Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

タイ人に前金は厳禁?!

お金にまつわるトラブルは、日本よりタイのほうが圧倒的に多い。そこで自分が見たタイ人の不正例を一つ書いてみる。

この会社にはメッセンジャーと呼ばれる職種の人間がいた。経理から現金を受け取り、支払いを済ませ領収書をもらって帰ってくるというのが仕事だった。

現金を受け取るまでのフローは以下の通り。

1.営業課(仮称)が、必要な金額を算出。各ジョブごとに算出した金額を社内端末に入力。営業は1課から3課まであった。メッセンジャーは1日当たり10数ジョブを抱えていた。

2.経理課はその金額を1日単位で集計し、メッセンジャーに渡す金額を計算し、ジョブごとの伝票とともに現金をまとめて渡す。

現金を受け取ってからのメッセンジャーの仕事は以下の通り。

1.朝、受け取った伝票と現金を持って、支払いに行く。

2.受け取った金額は若干多めに見積もった額であるため、現金は必ず余る。メッセンジャーは社に戻った後、経理に領収書とともに余った現金を返却する。

簡単に書くとこうなのだが、実はもう少しややこしい。

・営業1課と2課の仕事で10,000バーツの支払いが発生したとする。しかしシステムでは営業1課、2課が同じジョブナンバーであるにもかかわらず、それぞれ10,000バーツの支払いが発生するという計算になってしまう。そのため、メッセンジャーに支払われるのは20,000バーツとなる。これはシステムのバグではなく、会社もわかっていたため、10,000バーツ返金されなければならないということで認識が一致していた。また、実際には10,000バーツ以下になるはずだが、念のため10,000バーツを持たせることを会社としても認めていたため、受け取ってすぐに10,000バーツを返却させるということもできなかった。

・朝受け取った現金は、当日中に支払業務を済ませることが社内ルールになっていたが、現実には日によってジョブ数のばらつきが多く、1日のうちに終わらせることができない日も多かった。この場合、担当部署(経理ではなく営業課)に連絡することで、数日の遅れは認めていた。

・支払いが済んでいないと、営業課は仕事を先に進められないのだが、実際に仕事をするのはメッセンジャーが現金を受け取った翌日から2,3日後になるため、支払いの確認がおろそかになっていた。(実際、全ジョブの支払いを確認していたら、時間が足りない)

メッセンジャーは結構な額の現金を手にすることになり、その管理も決して完ぺきというものでもなかった。あるメッセンジャーはこの不備をついて、支払いを先延ばしにすることを繰り返していた。しかし、それはいつか破綻する。

ある日、営業課の人間が、3日前に手配したジョブの支払いが済んでいないことに気が付いた。メッセンジャーを問い詰めると、忙しかったので忘れていたと言い訳していたが、調べてみるとかなり前から自転車操業になっていたことが明らかになった。実際には支払っていなければならないのに、まだ支払われていなかった現金は、メッセンジャーのおよそ6か月分の給料であることが判明した。

会社はこのメッセンジャーに対し、

・今すぐ、支払い済みの現金を全額返却すれば、警察には届けない。自主退職ということにする。

・もし払えないのであれば、即警察に届ける。

という選択肢を与え、メッセンジャーは親戚中から金をかき集めて、なんとか全額を返却し、退職した。だが、なぜかメッセンジャーの管理職はなにも処分されなかった。また社内システムの見直しも行われた様子がない。性善説に立つと再発しそうな気がするのだが……。

現在、このメッセンジャーは、同じ地区にある同業他社で同じような職に就いている。

労働争議が起きた会社の末路

タイに進出しても業績不振で撤退、あるいは日本法人が倒産してしまうケースは決して少なくない。

信田は現地採用として精密機械メーカーC社で働いていた。C社は大手製造メーカーN社からの発注に頼ってタイに進出した。営業活動はN社との結びつきの強い顧問と称する70近い男性が主体になって行っていたが、新規開拓は苦手だったようだ。N社との取引も足元を見られているのか、利益が出ない体質だった。この顧問の待遇は、会社の業績を鑑みるとかなり高いものだった。だが経費を削減するためにこの顧問を辞めさせると、N社からの取引も打ちきられかねない。工場をタイよりも人件費の安いラオスに移転をするなど、経費削減に努めているところだった。信田は新規開拓要員として採用され、少しづつ取引先を増やしていっていた。

12月のある土曜日の午後、信田から電話があった。この日の夜、信田と会う予定になっていた。

「悪い、今日のアポ中止にしてくれ」

数日前今年のボーナスが払われないと会社が従業員に通達したところ、ちょっとした労働争議になり、それをメディアに報じられてしまった。それを知った信田が開拓したいくつもの取引先から電話が入り、ずっと取引先に事情を説明しに行っている、今もバンコク郊外にある取引先へ向かっている途中だという。

