Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

退職希望者に対するいやがらせ

日本では退職を申し出た人間を辞めさせないブラック企業が多いと聞く。タイでも辞めるといった途端に嫌がらせをする経営者は少なからず存在する。

磯田はP社に現地採用として働いていた。磯田はどうしてもやりたいことがあった。タイ語を勉強したのち、磯田はそのやりたいことが実現できる会社、T社で働くことが内定した。だが、第三者による不手際により、磯田は内定を取り消されてしまった。ただ、T社は「今は無理だけど、1年後に君が応募すれば必ず採用する。1年後にもう一度応募してくれ」といってくれた。だが、実際には1年も無職でいるわけにいかない。改めて仕事を探していると、P社から誘われて働き始めたのであった。ただ、P社にはT社の話は一切していなかった。

P社で働き始めて10か月近くが過ぎようとしたころ、T社から連絡があった。〇月から採用したいのだが、まだ入社の意志はあるか、という問い合わせだ。磯田はもちろん入社すると伝えた。

磯田は退職日を決めて、その30日前にあたる金曜日の朝、社長の小川に1か月後に退職したいとの意志を伝えた。ここでもT社の話は一切せず、退職理由は転職したいということにした。小川は黙って話を聞き、わかったとだけその場を離れた。

この日の夕方、磯田は小川に呼ばれた。社長室に入ると小川は磯田のパスポートを放ってよこした。P社は社員のパスポートを預けることを義務つけられていた。

「これまでご苦労だったな。パスポートを返しておく。1か月後といわず、明日からもう来なくていいよ。引継ぎも一切不要。ビザも今日までになっているからな、急いで出国した方がいいぞ」

慌ててパスポートをめくると、ビザの取り消しスタンプが押されていた。この週末、磯田はT社のイベントに参加することになっており、バンコクを離れることができない。この時間に国境へ行っても間に合わない……。結局日曜日の夜行バスで国境へ向かった。イミグレーションではしっかりとオーバーステイの罰金を支払わされた。

※この話は10年以上前の話である。経験上、ビザの取り消しが退職日当日までとされたことはなかった。しかし、磯田の話を聞く限り、実際にこういうこともあるということだ。

女にはまった工場長

浅岡は日系製造工場で現地採用として働いている50代前半の男性だ。バンコクに本社が、郊外に工場があった。本社には日本から来た社長が常駐しており、工場には日本から来た工場長の古川と浅岡がいた。社長はバンコクにいることが多く、工場のことは古川に任せきりだった。

古川は50代半ば。専門学校を卒業後この会社に入社し、以来現場一筋に生きてきた。この日系メーカーは海外に進出しているものの、古川にとって海外赴任は初めてであった。子供は大きくなっており、妻だけが一緒についてきた。

浅岡は入社してしばらくは、古川の下で管理業務と生産管理全般を行っていた。タイ語はもちろんのこと英語もそれほど話せるわけではない古川は、タイ語の堪能な浅岡に頼りきりだった。年齢も近いこともあり、ふたりの関係は良好だった。

浅岡が入社して1年ほど経つと、生産量がだいぶ増えてきた。古川は浅岡には生産に専念してもらい、管理部門は日本語のできるタイ人に任せることにした。面接を経て、クンという20代後半の女性を採用した。クンは大学で日本語を学び、卒業後は日系企業で社長秘書や通訳、総務部門を経験していた。

クンが入社すると古川は浅岡を遠ざけるようになり、クンとばかり話すようになった。ふたりでこそこそと小声で話しており、浅岡はなにを話しているか全くわからない。しばらくすると、古川は外出の際、クンを連れて行くようになった。取引先との打ち合わせに帯同させているらしい。ふたりがオフィスにいる時間がだんだんと短くなってきた。このころ、浅岡はうるさいやつがいなくなってせいせいしたと思っていた。しかししばらくすると、浅岡のもとにクンに対する苦情がもたらされるようになった。浅岡の配下にあるスタッフやワーカーに対し「そんなんじゃボーナスあげないわよ」とか「なにさぼってるの!ちゃんと仕事しなさい」などと言うようになったらしい。浅岡が古川にその話をしても「まあ、彼女も一生懸命やっているんだから、いいじゃないか」などいって相手にしない。浅岡はスタッフの不満をそらすことに頭を抱えるようになった。

