Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

『ラサへの歩き方~祈りの2400㎞』を見に行ってきた

こんな映画知らなかった……

12月23日からアンコールロードショーということで早速行ってきました。

チベット自治区にある小さな村の住人11人が、ラサそして聖地カイラスを巡礼に行くという、それも五体投地で。気の遠くなるような旅だけど、熱心な信仰者にとっては死ぬまでに一度はやっておきたい儀式のようなものだろう。

ストーリーは盛り上がるシーンもなく、淡々と進む。ドキュメンタリーだから当然かも。巡礼のルールのひとつにズルをしないということがある。荷物を運んでいる車を壊されたにも関わらず、壊した相手を許し、さらには自分たちで台車を引っ張ったあと、それを置いてまた戻ってから五体投地を行うシーンはさすがに参った。信仰心の強さがなせる業だろう。マニ車を回しているシーンが少なかったが、ラダック/ザンスカールでは暇つぶしに回しているんじゃないか、と思うくらい、特に老人はみんな手に持って回しているんだけどな。人生の後半、カイラスに行ってこんな最期を自分も迎えたい。

この作品を中国人(恐らく漢民族)が作ったというのはかなり意外。どういう気持ちで作ったのか、問いただしたい。

自然の美しさをバックにチベットの人たちの素朴な思いが伝わってきた作品。

www.moviola.jp

Pumpuikun的2017年十大ニュース

2017年を振り返る意味でちょっと書いてみる。

10位:自転車購入

日本で生活を始めて困ったのが移動手段。以前は車があったが、父親が免許返納したため廃車に。田舎生活に車は必須だが、買うお金もないのでとりあえず自転車を購入。高校生以来の自転車。少しは運動不足の解消になればと思っている。

9位 :人とのつながりが増えた

タイで生活している後半は新しく知り合う人が全くいなかった。Cloesedな世界に住んでいたわけだが、帰国してセミナーに出たり仕事を始めたことで、多少ではあるが知り合う人が増えてきた。人見知りな私であるが、このような縁は大切にしていきたい。

8位 : FBアカウント凍結

帰国して1か月が過ぎたころ、突然アカウントが凍結された。全く心覚えがなく、怒り心頭である。写真を失ったり、なんにんかは連絡が取れなくなってしまっているのが悲しい。

7位 : 旅のスタイルに変化

いつもは一人旅の自分だが、今年は4泊(タイ国内)、8泊(ネパールトレッキング)、10泊(インドネシア)と同行者のいる旅行をした。日本語が通じ、現地事情に通じている方が一緒にいるのは心強かった。それ以上に日本語で会話ができること、食事のバリエーションが増えることは本当にうれしかった。さらに交通費を(部屋をシェアしたときは宿泊費も)節約できるのも、予算の限られた旅行者にとってはありがたかった。これまで自由を求めて一人旅にこだわってきたところがあるけれど、これからは複数で旅をするのもいいかな、と思うようになった。

6位 : インドネシア初入国

東南アジアのひとつに数えられている国だけど、これまで一度も足を踏み入れることがなかった。今回縁あって11日ほど旅行をしたわけだが、同行者や親切な現地の方にも恵まれて楽しく旅行できた。

5位 : 取材チームに同行

インドネシア旅行はある取材チームに同行させていただいたわけだが、プロの仕事ぶりはさすがだった。取材チームの方にとっては普通のことでも、初めてこういう仕事を見る私にとっては得難い経験であった。

4位 : 日本で仕事を始める

18年ぶりに日本で生活を始めて、仕事を始めた。幸いタイ語を使う仕事で収入を得られているが、いつまで続けられるか。タイ語+αが必要であると思っているが、まったく見えていなかったαの部分が少し見えてきた感じ。これまで自分が思っていた自分に全くない能力だと思っていたものが、角度を変えると見えてくるものが変わるということか。もちろんこればかりでは食べていけないので、そのほかの収入の糧も探していく。

2位 : ネパールでのトレッキング

2、3位は順位つけられず。

昨年末の時点で旅行に関する夢のひとつとしてネパールでのトレッキングが挙げられていた。体力的なこともあり、期間は短かったものの、ネパールの方の協力も得られてようやく実現した。あの景色とカリガンダキの風の強さは一生忘れられない。

