Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

日本で働くタイ人

日本で生活を始めて知り合った人の中に、日本で働くタイ人が何人かいる。日本で働くタイ人というと、タイ料理店やマッサージ、またはちょっとイリーガルなビジネスというイメージがひと昔前までは強かった気がする。ところが私が知り合った方々は、いわゆるホワイトカラーの職に就いている。

自分がタイに行くようになったころ、タイと日本を結ぶ飛行機でタイ人を見ることはあまり多くなかったと思う。2000年ころから機内でタイ人を見ることが徐々に増え、ノービザで日本に入国できるようになってからは、日本へ観光に来るタイ人は決して珍しい存在ではなくなってきている。そして最近では日本で働くタイ人も増えているようだ。

自分が出会ったタイ人は日本へ留学後、そのまま日本に住み続けている方々だ。日本に留学できる階層のタイ人だから、決してタイでも貧しい人ではない。そこそこ裕福な家庭で育っているはずだ。そんな彼らは、日本の生活のほうがタイに戻るより居心地がいいそうだ。特に日本人と結婚しているわけでなく、日本に住みたいから日本で働く。もちろん永住を考えているタイ人は決して多くなく、タイに戻ってから、日本での就労経験が就職に有利になることを期待して働いている人もいると思う。

タイと日本との関係は、日本人の気づかないところで徐々に変わりつつあると思う。

 

ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(5)

Zanglaをあとにする。最初の目的地はPadumの南にあるMuney Gompaだ。車はZanskar川沿いに走りPadumへ向かう。昨日行ったTondey Gompaを左に見ながら車は順調に進む。しかし、この辺りの景色は本当に美しい。Padumを通過すると、道が悪くなってきた。一部は石の上を走るような道のうえ、道幅も狭い。なんどもヘアピンカーブを曲がるが、切り返しが必要なこともしばしば。雪解け水で道が寸断されているところもあり、かなりの悪路。Ladakh/Zanskarで最も道がひどかった。要塞のようなBardan Gompaを通り過ぎ、ようやくMoney Gompaに到着。しかし人気がない……。僧どころか村人さえ見当たらない。当然ながら鍵がかかっており、中に入れない。諦めて帰ろうとすると、遠くから太鼓の音や人の声が聞こえてきた。ドライバーに音がする方へ行くように頼む。ますます道がひどくなってきた……。少し走ると空き地に人が集まっていた。村をあげてのアーチェリー大会である。

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近づいて写真を撮っていると、ここに座れといわれ、チャイがふるまわれる。的まで4,50m離れているだろうか、難しいようでなかなか当たらない。当たろうと当たるまいと、矢を射るたびに大騒ぎ、太鼓も鳴り続ける。この地ではハレの日なのだろう。みな楽しそうだ。そろそろ出発しようと思いその場を離れると、ひとりの村人が追いかけて話しかけてきた。「さっき撮っていた写真、よかったらGompa宛に送っていただけませんか」。そういえば、写真を撮っている人も多くなかった。いつになるかわからないが……と答えてその場を去る。

本当はこの先にあるPhugutal Gompaまで行きたかったが、さらに車で走ったあと、半日以上歩かなければならないので断念。写真を見ると、崖の上にへばりつくように白い僧房が建ち並ぶ姿は印象的だ。Zanskarで一番の心残りとなったが、今の自分にはちょっと厳しい。もし、もう一度Zanskarへ行くことができれば、絶対行くと心に誓っている。

同じ道を引き返し、Bardan Gompaへ向かう。LadakhでもZanskarでもそうだが、小高い丘の上に建っているGompaが多い。このBardan Gompaも、丘の上に要塞のように建っている。入り口に村人がたむろしていた。ここもどうやら修復作業を行っているらしい。中に入り歩いて行くと、僧が下りてきてGompaまで案内してもらう。「犬に注意してくださいね」どうやら飼っている犬が我々を襲うのを恐れ、心配して下りてきたようだ。このGompaもかなり大きく、中庭の先にお堂が立っている。それにしてもLadakhもZanskarも修復しているGompaが多い。信仰心が強く、Gompaを保ち続けるという気持ちの強さの表れだろうか。ちょうど昼時だったので、みな休憩を取っているところだった。