あるとき、古川は日本出張の際、クンを研修と称して一緒に連れて行った。一週間ほど日本で一緒に過ごしていたらしい。スタッフからの突き上げも激しくなり、浅岡はこの会社の雰囲気に嫌気がさしてきた。数か月後、浅岡は転職した。

転職して数か月後のある休日。浅岡は新しい職場の仲間とゴルフを終え、スクムビット日本食レストランで食事をとっていた。会計を済ませて店を出ると、見覚えのある顔が目に入った。古川であった。二十歳にも満たないタイ人女性と手をつないで、この店に入ろうとしていた。浅岡が唖然として見ていると、浅岡に気がついた古川はそそくさと逃げるように去っていった。「なんすか、あの人。変な人ですね、浅岡さんの知り合いですか?」と一緒にいた同僚に尋ねられたが、浅岡は「はぁ……」としか言いようがなかった。

しばらくして、古川に辞令が下った。日本へ帰任せず、インド工場へ転勤となった。妻は帯同しなかった。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)

本を探す

本屋で本を買わなくなって久しい。

読まなくなったこと以上に、ネットで買う、もしくは電子書籍を買うということが増えたからだろう。最初から買う本を決めている場合は、ネットのほうが便利。ただ、本屋で本を眺めていると、思わぬ本を見つけることもある。先日本屋で見つけた「日タイ対訳 日本紹介FAQ【日本語・タイ語対訳】MP3 CD付き」という本は、タイ語学習書の中に並んでいた本だ。本屋であてもなく眺めているとこういう出会いがあるから、定期的に本屋に行くことは必要だ。

以前、ある本を探していた。新刊では見つけることができなかった。アマゾンをはじめとした古本関係のサイトをいくつか回っても、販売当初の価格の2倍以上で売られているところばかりで諦めていた。ある日友人から「あの本、アマゾンでそんなに高くなく出ていましたよ~」と教えていただき、比較的安く購入することができた。それまで「新刊で手に入らない本は、販売当時よりずっと高いもの」というイメージだったが、これを機会にこの考えは消え、こまめにチェックするようになった。昨年からもう10冊くらいは買っているだろうか。先日1500円くらいで買った本が、今アマゾンを見ると5万円の値がついているのをみると、なんかうれしくなってしまう。

最近、20年くらい前に販売された本をいくつか見ているのだけど、結構高い値がついていて、なかなかクリックできない。昨年本の断捨離を行ったけど、こういうのを見ると、やっぱり躊躇してしまうんだよなあ。

日タイ対訳 日本紹介FAQ 【日本語・タイ語対訳】MP3 CD付

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手書きのタイ語を訳す

手書きのタイ語を日本語に訳す作業を行っている。まあ、読めないといったらありゃしない。タイではメールで送られてきたものを理解する程度だったので、きちんと翻訳する機会はほとんどなかった。また内容も仕事のことが多く、仕事を理解していないと、チンプンカンプンであることも事実だ。日本語をタイ語に訳す作業も行っているけど、こっちは日本語が抽象的かつ修飾詞が多いので、自分の知っている表現に持ち込むのに一苦労。いずれにせよ苦労しているわけだ。翻訳はその語学力よりも日本語力といわれるけど、本当そう思う。

ところで会社に提出するようなレポートでมัยとかอะรัยと書いているタイ人ってどうなんだろう?気にしすぎかな?