2位 : ラダック / ザンスカール旅行

これも旅行に関する夢のひとつだったチベット文化圏の旅行を実現できたこと。ヌブラ渓谷の景色やイスラム圏を垣間見ることができたこと、ザンスカールのすばらしさを知ったことは今後の旅に影響が及ぼしそう。

1位 : 退職して日本へ帰国し生活を始めたこと。

18年ぶりに日本に本帰国して生活を始めている。まだまだ落ち着いた生活といえるほどではないが、2018年はもう少し仕事を増やしていければと思っている。

2016年の大みそかと比べたら、精神的にずーっと健康な2017年の大みそかである。2018年はさらにいい年にしたいものです。

ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(6)

Hongchit村のHome Stay先にたどり着いたものの、家主は農作業から戻っておらず、しばし家の外で村の風景を眺めていた。ようやく現れた若い女性の家主は、幼い子供をふたりも連れて「遅くなってすいません」といいながら、部屋へ案内してくれた。荷を下ろし、トイレの場所を教えると家主はすぐに外へ出て行った。まだこの日の作業が終わっていないらしい。しばらくしてすると、子供たちが部屋の外から見たことのない異邦人の様子を窺うように視線を投げかける。おいでおいでといっても恥ずかしいらしく、近寄りさえしない。部屋にいてもすることがないので、再び外へ。人の姿はほとんどない……。遠くの畑で人が動いているのがかすかに見える程度。この地域も家と家の間が広い。どこからともなく牛を連れた家主が現れた。あとを着いていくと、水を飲ませに水場へ連れて行った。幼い子供ふたりは母親から離れることもない。子供のいない私は子育ての苦労を身をもってわかっていない。しかし、これだけまとわりつかれると、仕事もなにもあったものじゃないんじゃないか?そんな苦労が伝わってくる。

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家主は家に戻ったが、子供たちは少し外に居たかったようだ。なにやら棒をもって勝手に遊んでいる。ずっと村の景色を眺めていた。雄大な山々というわけではないのだが、どことなく落ち着いた村だ。景色のスケールは違うものの、以前行ったことのあるチェンライの山岳地帯にあるアカ族の村と少し雰囲気が似ている。傾斜のある土地になぜ人は住みたがるのか?Home Stay先は山の中腹とでもいうような場所にあり、さらに高い場所にも家の姿が見ることができた。ようやく現れた村の子供たちの写真を撮ったりしていると、山の上のほうから黒や白の物体が数多く駆け下りてきた。なかなかの勢いである。f:id:pumpuikun:20171209210228j:plain

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ヤギのようだ……だれが仕切っているのかわからないものの、山の上のほうで、別方向に向かったヤギもいた。どうやって確認しているのだろう……数回に分かれ、このような放牧帰り?の姿を見てから寒くなってきたので部屋に戻ることにした。

部屋に戻ると子供のひとり、年上の子供がじゃれてまとわりついてきた。子供の相手はあまりしたこともないが、ボクシングのまねごとで相手していると、子供も喜んで相手をしてくるようになった。年下の子は母親が家事をしているところから離れず、ずっとそばについている。

家主から「食事までちょっと時間がかかるので、これでも飲んでください」とスープが出される。シンプルな味だが体が温まる。

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小一時間ほどしてフセインさんが家主の母親を連れて戻ってきた。初日に泊まった家にもいた老婆だ。両家を行き来しているそうだ。家主のご主人は軍に入っており、年に数か月しか戻ってこられないらしい。その間、女性が家を守っているそうだ。NyomaでもKorzokでもhome Stay先は女性しかおらず、旦那はどうしているのだろう?と思っていたのだが、放牧や出稼ぎなどで村を離れているパターンが多いのだろう。女性はたくましい……。

しばらくして食事が提供された。野菜のスープとティモと呼ばれる小麦を練って蒸しあげた蒸しパンのようなものだ。

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一夜明け、フセインさんが迎えに来た。朝食をいただき荷物をまとめた。Zanskarでの食事事情もわかり、そろそろ先が見えてきたので、非常食として持ってきていた食料を少し置いていくことにした。配りまわっていた飴のほか、チョコやポテトチップなどのおやつがメインである。子供たちは喜んでいた。一通りそうしたやりとりのあと、Home Stayの代金を払うのを忘れていたことに気づき、払おうとすると拒否された。これまでの2軒も最初は拒否したが、最後は受け取ってくれたのだが、この家主は頑として受け取ろうとしない。フセインさんがいうには、昨日子供たちと遊んでくれたうえにこんなにおやつをもらい、さらにHome Stayの代金なんてとんでもない。こちらこそありがとうございます、絶対に受け取ることはできません、ということだった。若いながらも意志の強そうなその目を見て、お言葉に甘えることにした。