「さっき知ったんだけど、ここ数年ボーナスを払っていなかったらしい」

日本で与信管理に携わっていた立場から、その会社がかなり危なくなっている雰囲気を感じた。

「年が明けたら転職活動を始めるよ」信田はそう言って電話を切った。

信田は新規開拓の実績を買われ、すぐに転職先が決まった。

数年後、C社の日本法人が倒産したというニュースが入ってきた。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)

海外進出に慣れていない企業のなれの果て

海外に慣れていない人間がタイに赴任して舞い上がってしまう例はよく聞く。その結果、海外法人が思うように立ち上がらない例もあるようだ。

J社は首都圏に本社があり、全国各地に工場や営業所を持つ製造メーカーだ。だが海外に拠点はなく、タイが初めての海外進出だった。社長の佐藤、そして深川という参謀のような男の二人を中心に会社を立ち上げようとしていた。佐藤は50代半ば、深川は40代前半の男性だ。会社の立ち上げに際し、経験のある人間として雇われたのが諸井であった。諸井は50代前半、タイで大手製造メーカーの立ち上げ数社に携わっており、いわばプロフェッショナルともいえる男だった。

諸井は管理部門のGMというポジションを与えられた。諸井が入社したときは、工場の建屋がようやく完成し、機会の搬入が始まろうとしているところだった。J社は初の海外進出ということで、立ち上げ要員ともいうべき日本人を本社から大量に送り込んでいた。タイに不慣れな彼らに対するサポートも諸井の仕事のひとつだった。諸井は支援者の送迎を命じられた。

「いや、俺たちタイ語わからないし、運転手に指示できないからさあ、諸井さん悪いねえ」

諸井の家は郊外にある工場の近くだったが、バンコクまで行き彼らを迎えに行ってから工場へ向かう生活。さらに帰りもバンコクまで送ってから部屋に戻る生活だった。渋滞を考慮するとそれぞれ2時間から2時間半はかかる。さすがにこれはきついので、1か月もすると専属の運転手を雇うようにしてもらった。

管理部門の仕事のひとつに経理業務があった。しかし予算の作成などといった仕事ではなく、あくまでも出入金管理の権限しか与えられなかった。深川が持ってきた領収書に応じて、現金を支払う。銀行からの出金の際にサインをするのが仕事だった。

深川はほとんど毎日、領収書を持ってきた。顧客との会合と称した食事代、カラオケ代がほとんどだ。あまりにも多いので諸井は一度「ちょっと多すぎるんじゃないですか?」と苦言を呈したことがある。しかし深川は「諸井さんは、サインしてお金を払っていればいいんですよ。諸井さん、うちの会社のこと知らないからわからないと思うけど、これくらいの経費はどうってことないんですよ」というだけだった。諸井から見ると、営業活動といいつつ、それが成約につながった様子は数か月経ってもひとつもない。深川は応援で来ている人間ともよく飲みに行っているようだ。

会社の立ち上げは決してうまく進んでいなかった。過去に大手メーカーの立ち上げにかかわった諸井からすると、お子様のような進め方だった。輸入手続きができていない、人を集める方法を知らない……。諸井がなにか意見を言っても「諸井さん、うちの業界のこと知らないでしょう。こんなもんなんですよ」と深川は相手にしない。その割には、時間になるとすぐに帰り、毎晩飲み歩いているようにしか見えなかった。諸井はなにもいわなくなった。

諸井の不満はそれだけではなかった。ビザの件である。タイでは労働する際にビジネスビザとそれに付随した労働許可書が必要だ。諸井がJ社をバックアップしているコンサル会社に問い合わせると「今の状態ですと、佐藤さんと深川さんの二人分しかビジネスビザを申請できず、諸井さんは申請できないんですよ。もう少し会社の体裁を整えて(売り上げをあげて)からでないと…」とのことだった。幸い、諸井はタイ人と結婚していたので、そちらの条件で滞在許可を得ていた。結局、諸井は給料こそ受け取ることができたが、ビジネスビザを取れずに働き続けることになった。(支援者はノービザで滞在できる30日以内に日本へ戻ることを繰り返していた)

諸井が入社して10か月が過ぎようとしていた。佐藤や深川がタイに来てから1年以上経っていた。だが、工場は量産も始められない状態だった。受注がない、ワーカーが集まらない、悪循環だった。