ラグビー大学選手権準決勝を見に行く

1月2日といえばラグビー大学選手権準決勝が行われる日である。

1990年代の数年は友人たちと国立競技場へ見に行き、帰りに明治神宮へ初詣に行くのが習わしだった。友人たちはいつの間にか結婚し、私はタイに住むようになったので、途切れてしまっていた。たまたま別の友人が誘ってくれたので、20数年ぶりに行くことにした。

当時は国立競技場で行われていたが、現在は秩父宮ラグビー場で行われている。ラグビーを見るならこちらのほうがずっと見やすい。最寄駅は外苑前。だが20数年ぶりに古巣の職場を見たく、ひとつ手前の青山一丁目で降りて歩いて行くことにした。

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古巣のビルを通りると、その変わりように驚く。さらに足を進め、社食にお世話になった総合商社の前を通り、待ち合わせ場所へ。友人がチケットを事前に買っていた。恐らく秩父宮初めてのメインスタンドでの観戦だ。早く着いたので、寒さに震えながら試合が始まるのを待つ。

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さて、第一試合は明治VS大東。明治は言わずもがなの伝統校。大東は自分が学生時代の強豪校だったが、最近は低迷している。ようやく復活の兆しが見えてきたといったところか。ゲームは大東が明治をスクラムで圧倒。前半は終始大東ペースだったが、後半明治が風上に立つとバックス勝負に出た明治のペース。バックスが展開し始めると大東のディフェンスがボロボロにされた。センター梶村の神がかり的なチャージからのトライなどもあり、明治が逆転で勝利。大東は攻めていながら反則やミスでチャンスを逃すというチームカラーが今でも変わっていなかった。どことなく不器用な大東は、自分と似ているところがあって好きである。一方フォワードにこだわらずバックスで展開する明治のラグビーは、自分が学生時代にはありえない。

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第二試合は帝京VS東海。去年の決勝と同じカードだ。前半東海がいきなりのノーホイッスルトライで面白くなるかと思ったが、さすが帝京。終始優位に立ち、いつのまにか逆転してゲームは終わった。東海はもう少し外国人選手の突破力を有効に使ってほしかったし、日本代表にも選ばれているフルバック野口にもっと積極的に攻めていってほしかったのだが、チーム事情もあるのだろう。野口のディフェンス、特にボール処理は学生レベルではちょっと抜けていた感があった。帝京のボール回しはベスト4の他校と比べて明らかにレベルが違う。さすが8連覇中の王者である。

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決勝は対抗戦でも帝京が勝利しているとおり、帝京圧倒的有利。明治がどこまで食い下がれるかに焦点は絞られそう。残念ながら当日は仕事先への移動日のため見ることができないが、明治の健闘を祈るばかりである。

恒例の明治神宮への参拝はなく、そのまま友人と新年会。ちょっと高級な焼肉屋で、今年の肉初めとなった。

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石焼きかきご飯が絶品だったことを記しておく。

 

『ラサへの歩き方~祈りの2400㎞』を見に行ってきた

こんな映画知らなかった……

12月23日からアンコールロードショーということで早速行ってきました。

チベット自治区にある小さな村の住人11人が、ラサそして聖地カイラスを巡礼に行くという、それも五体投地で。気の遠くなるような旅だけど、熱心な信仰者にとっては死ぬまでに一度はやっておきたい儀式のようなものだろう。

ストーリーは盛り上がるシーンもなく、淡々と進む。ドキュメンタリーだから当然かも。巡礼のルールのひとつにズルをしないということがある。荷物を運んでいる車を壊されたにも関わらず、壊した相手を許し、さらには自分たちで台車を引っ張ったあと、それを置いてまた戻ってから五体投地を行うシーンはさすがに参った。信仰心の強さがなせる業だろう。マニ車を回しているシーンが少なかったが、ラダック/ザンスカールでは暇つぶしに回しているんじゃないか、と思うくらい、特に老人はみんな手に持って回しているんだけどな。人生の後半、カイラスに行ってこんな最期を自分も迎えたい。