日本で働くタイ人

日本で生活を始めて知り合った人の中に、日本で働くタイ人が何人かいる。日本で働くタイ人というと、タイ料理店やマッサージ、またはちょっとイリーガルなビジネスというイメージがひと昔前までは強かった気がする。ところが私が知り合った方々は、いわゆるホワイトカラーの職に就いている。

自分がタイに行くようになったころ、タイと日本を結ぶ飛行機でタイ人を見ることはあまり多くなかったと思う。2000年ころから機内でタイ人を見ることが徐々に増え、ノービザで日本に入国できるようになってからは、日本へ観光に来るタイ人は決して珍しい存在ではなくなってきている。そして最近では日本で働くタイ人も増えているようだ。

自分が出会ったタイ人は日本へ留学後、そのまま日本に住み続けている方々だ。日本に留学できる階層のタイ人だから、決してタイでも貧しい人ではない。そこそこ裕福な家庭で育っているはずだ。そんな彼らは、日本の生活のほうがタイに戻るより居心地がいいそうだ。特に日本人と結婚しているわけでなく、日本に住みたいから日本で働く。もちろん永住を考えているタイ人は決して多くなく、タイに戻ってから、日本での就労経験が就職に有利になることを期待して働いている人もいると思う。

タイと日本との関係は、日本人の気づかないところで徐々に変わりつつあると思う。

 

ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(5)

Zanglaをあとにする。最初の目的地はPadumの南にあるMuney Gompaだ。車はZanskar川沿いに走りPadumへ向かう。昨日行ったTondey Gompaを左に見ながら車は順調に進む。しかし、この辺りの景色は本当に美しい。Padumを通過すると、道が悪くなってきた。一部は石の上を走るような道のうえ、道幅も狭い。なんどもヘアピンカーブを曲がるが、切り返しが必要なこともしばしば。雪解け水で道が寸断されているところもあり、かなりの悪路。Ladakh/Zanskarで最も道がひどかった。要塞のようなBardan Gompaを通り過ぎ、ようやくMoney Gompaに到着。しかし人気がない……。僧どころか村人さえ見当たらない。当然ながら鍵がかかっており、中に入れない。諦めて帰ろうとすると、遠くから太鼓の音や人の声が聞こえてきた。ドライバーに音がする方へ行くように頼む。ますます道がひどくなってきた……。少し走ると空き地に人が集まっていた。村をあげてのアーチェリー大会である。

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近づいて写真を撮っていると、ここに座れといわれ、チャイがふるまわれる。的まで4,50m離れているだろうか、難しいようでなかなか当たらない。当たろうと当たるまいと、矢を射るたびに大騒ぎ、太鼓も鳴り続ける。この地ではハレの日なのだろう。みな楽しそうだ。そろそろ出発しようと思いその場を離れると、ひとりの村人が追いかけて話しかけてきた。「さっき撮っていた写真、よかったらGompa宛に送っていただけませんか」。そういえば、写真を撮っている人も多くなかった。いつになるかわからないが……と答えてその場を去る。

本当はこの先にあるPhugutal Gompaまで行きたかったが、さらに車で走ったあと、半日以上歩かなければならないので断念。写真を見ると、崖の上にへばりつくように白い僧房が建ち並ぶ姿は印象的だ。Zanskarで一番の心残りとなったが、今の自分にはちょっと厳しい。もし、もう一度Zanskarへ行くことができれば、絶対行くと心に誓っている。

同じ道を引き返し、Bardan Gompaへ向かう。LadakhでもZanskarでもそうだが、小高い丘の上に建っているGompaが多い。このBardan Gompaも、丘の上に要塞のように建っている。入り口に村人がたむろしていた。ここもどうやら修復作業を行っているらしい。中に入り歩いて行くと、僧が下りてきてGompaまで案内してもらう。「犬に注意してくださいね」どうやら飼っている犬が我々を襲うのを恐れ、心配して下りてきたようだ。このGompaもかなり大きく、中庭の先にお堂が立っている。それにしてもLadakhもZanskarも修復しているGompaが多い。信仰心が強く、Gompaを保ち続けるという気持ちの強さの表れだろうか。ちょうど昼時だったので、みな休憩を取っているところだった。