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Zanskarできちんと食事をしようとすると、Padum以外ない。この日の行程はZanskar滞在中唯一Padumに寄る日だったので、昼食はPadumの食堂で食べることになっていた。Padumに戻ると、フセインさんに食堂へ連れて行ってもらう。そもそもZanskarの中心地といっても、日本の感覚では”村”である。まだ道路が開通したばかりなので、開いている店も多くない。2階にあるその店に入ると、フセインさんは、じゃああとでといって去ってしまう。メニューの種類は豊富だが、やはり実際に作れるものは多くない。結局Egg Chomenを選択。久しぶりに豪華な食事を口にする。会計を済ませて店を出る。辺りを見回してもフセインさんが見つからない。仕方ないので、通りをぶらつく。ガイドブックの地図を見てもここがどこかまったくわからない。雑貨屋があったので、飴を買っておく。Ufti村だけでなく、Zanskarではどこもお菓子が喜ばれた。たいした額でもないので、大目に購入。この程度で喜ばれるのなら安いものだ。しばらくして、フセインさんが現れる。今シーズン初のPadum入りということで、顔の広い彼は挨拶に忙しい……。f:id:pumpuikun:20171113221503j:plain

Zanskar最大のGompa、Karshaに向かう。村に入ると、川で洗濯をしている人が目立つ。村自体もかなり大きく、人も多そうだ。Karsha Gompaも丘の上に建っており、車は丘を上がっていく。Zanskar最大のGompaというだけあって中庭も広い。子供の僧が多く、この日は中庭で遊んでいる少年僧も多かった。勝手に見て行っていいぞーということだったので、開いているお堂を見学。Gompaはかまってくれるところと放っておかれるところの差が激しい。TundeyやKarshaはかなり大きいが、勝手に見ていけって雰囲気。Nunneryはどこも親切な対応。

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Karsha Gompaをあとにして、村のふもとにあるChambalingというお堂に行く。お堂の中には8mほどの摩崖仏があるということで楽しみにしていたが、カギを持っている村人が出かけているとのこと。しばらく待つも戻ってこないため、断念する。

近くのChuchigjal Nunneryへ向かう。ここも子供、小中学生くらいの年頃の僧が多い。本尊にある像はかなり大きく、印象に残っている。

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Gompaを多く見過ぎ、宗教に関する知識が欠けている自分にとって、その違いを語ることは難しい。ただ、訪れる人が多くないGompaほどHospitalityを感じるような気がする。

丘の中腹を車は走り、Hongchet村へ向かう。今日のHome Stay先は最近家を新築したばかりとのこと。ドライバーも場所がよくわからないらしい。なんどか村人に尋ねながらようやく到着。家にはだれもいない。農作業がまだ終わっていないらしい。家は新しく、二階の窓はまだガラスが入っていない。しばらくすると若い女性が「遅くなってすいません」と現れた。幼い子供をふたり連れて……。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(4)

車はさらに北東に進み、Zanglaへ向かう。この村にはかつてはPadum王家とZanskarを二分して支配していたZangla王家の末裔が今でも暮らしているそうだ。まずは北外れにあるNunneryへ向かう。Zanskarには意外とNunneryが多い。小高い丘の上に建つGompaに着くと、洗濯をしていたり、壁を直したりしていた。この日は男性の僧も来ており、それを手伝っていたりしていた。尼僧の多くは子供だ。タイでは口減らしで寺に預けられる子供が多いのだが、Zanskarではどうなのだろう?ここでZanskar滞在の間、唯一の白人旅行者と出会った。夫婦で来ているこのふたりは、ドライバーのほかに通訳も同行させていた。英語ではない言葉を使っているようだった。その後、かれらとは何度も出会うことになる。写真を撮っていると、まだ幼い子供ひとり、ずっとこちらを見ている。聞くとまだここにきて3週間、3歳とか……。ここにいる子供(尼といっていいのか?)の中でもちろん最年少だ。カメラを向けると怖がるとか喜ぶとか、なにかしらの反応があるのが普通なのに、ここまで無反応な子供は珍しい。それでも、最後は車を止めてあるところまで、老僧と一緒に見送りに来てくれた。