そんなある日、佐藤、深川、諸井の三人で会議が行われていた。日本から立ち上げ資金として与えられていた予算が、そろそろ尽きようとしていたのだった。

「諸井さん、あなたも知っているとおり、そろそろ予算が尽きそうだ。あなたは経理責任者なんだから、日本の本社に頭を下げて予算をもらってきてくれ」

深川のこのひと言に諸井はキレた。

「なにいっていやがる!営業といいつつ遊びまわっていたのはあんたたちだろうが!顧客と飲んでばかりで、いったいどれだけの成約取ってきたんだ!そこまでいうなら、おまえらが飲み歩いていたことをそのまま本社にバラすぞ、それでもよかったら日本へ行ってやってもいいぞ!」

諸井はそう言って会議室を出て行った。10か月の間おとなしくしていた諸井が初めて見せた怒りの感情だった。

翌日、諸井が出社すると佐藤に呼ばれた。

「諸井さん、深川とああいうことになってしまったら、あなたも働きづらいでしょう。深川は日本本社の人間だから、簡単に帰任させるわけにはいかない。どうだろう、契約にはなかったけど諸井さんとは1年契約だった、そして契約満了ということにしたいのだがどうだろう?その場合は契約にはなかった退職金も12か月分用意する。まだ1年経っていないけれど、その分は出社しなくてももちろん支払う。もちろん日本へ行く必要もない」

佐藤はこのような提案をしてきた。諸井はこれを飲んで退職した。

諸井が退職して数か月後。私の所属する会社に深川がやってきた。取引先からどうも苦戦しているようだから、話だけでも聞いてやってくれないか、と懇願されたので会うことになったのだ。実は私の業界と深川の業界は、あえていえば自動車部品メーカーとサラ金というくらいかけ離れていた。

それでも深川は自社の売込みに必死だった。営業先が違うだろうと思いつつ1時間ほど話を聞くと、深川は帰っていった。

J社は今でもタイで営業活動を行っている。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)

退職希望者に対するいやがらせ

日本では退職を申し出た人間を辞めさせないブラック企業が多いと聞く。タイでも辞めるといった途端に嫌がらせをする経営者は少なからず存在する。

磯田はP社に現地採用として働いていた。磯田はどうしてもやりたいことがあった。タイ語を勉強したのち、磯田はそのやりたいことが実現できる会社、T社で働くことが内定した。だが、第三者による不手際により、磯田は内定を取り消されてしまった。ただ、T社は「今は無理だけど、1年後に君が応募すれば必ず採用する。1年後にもう一度応募してくれ」といってくれた。だが、実際には1年も無職でいるわけにいかない。改めて仕事を探していると、P社から誘われて働き始めたのであった。ただ、P社にはT社の話は一切していなかった。

P社で働き始めて10か月近くが過ぎようとしたころ、T社から連絡があった。〇月から採用したいのだが、まだ入社の意志はあるか、という問い合わせだ。磯田はもちろん入社すると伝えた。

磯田は退職日を決めて、その30日前にあたる金曜日の朝、社長の小川に1か月後に退職したいとの意志を伝えた。ここでもT社の話は一切せず、退職理由は転職したいということにした。小川は黙って話を聞き、わかったとだけその場を離れた。

この日の夕方、磯田は小川に呼ばれた。社長室に入ると小川は磯田のパスポートを放ってよこした。P社は社員のパスポートを預けることを義務つけられていた。

「これまでご苦労だったな。パスポートを返しておく。1か月後といわず、明日からもう来なくていいよ。引継ぎも一切不要。ビザも今日までになっているからな、急いで出国した方がいいぞ」

慌ててパスポートをめくると、ビザの取り消しスタンプが押されていた。この週末、磯田はT社のイベントに参加することになっており、バンコクを離れることができない。この時間に国境へ行っても間に合わない……。結局日曜日の夜行バスで国境へ向かった。イミグレーションではしっかりとオーバーステイの罰金を支払わされた。

※この話は10年以上前の話である。経験上、ビザの取り消しが退職日当日までとされたことはなかった。しかし、磯田の話を聞く限り、実際にこういうこともあるということだ。

女にはまった工場長

浅岡は日系製造工場で現地採用として働いている50代前半の男性だ。バンコクに本社が、郊外に工場があった。本社には日本から来た社長が常駐しており、工場には日本から来た工場長の古川と浅岡がいた。社長はバンコクにいることが多く、工場のことは古川に任せきりだった。

古川は50代半ば。専門学校を卒業後この会社に入社し、以来現場一筋に生きてきた。この日系メーカーは海外に進出しているものの、古川にとって海外赴任は初めてであった。子供は大きくなっており、妻だけが一緒についてきた。

浅岡は入社してしばらくは、古川の下で管理業務と生産管理全般を行っていた。タイ語はもちろんのこと英語もそれほど話せるわけではない古川は、タイ語の堪能な浅岡に頼りきりだった。年齢も近いこともあり、ふたりの関係は良好だった。