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Zanskarできちんと食事をしようとすると、Padum以外ない。この日の行程はZanskar滞在中唯一Padumに寄る日だったので、昼食はPadumの食堂で食べることになっていた。Padumに戻ると、フセインさんに食堂へ連れて行ってもらう。そもそもZanskarの中心地といっても、日本の感覚では”村”である。まだ道路が開通したばかりなので、開いている店も多くない。2階にあるその店に入ると、フセインさんは、じゃああとでといって去ってしまう。メニューの種類は豊富だが、やはり実際に作れるものは多くない。結局Egg Chomenを選択。久しぶりに豪華な食事を口にする。会計を済ませて店を出る。辺りを見回してもフセインさんが見つからない。仕方ないので、通りをぶらつく。ガイドブックの地図を見てもここがどこかまったくわからない。雑貨屋があったので、飴を買っておく。Ufti村だけでなく、Zanskarではどこもお菓子が喜ばれた。たいした額でもないので、大目に購入。この程度で喜ばれるのなら安いものだ。しばらくして、フセインさんが現れる。今シーズン初のPadum入りということで、顔の広い彼は挨拶に忙しい……。f:id:pumpuikun:20171113221503j:plain

Zanskar最大のGompa、Karshaに向かう。村に入ると、川で洗濯をしている人が目立つ。村自体もかなり大きく、人も多そうだ。Karsha Gompaも丘の上に建っており、車は丘を上がっていく。Zanskar最大のGompaというだけあって中庭も広い。子供の僧が多く、この日は中庭で遊んでいる少年僧も多かった。勝手に見て行っていいぞーということだったので、開いているお堂を見学。Gompaはかまってくれるところと放っておかれるところの差が激しい。TundeyやKarshaはかなり大きいが、勝手に見ていけって雰囲気。Nunneryはどこも親切な対応。

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Karsha Gompaをあとにして、村のふもとにあるChambalingというお堂に行く。お堂の中には8mほどの摩崖仏があるということで楽しみにしていたが、カギを持っている村人が出かけているとのこと。しばらく待つも戻ってこないため、断念する。

近くのChuchigjal Nunneryへ向かう。ここも子供、小中学生くらいの年頃の僧が多い。本尊にある像はかなり大きく、印象に残っている。

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Gompaを多く見過ぎ、宗教に関する知識が欠けている自分にとって、その違いを語ることは難しい。ただ、訪れる人が多くないGompaほどHospitalityを感じるような気がする。

丘の中腹を車は走り、Hongchet村へ向かう。今日のHome Stay先は最近家を新築したばかりとのこと。ドライバーも場所がよくわからないらしい。なんどか村人に尋ねながらようやく到着。家にはだれもいない。農作業がまだ終わっていないらしい。家は新しく、二階の窓はまだガラスが入っていない。しばらくすると若い女性が「遅くなってすいません」と現れた。幼い子供をふたり連れて……。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(4)

車はさらに北東に進み、Zanglaへ向かう。この村にはかつてはPadum王家とZanskarを二分して支配していたZangla王家の末裔が今でも暮らしているそうだ。まずは北外れにあるNunneryへ向かう。Zanskarには意外とNunneryが多い。小高い丘の上に建つGompaに着くと、洗濯をしていたり、壁を直したりしていた。この日は男性の僧も来ており、それを手伝っていたりしていた。尼僧の多くは子供だ。タイでは口減らしで寺に預けられる子供が多いのだが、Zanskarではどうなのだろう?ここでZanskar滞在の間、唯一の白人旅行者と出会った。夫婦で来ているこのふたりは、ドライバーのほかに通訳も同行させていた。英語ではない言葉を使っているようだった。その後、かれらとは何度も出会うことになる。写真を撮っていると、まだ幼い子供ひとり、ずっとこちらを見ている。聞くとまだここにきて3週間、3歳とか……。ここにいる子供(尼といっていいのか?)の中でもちろん最年少だ。カメラを向けると怖がるとか喜ぶとか、なにかしらの反応があるのが普通なのに、ここまで無反応な子供は珍しい。それでも、最後は車を止めてあるところまで、老僧と一緒に見送りに来てくれた。