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次にZanglaで見るべきものは旧王宮である。ドライバーがカギを持っている管理人を探す。こうしたことはひとりで来てはなかなかできない。ようやく管理人を見つけ、車に乗って旧王宮跡へ向かう。無数のチョルテンが建ち並ぶ先にある岩山の上にZangla王家の旧王宮がある。車を途中で止めて、岩山を登る。鍵を開けてもらい中に入ったが、中は崩壊状態だ。一番上の3階の小部屋に1823-24年にアレクサンダー・チョーマ・ド・ケーレスというハンガリー人が滞在していたそうだ。厳しい寒さに耐え、ここでチベット語の研究と資料収集に励んだとのこと。この地で冬を過ごすということは、想像を絶する苦行だ。河口慧海に通じるものがある。ここにノートが置いてあり、名前を残しておいた。かなり崩壊が進んでいるが、修復作業も始まっているらしく、保存されることを祈りたい。

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旧王宮を降り、しばらく村の中心地でぼーっと過ごす。この日はHome Stay先に行くだけで、特にすることもない。人も歩いていない……。

することもないので、Home Stay先へ移動。しかしZanglaは狭い。道なき道を走ると、5分もしないうちに到着。まだ14時を回ったくらい。することがない……。荷物を置いて、もう一度村の中心地へ行く。今度は学校を終えたのか、子供たちがちょこちょこ現れるので、写真を撮っていた。それにも飽きると、少し車で村を周る。軽トラックに商品を積み、売りに回っている商人がいた。

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この日のHome Stay先は老夫婦のみの住まいのようだ。部屋に案内されるとすぐに主は外へ出て行った。少し離れたところで農作業をしているようだ。ドライバーはどこにでも行きたいところに行くぞーといってくれるが、どこへ行けばいいかわからない。あえていえば対岸の村にあるNunneryくらいか?Home Stay先から集落がすぐ見えるのに、片道1時間はかかるといわれ(橋がないので遠回りせざるをえない)、歩く気にもなれないので部屋で寝ていた。

日が沈むころになって、老夫婦が家に戻ってきた。しばらくすると、ここでも太鼓が叩かれる音が聞こえる。食事の準備を始める知らせなのだろうか。3人で一緒に夕食を食べる。ご主人は色々と話しかけてくれるが、互いに英語がそれほどできるわけではないので、コミュニケーションに苦労する。ある小冊子を見せてくれた。日本人とチャダル(凍った川の上を歩く)をしたときの写真集だ。「あなたも次回はやってみませんか」「いやーもう年ですし……」「私、このとき〇〇歳ですよ」その年齢を聞くと、今の私とほとんど変わらない……。大学時代、山岳部を一年で退部した(体育の単位目的だった)軟弱者には無理だ。しかし、地元の人にとってチャダルは日常であり、生活手段である。そのたくましさには頭の下がる思いである。

翌朝、7時過ぎに起床。どうもZanskarに来てからよく眠れるようだ。夜目覚めることもなく、こんな時間まで寝ることはタイで働いていたときには考えられない。すでに朝食は準備されており、老夫婦は外に仕事に出ていた。私が部屋から出たのが見えたのか、奥さんが戻ってきてくれる。食事の間、そばにいてくれるが、肩が痛いとぼやいている。ネパールでトレッキングをしたときに使わなかった筋肉痛用のクリームがあることを思い出し、置いていくことにした。Zanskarにいる間に使うこともないだろう。タイに戻ればいくらでも手に入る。

食後、身支度をしているとドライバーが迎えに来てくれた。少ないながらも宿泊料としていくばくかのお金を渡そうとするが、ここでも拒否される。なんとか説得して置いて行く。現金収入、決して多くないはずだが、ありがたいことである。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(3)

13時間半かけてようやく目的地のUftiに到着した。道を尋ねた男性はこの家の主で、なかなか来ない我々を待つために道路まで出て待っていたらしい。ありがたいことである。車から荷物を下そうとすると、フセインさんがバッグはどれを下す?水は何本必要だ?と尋ねてくる。明日から車が代わると聞いていたので、すべて下すと答え、彼もわかったといって荷物を全部下ろし始めた。部屋に荷物をすべて入れると「ところで明日は何時に来ればいい?」という。Uftiに着く直前に代理店から電話がかかってきて、なにやら話していることは知っていた。急遽、フセインさんがこの後の行程すべて対応することになったようだ。先に言ってくれれば、荷物をすべて下す必要もなかったのにと思いながら、この陽気なムスリムとこれからも旅を続けられると思うとちょっとうれしくなった。

