたどり着けなかったが、一見の価値がある。案内してくれた僧も自信満々の笑みである。

その後、道はよくなっているが再び上りが続く。マナリからの道と合流。このときはまだマナリとこの合流点の間の道が開通していないため、走っている車はほとんどなかった。シーズンになると観光客の車で混雑しそうな道だ。そうした旅行者目当てのレストランも多い。Nobraと同様、崖から落ちたら助からないような細い道をひた進み、Taglang Laという5300mの峠を越える。峠を越えると下りに入り、スムーズに走っていく。Upshiまでの間、Rumtse、Gya、Miruといった集落を通過。これらの集落にもGompaがあるようだが、このときはそのことを知らず。f:id:pumpuikun:20171022195435j:plainf:id:pumpuikun:20171022195439j:plain

Taglang Laを越えると道も単調で少し眠くなりうとうとしてしまった。Upshiで小休憩を取り、そのままLehへ。ドライバーにいえば道中ほかのGompaにも寄ってくれただろうが、実はLeh郊外にあるNamgyal Tsemo Gompaに行きたかったのでそちらを優先した。Leh市内から歩いて行くのも可能だが、高度のあるところであまり歩きたくないし、車をチャーターしているのだからと利用させていただく。ここはGompaというよりLeh市内を一望できるスポットとして行ってみたかった。Leh市内の渋滞を通り抜け、Namgyal Tsemo Gompaに到着。Gompaは閉まる直前だが、ぎりぎりで中に入ることができた。Leh市内を一望できるスポットでぼーっと過ごしたあと、宿に戻った。

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ラダック旅行記 Part 5 Tsu Moriri(2)

朝起きると、体の調子がいい。寝ることによってだいぶ回復したようだ。

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Nyomaを出発し、さらに東へ進む。Lomaという村までは外国人が入れると聞いていたからだ。そのギリギリまで行ってみたいと思っていた。Nyomaを出るとすぐに軍の駐屯地があった。ドライバーによれば、道路の左側が駐屯地、右側は軍に出入りしている作業員の住むキャンプだという。道中道路工事をしているところが多い。「Home Stay先にインド人がいただろ?彼らは電気のエンジニアで、この辺の道路で作業しているはずだよ」という。昨夜部屋で見たインド人の素性がわかった。車はなにもない平原をひたすら走る。こんなところに人が住めるのか……と思う風景が続く。相変わらず野生動物や放牧している遊牧民の様子がなんども見られる。地図によると、この道は一本道でLomaまで村らしい表示はない。だが、途中、大きな二又があり、石に「Thin」と書かれている表示があった。その方向を見ると集落らしきものがかすかに見えた。Lomaまでしか入れないのは中国ともめているため、外国人には様子を見られたくためだと思っているが、そうしたこともあってインドの地図はあえて載せていない道路や村が多いと聞く。どうやらここにもそういうところがあるようだ。

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Lomaの手前だというところで橋があり、その手前で検問があった。車を降り、行先の記された看板の写真を撮ろうとした瞬間、笛を吹かれ、軍人が歩み寄ってきた。インドでは橋や駅などの写真を撮るのがかなり厳しい。ドライバーが書類をもってこの先に行けるように交渉したが、外国人はこの先に入ることができないという。ドライバーが私のもとに戻る前に少し地位の高そうな軍人がやってきて、この先は外国人に許可されていない、戻ってTsuMoririに行きなさいといわれる。あとで地図をよく見ると、Lomaの村はこの橋を渡ったところに位置しているようだ。なお、インド人は問題なくこのエリアに入れるため、Pangong TsoからLomaを経由してTsu Moririに行くルートで旅行している人も多い。Nyomaはそうしたインド人が休憩する宿場町のような存在だそうだ。

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引き返してTsu Moririに向かう。Lomaに入れないのであれば、先ほど見たThinという村に寄ってみたいとドライバーに告げる。地図にないので、外国人に許可されていないのかもしれないと思ったが、ドライバーは問題ないというので、寄ってもらうことにした。村に入りGompaへ向かう。NyomaのGompa同様、ここも修復中だ。Nyomaと違うのは村人が大勢集まって手作業で行っていることだった。農作業よりこちらのほうが収入になるのかもしれない。誘われるがままにバター茶を飲んでいると、ひとりだけ残っているという僧がやってきて簡単に案内してもらう。

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ThinをあとにしてTsu Moririに向かう。昨夜泊ったNyomaを通過、Tsu Moririとの分岐になるMaheという村でGompaを訪問する。きれいな大きなGopmaだが、僧は2、3人しかいないようだ。Tsu Moririへ向かう道に入る手前の橋で検問があった。パーミッションを見せて問題なく通過する。しばらくするとSumdoというところでホテルを兼ねたレストランがあり、ランチ休憩。メギーを食す。ここではインド人のグループも多数食事休憩をとっていた。

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食事のあとしばらく走ると、ところどころでノマドの住居が見られるようになる。「まあいくつもあるから、気が向いたら声をかけてくれ、寄っていくから」とドライバー。途中4800mの峠を越えると湖らしきものがかすかに見えてきた。Kiagar Tsoという湖だそうだ。道中ガスがかかり始め、気温も下がってきたようだ。ところどころ小雪が舞っている。車から降りる気になれない。車はそのまま進む。

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宿泊先のKorzokに到着したのは15時近かった。村の入り口で軍のチェックポストがあった。そのチェックポストではバイクの大集団が手続きを待っており、その数は100台を超えそうだった。手続きを終えて村の中に入るとドライバーがこの日の宿泊先を探す。この村、Home Stayや宿の看板は出ているのだが、なぜか人気がない。観光シーズンには少し早いのか、旅行者も先ほどのバイクの集団以外ほとんど見かけない。いくつかきれいそうな宿を見に行くが、管理人がいないところばかり。結局、近くにいた女性に尋ねるとうちに来る?といわれそこに泊まることにした。偶然にもLonely Planetに出ているHome stay先だった。

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荷物を置くとドライバーに「この先、湖の畔に景色のいいところがあるので行こう」と誘われる。2,3㎞走ったそのポイントで車を降り写真を撮ろうと思ったが、あまりの風の強さにとても立っていられなかった。数枚撮ったところで村に引き上げた。引き上げると風も止み、Gompaへ行ったがだれもおらず。丘の上の仏像が立っているところへ行く。Gompaへ戻るとひとりの僧がいたので内部を見学。しばらくして、僧はお祈りを始めたので、静かにGompaをあとにした。このKorzok Gompaではチベット歴の6月3,4日(太陽暦では7,8月頃)にコルゾク・グストルというチャムの祭りが催される。

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Korzokは高度4500m。昨夜の苦しみで高度順応できたのか、この日のほうが元気だった。昨日の状態では丘の上に登ろうとなど決して思うことはなかったろう。だが断続的に風が吹き、体温が失われていくような感覚だった。行くところもないので、茶店のようなところでチャイを飲むと、Home Stay先に戻って部屋でくつろいで夕食の時間を待つ。すると女主にあてがわれた部屋ではなくこっちの部屋に来るようにいわれた。食事の準備をしつつ、ストーブを点けてくれた。この日の夕食は特に変わったものじゃなかったが、ラダック/ザンスカールチャパティがいちばん美味しく感じられた。

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