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次にZanglaで見るべきものは旧王宮である。ドライバーがカギを持っている管理人を探す。こうしたことはひとりで来てはなかなかできない。ようやく管理人を見つけ、車に乗って旧王宮跡へ向かう。無数のチョルテンが建ち並ぶ先にある岩山の上にZangla王家の旧王宮がある。車を途中で止めて、岩山を登る。鍵を開けてもらい中に入ったが、中は崩壊状態だ。一番上の3階の小部屋に1823-24年にアレクサンダー・チョーマ・ド・ケーレスというハンガリー人が滞在していたそうだ。厳しい寒さに耐え、ここでチベット語の研究と資料収集に励んだとのこと。この地で冬を過ごすということは、想像を絶する苦行だ。河口慧海に通じるものがある。ここにノートが置いてあり、名前を残しておいた。かなり崩壊が進んでいるが、修復作業も始まっているらしく、保存されることを祈りたい。

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旧王宮を降り、しばらく村の中心地でぼーっと過ごす。この日はHome Stay先に行くだけで、特にすることもない。人も歩いていない……。

することもないので、Home Stay先へ移動。しかしZanglaは狭い。道なき道を走ると、5分もしないうちに到着。まだ14時を回ったくらい。することがない……。荷物を置いて、もう一度村の中心地へ行く。今度は学校を終えたのか、子供たちがちょこちょこ現れるので、写真を撮っていた。それにも飽きると、少し車で村を周る。軽トラックに商品を積み、売りに回っている商人がいた。

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この日のHome Stay先は老夫婦のみの住まいのようだ。部屋に案内されるとすぐに主は外へ出て行った。少し離れたところで農作業をしているようだ。ドライバーはどこにでも行きたいところに行くぞーといってくれるが、どこへ行けばいいかわからない。あえていえば対岸の村にあるNunneryくらいか?Home Stay先から集落がすぐ見えるのに、片道1時間はかかるといわれ(橋がないので遠回りせざるをえない)、歩く気にもなれないので部屋で寝ていた。

日が沈むころになって、老夫婦が家に戻ってきた。しばらくすると、ここでも太鼓が叩かれる音が聞こえる。食事の準備を始める知らせなのだろうか。3人で一緒に夕食を食べる。ご主人は色々と話しかけてくれるが、互いに英語がそれほどできるわけではないので、コミュニケーションに苦労する。ある小冊子を見せてくれた。日本人とチャダル(凍った川の上を歩く)をしたときの写真集だ。「あなたも次回はやってみませんか」「いやーもう年ですし……」「私、このとき〇〇歳ですよ」その年齢を聞くと、今の私とほとんど変わらない……。大学時代、山岳部を一年で退部した(体育の単位目的だった)軟弱者には無理だ。しかし、地元の人にとってチャダルは日常であり、生活手段である。そのたくましさには頭の下がる思いである。

翌朝、7時過ぎに起床。どうもZanskarに来てからよく眠れるようだ。夜目覚めることもなく、こんな時間まで寝ることはタイで働いていたときには考えられない。すでに朝食は準備されており、老夫婦は外に仕事に出ていた。私が部屋から出たのが見えたのか、奥さんが戻ってきてくれる。食事の間、そばにいてくれるが、肩が痛いとぼやいている。ネパールでトレッキングをしたときに使わなかった筋肉痛用のクリームがあることを思い出し、置いていくことにした。Zanskarにいる間に使うこともないだろう。タイに戻ればいくらでも手に入る。

食後、身支度をしているとドライバーが迎えに来てくれた。少ないながらも宿泊料としていくばくかのお金を渡そうとするが、ここでも拒否される。なんとか説得して置いて行く。現金収入、決して多くないはずだが、ありがたいことである。

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ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(3)

13時間半かけてようやく目的地のUftiに到着した。道を尋ねた男性はこの家の主で、なかなか来ない我々を待つために道路まで出て待っていたらしい。ありがたいことである。車から荷物を下そうとすると、フセインさんがバッグはどれを下す?水は何本必要だ?と尋ねてくる。明日から車が代わると聞いていたので、すべて下すと答え、彼もわかったといって荷物を全部下ろし始めた。部屋に荷物をすべて入れると「ところで明日は何時に来ればいい?」という。Uftiに着く直前に代理店から電話がかかってきて、なにやら話していることは知っていた。急遽、フセインさんがこの後の行程すべて対応することになったようだ。先に言ってくれれば、荷物をすべて下す必要もなかったのにと思いながら、この陽気なムスリムとこれからも旅を続けられると思うとちょっとうれしくなった。