案内された今日の寝床は、これまでのHome Stay先同様、床にゴザを敷いている部屋だった。寒さが気になったので寝袋も持ち込んだが、部屋にあった毛布だけで十分寒さをしのげそうだ。荷物を入れると、居間に案内される。最初は一緒にいたドライバーが間に入ってくれたが、彼が帰ると言葉が通じず、なかなかコミュニケーションが取れない。Home Stayといいつつ、その家の住人とコミュニケーションをとることはほとんどしていなかった。ようやく、地元の人との交流ができたような気がする。この主が一生懸命に話しかけてきてくれるのはうれしい。代理店の方の親戚ということもあり、ZanskarではどこのHome Stay先でも温かく迎えられた。しばらくすると家の中にある太鼓が鳴らされる。居間から見えない位置にあるのだが、どうやら主が叩いているようだ。Gompaとは違った音色だ。主が居間で料理を作り始める。なんとこの日はモモだった。皮をその場で作り、具材もここで混ぜている。まさに手作りだ。まさかZanskar滞在中にモモが食べられるとは思わなかったのでうれしかった。主、ちょっと張り切り過ぎじゃないかと思うくらいテンション高い……。21時を過ぎて食事、22時過ぎには就寝というパターンはZanskarでも変わらず、食後しばらく話をしているうちに眠くなったので、部屋に戻って寝ることとした。

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翌朝、さすがに疲れていたのだろう、なんと8時半にさすがに心配になったHome Stay先の方に起こされる。この日の日程はみんなが「こりゃゆっくりでいいぞー」というくらい短いルートだったので9時出発としていた。ドライバーが来て、さすがに心配になったのだろう。ようやく起きることができた。実際には6時ころ一度起きて、また寝てしまったらこんな時間になっていたのだけど……。

朝食をいただく。すると小学生くらいの娘が学校に行こうとしている。昨日はほとんどコミュニケーションが取れなかったが、持参した飴を渡す。ZanskarでのHome Stay先は一族から成功者が出ているようなので、比較的裕福な家庭が多いだろう。それでもこの娘に飴を渡すと目を輝いて受け取ってくれた。ミャンマーのチャイントゥン郊外の村で飴を渡しても(それも10年以上前だ)こんな表情を見せてくれなかった。この程度でこんなに喜んでもらえると、恐縮するばかりである。朝食を済ませ、慌てて準備をしようとすると「今日は本当に短いからもっとゆっくりでもいいぞー」といわれる。ここはZanskar、急ぐこともあるまい。

結局10時過ぎにHome Stay先を出発する。Home Stayでもここは当然商売にしているわけではないので、宿代は決まっていない。若干少なめと思いつつ、いくばくかのお金を渡すと固辞された。なんどかやりとりをしてようやく受け取ってもらう。このあと3か所、みな親族のところを周るのだから、渡す金額は一緒にしないと……などと日本人らしいことを考えてしまう。

出発すると目の前に小高い丘の上のGompaが見えた。最初の目的地のPipiting Gompaだ。歩いても行ける距離にあった。丘を登ると、ちょうど僧がお祈りを行っていた。邪魔にならないよう端に座ってお祈りを聞く。お祈りの休憩の際、僧にどこから来たのかなどと尋ねられる。Ladakhではなかったことだ。お祈りを終え、僧はどこかへ去っていく。世話人の若い男がいろいろと話しかけてくる。どこから来た?Zanskarは何日いるんだ?ここはどうだ、いいところだろう?そんなたわいのない会話ができた。

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車は北東に進路を取る。次の目的地はTondey Gompaだ。勾配のない道で、見渡す限り見事なまでになにもない。Tondey村はZanskar川の東岸にあり、村の外れにある岩山に村を見下ろすようにTondey Gompaが建っている。とても歩く気になれない岩山を上りきりGompaに到着。ZanskarではKarsha Gompaに次ぐ大きいGompaだ。ここから見下ろすと、Tondeyの村や畑が一望できる。中庭を囲むようにお堂が配置されている。訪問客に気がついた僧がいくつかのお堂を開けてくれたので、内部を見学する。見学後、修復作業をしている村人の写真を撮る。女性が多く、子供を連れてきている人も多い。外国人が珍しいようで、子供たちは興味津々といったところだった。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(2)