この作品を中国人(恐らく漢民族)が作ったというのはかなり意外。どういう気持ちで作ったのか、問いただしたい。

自然の美しさをバックにチベットの人たちの素朴な思いが伝わってきた作品。

www.moviola.jp

Pumpuikun的2017年十大ニュース

2017年を振り返る意味でちょっと書いてみる。

10位:自転車購入

日本で生活を始めて困ったのが移動手段。以前は車があったが、父親が免許返納したため廃車に。田舎生活に車は必須だが、買うお金もないのでとりあえず自転車を購入。高校生以来の自転車。少しは運動不足の解消になればと思っている。

9位 :人とのつながりが増えた

タイで生活している後半は新しく知り合う人が全くいなかった。Cloesedな世界に住んでいたわけだが、帰国してセミナーに出たり仕事を始めたことで、多少ではあるが知り合う人が増えてきた。人見知りな私であるが、このような縁は大切にしていきたい。

8位 : FBアカウント凍結

帰国して1か月が過ぎたころ、突然アカウントが凍結された。全く心覚えがなく、怒り心頭である。写真を失ったり、なんにんかは連絡が取れなくなってしまっているのが悲しい。

7位 : 旅のスタイルに変化

いつもは一人旅の自分だが、今年は4泊(タイ国内)、8泊(ネパールトレッキング)、10泊(インドネシア)と同行者のいる旅行をした。日本語が通じ、現地事情に通じている方が一緒にいるのは心強かった。それ以上に日本語で会話ができること、食事のバリエーションが増えることは本当にうれしかった。さらに交通費を(部屋をシェアしたときは宿泊費も)節約できるのも、予算の限られた旅行者にとってはありがたかった。これまで自由を求めて一人旅にこだわってきたところがあるけれど、これからは複数で旅をするのもいいかな、と思うようになった。

6位 : インドネシア初入国

東南アジアのひとつに数えられている国だけど、これまで一度も足を踏み入れることがなかった。今回縁あって11日ほど旅行をしたわけだが、同行者や親切な現地の方にも恵まれて楽しく旅行できた。

5位 : 取材チームに同行

インドネシア旅行はある取材チームに同行させていただいたわけだが、プロの仕事ぶりはさすがだった。取材チームの方にとっては普通のことでも、初めてこういう仕事を見る私にとっては得難い経験であった。

4位 : 日本で仕事を始める

18年ぶりに日本で生活を始めて、仕事を始めた。幸いタイ語を使う仕事で収入を得られているが、いつまで続けられるか。タイ語+αが必要であると思っているが、まったく見えていなかったαの部分が少し見えてきた感じ。これまで自分が思っていた自分に全くない能力だと思っていたものが、角度を変えると見えてくるものが変わるということか。もちろんこればかりでは食べていけないので、そのほかの収入の糧も探していく。

2位 : ネパールでのトレッキング

2、3位は順位つけられず。

昨年末の時点で旅行に関する夢のひとつとしてネパールでのトレッキングが挙げられていた。体力的なこともあり、期間は短かったものの、ネパールの方の協力も得られてようやく実現した。あの景色とカリガンダキの風の強さは一生忘れられない。

2位 : ラダック / ザンスカール旅行

これも旅行に関する夢のひとつだったチベット文化圏の旅行を実現できたこと。ヌブラ渓谷の景色やイスラム圏を垣間見ることができたこと、ザンスカールのすばらしさを知ったことは今後の旅に影響が及ぼしそう。

1位 : 退職して日本へ帰国し生活を始めたこと。

18年ぶりに日本に本帰国して生活を始めている。まだまだ落ち着いた生活といえるほどではないが、2018年はもう少し仕事を増やしていければと思っている。

2016年の大みそかと比べたら、精神的にずーっと健康な2017年の大みそかである。2018年はさらにいい年にしたいものです。