案内された今日の寝床は、これまでのHome Stay先同様、床にゴザを敷いている部屋だった。寒さが気になったので寝袋も持ち込んだが、部屋にあった毛布だけで十分寒さをしのげそうだ。荷物を入れると、居間に案内される。最初は一緒にいたドライバーが間に入ってくれたが、彼が帰ると言葉が通じず、なかなかコミュニケーションが取れない。Home Stayといいつつ、その家の住人とコミュニケーションをとることはほとんどしていなかった。ようやく、地元の人との交流ができたような気がする。この主が一生懸命に話しかけてきてくれるのはうれしい。代理店の方の親戚ということもあり、ZanskarではどこのHome Stay先でも温かく迎えられた。しばらくすると家の中にある太鼓が鳴らされる。居間から見えない位置にあるのだが、どうやら主が叩いているようだ。Gompaとは違った音色だ。主が居間で料理を作り始める。なんとこの日はモモだった。皮をその場で作り、具材もここで混ぜている。まさに手作りだ。まさかZanskar滞在中にモモが食べられるとは思わなかったのでうれしかった。主、ちょっと張り切り過ぎじゃないかと思うくらいテンション高い……。21時を過ぎて食事、22時過ぎには就寝というパターンはZanskarでも変わらず、食後しばらく話をしているうちに眠くなったので、部屋に戻って寝ることとした。

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翌朝、さすがに疲れていたのだろう、なんと8時半にさすがに心配になったHome Stay先の方に起こされる。この日の日程はみんなが「こりゃゆっくりでいいぞー」というくらい短いルートだったので9時出発としていた。ドライバーが来て、さすがに心配になったのだろう。ようやく起きることができた。実際には6時ころ一度起きて、また寝てしまったらこんな時間になっていたのだけど……。

朝食をいただく。すると小学生くらいの娘が学校に行こうとしている。昨日はほとんどコミュニケーションが取れなかったが、持参した飴を渡す。ZanskarでのHome Stay先は一族から成功者が出ているようなので、比較的裕福な家庭が多いだろう。それでもこの娘に飴を渡すと目を輝いて受け取ってくれた。ミャンマーのチャイントゥン郊外の村で飴を渡しても(それも10年以上前だ)こんな表情を見せてくれなかった。この程度でこんなに喜んでもらえると、恐縮するばかりである。朝食を済ませ、慌てて準備をしようとすると「今日は本当に短いからもっとゆっくりでもいいぞー」といわれる。ここはZanskar、急ぐこともあるまい。

結局10時過ぎにHome Stay先を出発する。Home Stayでもここは当然商売にしているわけではないので、宿代は決まっていない。若干少なめと思いつつ、いくばくかのお金を渡すと固辞された。なんどかやりとりをしてようやく受け取ってもらう。このあと3か所、みな親族のところを周るのだから、渡す金額は一緒にしないと……などと日本人らしいことを考えてしまう。

出発すると目の前に小高い丘の上のGompaが見えた。最初の目的地のPipiting Gompaだ。歩いても行ける距離にあった。丘を登ると、ちょうど僧がお祈りを行っていた。邪魔にならないよう端に座ってお祈りを聞く。お祈りの休憩の際、僧にどこから来たのかなどと尋ねられる。Ladakhではなかったことだ。お祈りを終え、僧はどこかへ去っていく。世話人の若い男がいろいろと話しかけてくる。どこから来た?Zanskarは何日いるんだ?ここはどうだ、いいところだろう?そんなたわいのない会話ができた。

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車は北東に進路を取る。次の目的地はTondey Gompaだ。勾配のない道で、見渡す限り見事なまでになにもない。Tondey村はZanskar川の東岸にあり、村の外れにある岩山に村を見下ろすようにTondey Gompaが建っている。とても歩く気になれない岩山を上りきりGompaに到着。ZanskarではKarsha Gompaに次ぐ大きいGompaだ。ここから見下ろすと、Tondeyの村や畑が一望できる。中庭を囲むようにお堂が配置されている。訪問客に気がついた僧がいくつかのお堂を開けてくれたので、内部を見学する。見学後、修復作業をしている村人の写真を撮る。女性が多く、子供を連れてきている人も多い。外国人が珍しいようで、子供たちは興味津々といったところだった。

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