道路に面しているこの宿では車の音がうるさく、ほとんど眠れなかった。かなり熱いお湯が出る以外、Lehの宿のほうがずっと居心地がいい。

5時。ドライバーが迎えに来た。「Zanskarまで12時間は見てください、なにかあったらさらに時間は延びるので早めに出発してほしい」といわれこの時間に出発することになっていた。移動に加えて、途中摩崖仏をひとつ、Gompaをひとつ見学予定があったのでこの時間設定は正しい。

昨日Kargilの宿に来ていたドライバーと挨拶。フセインさん、陽気なムスリムだ。川沿いを走っていると「You know this river ?スル''ガワ''」と日本語を交えた説明をしてくれる。まだ暗闇のKargilを抜けると、放牧に行く人たちが何組も見られた。この辺りの道は舗装されており、スムーズなドライブ。眠気もあるが、陽気なドライバーと話をしているうちに目も覚めてくる。

1時間ほど走り、Sankuという村で摩崖仏を見に行く。車は街道を外れ、川沿いに走っていく。集落を通り抜け、小川を見ながら少し進んだところで車を止めた。小川沿いに少し歩くとドライバーが上を見ろという。川岸の崖に突然摩崖仏が現れた。まだ薄暗い空を背景に摩崖仏を見上げる。7-10世紀ごろに彫られたものらしい。Mulbechで見た摩崖仏よりも神秘的な気がする。やはりこれは街道沿いと少し離れたところにある違いだろうか。

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Sankuを出発すると、街道沿いに見える家が少なくなってきた。この辺りは川沿いに集落が点在している。Panikhorという村に到着。ここにフセインさんの自宅があり、朝食となった。Kargilを出発した直後に、ご自宅へ連絡していて準備していただいていたのだった。朝食をいただき、ひと休み。フセインさんは朝食を運んでくれるものの一緒に食べることなく、なにやら家族と話しているようだった。この理由はLadakhを離れて知る。

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Panikhorを出て少し進むと山道に入り、車は高度を上げる。そして道の舗装も途切れ、土の上を走ることとなる。雪解け水が路面に流れ、ぬかるみとなった道を走り始める。坂道でもあり、スピードは出ない。陽気なフセインさんも口数が減ってきた。フセインさんには申し訳ないが、この辺りから景色は絶景が続き、ずっと見とれていた。遠くには雪をかぶった山々が、道路沿いにはみずみずしい湿原が見られる。NubraやTsu Moririに行ったときもさることながら、この景色はなんとも口に表せられない。この日から3日間晴天が続き、Zanskarで会う人もこんなに天気のいい日はそう続かない、というほど青空が美しかった。そんな景色を見ていると、いつのまにか時間が過ぎてしまっていた。

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悪路を走り続け、ようやくJuldoという村で休憩となった。「いいか、ここからPadumまで食べるところはもちろん、食料を手に入れるところもない。チャイも飲めない。だからなにか必要なものがあったらここで買っておいてくれ」と言われる。Juldoは湿原の中に数軒の集落がある程度の村だが、このルートでは貴重な補給地点だ。簡易宿舎も建っている。シーズンにはテントも張られそうだ。旅行者の車が何台も止まっていても、すべてインド人。日本人はもちろん白人の姿も見られない。まだシーズンには早いようだ。

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小休止のあと車は出発する。Ladakh最後のGompaであるRangdum Gompaへ向かう。小高い丘の上に建つこのGompaは2000年7月に武装ゲリラに襲われる事件が発生し、3人の僧が殺されている。そのため、今でも丘のふもとには警備員がおり、チェックを受ける。丘の上に着き、Gompaへ行く。数名の僧がいたが、これまでLadakhで入ったどのGompaと比べても世俗的。「おー外国の方かーどこから来たー?え、日本?!そうかそうか」と肩を叩かれ、「ほら、おれたちの写真撮れー」とこちらがひるむほどだ。なにが彼らを陽気にさせていたのか、いまだに謎……。