浅岡が入社して1年ほど経つと、生産量がだいぶ増えてきた。古川は浅岡には生産に専念してもらい、管理部門は日本語のできるタイ人に任せることにした。面接を経て、クンという20代後半の女性を採用した。クンは大学で日本語を学び、卒業後は日系企業で社長秘書や通訳、総務部門を経験していた。

クンが入社すると古川は浅岡を遠ざけるようになり、クンとばかり話すようになった。ふたりでこそこそと小声で話しており、浅岡はなにを話しているか全くわからない。しばらくすると、古川は外出の際、クンを連れて行くようになった。取引先との打ち合わせに帯同させているらしい。ふたりがオフィスにいる時間がだんだんと短くなってきた。このころ、浅岡はうるさいやつがいなくなってせいせいしたと思っていた。しかししばらくすると、浅岡のもとにクンに対する苦情がもたらされるようになった。浅岡の配下にあるスタッフやワーカーに対し「そんなんじゃボーナスあげないわよ」とか「なにさぼってるの!ちゃんと仕事しなさい」などと言うようになったらしい。浅岡が古川にその話をしても「まあ、彼女も一生懸命やっているんだから、いいじゃないか」などいって相手にしない。浅岡はスタッフの不満をそらすことに頭を抱えるようになった。

あるとき、古川は日本出張の際、クンを研修と称して一緒に連れて行った。一週間ほど日本で一緒に過ごしていたらしい。スタッフからの突き上げも激しくなり、浅岡はこの会社の雰囲気に嫌気がさしてきた。数か月後、浅岡は転職した。

転職して数か月後のある休日。浅岡は新しい職場の仲間とゴルフを終え、スクムビット日本食レストランで食事をとっていた。会計を済ませて店を出ると、見覚えのある顔が目に入った。古川であった。二十歳にも満たないタイ人女性と手をつないで、この店に入ろうとしていた。浅岡が唖然として見ていると、浅岡に気がついた古川はそそくさと逃げるように去っていった。「なんすか、あの人。変な人ですね、浅岡さんの知り合いですか?」と一緒にいた同僚に尋ねられたが、浅岡は「はぁ……」としか言いようがなかった。

しばらくして、古川に辞令が下った。日本へ帰任せず、インド工場へ転勤となった。妻は帯同しなかった。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)

本を探す

本屋で本を買わなくなって久しい。

読まなくなったこと以上に、ネットで買う、もしくは電子書籍を買うということが増えたからだろう。最初から買う本を決めている場合は、ネットのほうが便利。ただ、本屋で本を眺めていると、思わぬ本を見つけることもある。先日本屋で見つけた「日タイ対訳 日本紹介FAQ【日本語・タイ語対訳】MP3 CD付き」という本は、タイ語学習書の中に並んでいた本だ。本屋であてもなく眺めているとこういう出会いがあるから、定期的に本屋に行くことは必要だ。

以前、ある本を探していた。新刊では見つけることができなかった。アマゾンをはじめとした古本関係のサイトをいくつか回っても、販売当初の価格の2倍以上で売られているところばかりで諦めていた。ある日友人から「あの本、アマゾンでそんなに高くなく出ていましたよ~」と教えていただき、比較的安く購入することができた。それまで「新刊で手に入らない本は、販売当時よりずっと高いもの」というイメージだったが、これを機会にこの考えは消え、こまめにチェックするようになった。昨年からもう10冊くらいは買っているだろうか。先日1500円くらいで買った本が、今アマゾンを見ると5万円の値がついているのをみると、なんかうれしくなってしまう。

最近、20年くらい前に販売された本をいくつか見ているのだけど、結構高い値がついていて、なかなかクリックできない。昨年本の断捨離を行ったけど、こういうのを見ると、やっぱり躊躇してしまうんだよなあ。

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手書きのタイ語を訳す

手書きのタイ語を日本語に訳す作業を行っている。まあ、読めないといったらありゃしない。タイではメールで送られてきたものを理解する程度だったので、きちんと翻訳する機会はほとんどなかった。また内容も仕事のことが多く、仕事を理解していないと、チンプンカンプンであることも事実だ。日本語をタイ語に訳す作業も行っているけど、こっちは日本語が抽象的かつ修飾詞が多いので、自分の知っている表現に持ち込むのに一苦労。いずれにせよ苦労しているわけだ。翻訳はその語学力よりも日本語力といわれるけど、本当そう思う。

ところで会社に提出するようなレポートでมัยとかอะรัยと書いているタイ人ってどうなんだろう?気にしすぎかな?