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Rangdum Gompaを出発。地図ではまだ集落があるようだが、車からはほとんど見えない。だが、突然、道の横にある岩の脇に座っているご婦人方が現れた。「フセインさん、彼女たち、どこから来たの?近くに集落ないでしょう?」「だから、あの辺から歩いて来ているんだって!」「あの辺ってどこよ?」「だからあの辺!」指さす方向、なにも見えない……。まあ、とんでもなく遠くから来ていることだけは間違いないが、さてなにしに来ているのだろうか?動物を放牧している様子もない……。とはいえ、4000mを超える高地を歩いているだけでも、頭の下がる思いである。フセインさん、このルートでは相当な顔で、このご婦人方とも顔見知りのようだ。行く先々で顔見知りと挨拶している。(開通してから10日ほどしか経っておらず、今シーズン初のZanskarとのことだった)

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次のポイントはPensi La、4400mほどの峠だ。もちろんこのルートで最も高いところとなる。Ladakh側は緩やかな上りが続く。路面は相変わらず雪解け水でぬかるんでいるところが多く、20㎞/h程度しかスピードが出せない。このスピードを保ちつつ運転しているドライバーの忍耐には、恐れ入るばかりだ。ようやく到着。記念撮影。道路から離れたところにコンクリートの建物があり、屋上で作業員が2人ほど横になって寝ていた……。恐れ入るばかりである。

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 車は下りになってもスピードが出せない。いや、下りのほうが怖い。Zanskar側のほうが傾斜が急だ。右側に白い塊が見えてくる。Darag-Drung 氷河だ。だが、氷は思ったほど多くなく、ちょっと期待外れ。車はさらに下り、雪解け水が集まってできたかのような小さな池が見えてくる。写真を撮るにも車は止まれない。この辺りで物資を運んでいるトラックがを何台も見る。物資を満載に積んでおり、スピードが出ない。道が細くなかなか抜けるところもないので、そのたびにフセインさんもイラついている。しかし、普通車でさえ、12時間近くかかるというのに、トラックだとどれくらいかかるのだろう……。ただ運転しているのではなく、この悪路である。前職で遣っていたタイ人のトレーラードライバーに運転させたら、なんというかな?とふと思う。

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下り道も緩やかになると、ぽつぽつと集落が見えてくる。ところどころで手を振ってくる子供たちもいる。スピードは相変わらず出せずに、車は進む。この日の宿泊予定地はUftiという村。Padumより少し手前らしい。近くまで行くものの、なかなかHome Stay先にたどり着けない。なんどか道を尋ね、最後に尋ねたのが家主だったというオチもあったが、18時半、無事に目的地に到着できた。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(1)

 Tsu Moririから戻り、1日ほどLehに滞在。この時点でカトマンズ行きのフライトまで10日ほど残していた。

Zanskarへ行きたかった……。ラダックの南にあるZanskarは、幾重にも連なる険しい山々に囲まれた地域だ。中心地であるPadumまで通じている車道は、KargilからPensi Laを通じて入る道路のみ。冬はこの車道はもちろん、外界と結ぶ峠も雪で塞がってしまうまさに陸の孤島だ。冬は凍った川の上を歩くチャダルが唯一の手段となる。バンコクを出る前、Zanskarへ行けるか確認したところ、その時点ではKargilから先が開通していないが、私の滞在中には開通するだろうとのことだった。予想通り、下ラダックを旅行中に開通したので、空いた1日を使って代理店の方と詳しい日程を詰めることにした。

実をいうと車のチャーターなどでこの時点でほぼ予算を使い果たしていた。Zanskarは中心地であるPadumまでKargilを経由して片道2日かかる。そのためZanskarに3日滞在すると6泊7日となり長丁場だ。車も他の地域より少し高めの設定だ。だがここまで来て時間には余裕があるのに行かないのは絶対に後悔するだろう。なんとか金策をして?行くことを決めた。KargilはラダックでLehに次ぐ第二の街で、イスラム教徒が大半を占めている。そのためか、LehからKargilへ行く車は仏教徒のドライバーでかまわないが、Kargil発はムスリムでないとならないというルールがあるそうだ。そうした事情もあって、初日はKargilまでこれまでと同じドライバーで行き、Kargilから先はムスリムのドライバーということになった。Gompaによってはムスリムの立ち入りを禁止するところがあるからだ。Zanskar内の移動は別のドライバーになるらしい。またZanskarに宿泊する4日はすべてHome Stay。今回、Home Stay先はすべて代理店の方の親戚宅であり、事前に連絡を入れておいてもらうことになった。

7時にLehを出発。下ラダックへ行った道と同じルートを走る。これまでに見たGompaで最も気に入ったRizong Gompaにもう一度立ち寄ってもらった。Ule Tokpoからひたすら登る道は、まさに人里離れたGompaのイメージだ。ようやく僧房が見えてくると、数日前来た時とは様子が違い、多くの車が止まっていた。明日、なにか大きなイベントがあるそうで、その準備のため多くの僧や信徒が集まっているとのことだった。上階の本堂に行くと、多くの僧がお祈りをしているようで、中に入る雰囲気ではなかった。スピーカーから流れるお祈りを聞きながらしばらく待つと、お祈りを終えた数十人の僧が本堂から出てきた。どうぞ中にといわれて、中に入る。ラダックで入ったGompaでここだけは流れている空気が異なっているように感じだ。敬虔なその雰囲気に圧倒される。その後、別のお堂でこちらは少年僧がやはりお祈りを始めてそちらにお邪魔する。Rezong Gompaの麓にはNunnery、尼僧院もありこちらからも多数参加しているようだ。総勢100人を超えていた。端にひっそりと座りお祈りを聞く。風貌が明らかに違う異邦人が珍しいのか、お祈りをしながら少年僧はこちらをちらちらと見てくる。やはりまだ子供だ。小休止となりパンのようなものが配られた。これまでに見たことのない大きく厚手のものだ。ラダッキブレッドと呼ばれるもののようだ。私にもひとつ配られ、ドライバーと一緒に食す。大量に作ったもののひとつで冷めており、全部食すことができなかった。再びお祈りが始まったあと、用意していた飴を若い僧に託し、Rezong Gompaをあとにした。

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西へ進みこれも一度寄っているLamayuru Gompaへ。Gompaの奥にあるセンゲガンというお堂を見つけることができなかったため再訪問だ。センゲガンは村へ降りていく途中にあり、前回近くまで来ていたのに気がつけなかったらしい。私が見つけられないことを心配して、今度はドライバーも一緒に来てくれた。狭いお堂に古い仏像と壁画がある。狭くて静かな空間が心を落ち着かせてくれた。

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さらに西へ進み、Mulbechという集落で摩崖仏を見に行く。道路に面した巨大な岩に彫られており、脇に小さなお堂がある。7,8世紀頃に造られたそうだ。なんのために崖にこんなものを彫ったのだろうか。

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摩崖仏の向かいに小さなレストランがあり、ランチ休憩。シンプルに卵チャーハンだ。

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Mulbechの手前からはイスラム圏に入る。歩いている人もムスリムが多くなってきた。Kargilの手前から道が悪くなってくる。工事をしている区間が長い。そろそろ疲れてきたと思ったころ、突然道が開け、目の前にLehを離れて初めて街といえる住宅地の塊が目の前に広がっていた。1999年にパキスタンとの紛争で砲撃を受けたという国境に近い街。だがそのような傷跡を見つけることもなく、商業都市のようだ。指定された宿にチェックイン。明日からのドライバーと挨拶を交わし、明日のピックアップ時間を確認。ひとりになって、地図を見てもどこを歩いているのかわからず、レストランも見つからない。5分ほど歩いたところにあるホテルの中のレストランで食事。夜でもブッフェがメインだが、オーダーで作ってもらう。これから5日間、食生活は厳しいものとなる。最後の晩餐と思い、金額に目をつぶって食すとした。

【Book Review】『盤上の向日葵』(柚月裕子)

藤井聡太4段の活躍もあり、将棋ブームが沸き起こっている。そんなブームに乗って書いた一冊かと甘く見て読み始めたところ、その思いはすぐに一蹴された。

将棋の街天童市で行われているタイトル戦会場に刑事が訪れるところから物語は始まる。

白骨化された死体と一緒に埋められていた600万円もの価値がある将棋の駒を追い続ける警察。母親を亡くし、父親に虐待される将棋好きの少年。二つの物語が交互に描かれる。奨励会を退会した刑事もさることながら、やはりこの物語の主役は少年の壮絶な人生だ。小池重明をほうふつさせる真剣師の強烈な個性が、さらに物語を引き立ててくれる。金には汚いが、並々ならぬ将棋に対する執念。この狂気に巻き込まれた少年の先に待つ人生は栄光か、破滅か?!

人生のどうしようもないやるせなさに思わず涙が出そうになった1冊。直木賞候補にもなった「孤狼の血」に劣らない作品だ。

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