Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

卸)神保町食肉センター へ行ってきた

先日食べに行った焼肉屋の話。
卸 )神保町食肉センターというお店。ランチは45分で950円食べ放題。食べ放題といってもルールがあります。
最初にご飯+スープ+玉ねぎサラダがデフォルトで付いてきます。
次に
Aセット:モモ(塩味)+ネックピートロ(味噌味)
Bセット:モモ(タレ味)+ネックピートロ(味噌味)
Cセット:レバー(塩味)+ハツ(塩味)

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最初に頼んだCセット

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Aセット。網に乗せてから写真を撮ることを思い出した

これらのセットの中から1つを注文します。食べ終わると次の注文ができます。これはセットで頼んでもいいし、ハツのダブルとか、モモの塩味といった注文も可能です。
今日は写真のCセット2皿とAセット1皿を食してきました。モモ+ネックピートロの写真は少し網に乗せてから慌てて撮ったので少し量が少なくなっています。この朝採りのハツとレバーが売りです。私はハツが好みです。
一緒に行った方が先に並んでくれていました。11時半開店。10時20分頃から並んで前には14,5人いたようです。45分なので回転は速いですが、1回転目で入れないと、結構待つことになります。13時過ぎになると空いてくると思いますが、ハツとレバーは数が少ないので食べられない可能性も高くなりますね。

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食べるのに夢中でなかなか写真が撮れなかったなあ……。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(2)

「ほら、あそこだ」

雑踏を走り抜けると、ドライバーが前方を指す。ホテルの名前がネオンで表示されている。予想に反し立派なホテルだ。銃を持った警備員がドアの前に立っている。

「泊まりたいのだが?」というとボデイチェックをされ、終わるとそのままフロントへ案内された。バスを降りてから出会ってきたパシュトゥーン人と違い、民族衣装ではない服装の若い男性だった。

「部屋はある?」

「あるけど、なんにちいるんだ?」

「2泊」

「このホテルは明日クローズする。1泊でいいならどうぞ」

明日クローズ?どういうこと?若い男に聞くも、要領を得ない。明日カイバル峠へ行って、少しこの辺りを見て1泊してからラホールへ向かうつもりだった。頭の中でこの後のスケジュールを考えようとしたが、混乱するだけだ。このあと宿を探すのも面倒なので、まずは一泊してから考えることにした。

教えてくれた方の情報通り1泊3500パキスタンルピー(約3150円)だった。4000ルピーを払うと、500ルピーはチェックアウトのときに返すという。

きれいな部屋だった。バンコクでも2000バーツ(約7000円)はすると思われる。エアコンはもちろんあり、トイレとバスルームに仕切りがあった。ソファもある。

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Emarat Hotel @Peshawar

朝のチャイ以来、食事らしい食事をしていないのでレストランを探す。ホテルを出ると、むさくるしい男しか歩いていない。雰囲気に飲まれていた。引き返してホテルに併設されたレストランでチキンプラオというフライドライスのようなものを食べる。ちょっと薄味だが、やはり自分にはチャパティよりコメのほうが合う。トイレもきちんとしたところなので、ラッシーも合わせて注文。ラッシーは好きな飲み物だが、移動が続くときは控えている。

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キンプラオ 

水を買いにホテルの外を歩く。アルコールが御法度なためか、フルーツジュースの店が目についた。パシュトゥーンの男性があの服装で、店先の椅子に座ってフルーツジュースを飲んでいる姿はちょっとシュールだった。もちろん写真を撮る勇気はない。そんな店のひとつで水を買い、部屋に戻る。電力事情もよさそうなので、今のうちにしっかりと充電しておく。

朝目覚める。さて、どうしようか……。ペシャワールへ来た目的はカイバル峠へ行くこと。日帰りで十分行けるところにあることは知っている。そのままラホールへ行くと着くのは深夜になる。今は知らないが、かつてラホールは泥棒宿しかないことで有名で、旅行者はみな避けていた街だった。カイバル峠へ行くなら、ペシャワールにもう一泊したい。夜からずっと考えていたが、結論は出せなかった。

8時過ぎにドアが叩かれる。開けるとフロントに電話してくれとメッセンジャーがいう。

「9時に全館クローズするからそれまでにチェックアウトしてくれ」

荷物をまとめ、チェックアウトの手続き。昨夜の若い男性とは違う年輩の男が座っていた。電話で話したのはこの男らしい。デポジットの500ルピーを返してもらおうとすると200ルピーしか返ってこない。

「あと300ルピーは?」

「お前、食事代、払っていないだろう?」

「全額払っているぞ!はよ返せ!」

男はすぐに200パキスタンルピーをよこしてきた。油断も好きもあったものじゃない。

「9時にはクローズするからな。早く出て行ってくれ」

「わかってる。なぜクローズするんだ?」

年輩の男は面倒くさそうに

「ローカルアクティビティだ!」と答えた。

最後までホテルがクローズする理由はわからなかった。

「今日はローカルアクティビティで街がストップする。早く出て行った方がいいぞ」

最後に年配の男はこういって私を追い出した。

悩んでいた……。カイバル峠へ行くなら、ホテルの前にたむろしている車と交渉すればいい、と昨夜フロントにいた男性に言われていた。3か月前に行った方はホテルに車をアレンジしてもらったと話していた。

「Daewooのバスターミナルへ連れて行ってくれ」

なぜかこう口に出てしまった。いったいなにをしたかったのか、自分でもわからない。昨夜降りた場所に着き、ラホール行きのバスの出発時間を聞く。11時だという。到着するのは17時ころか。これではインドに入ることは無理だ。ラホールに泊まるか?ペシャワールに留まるか?チケット売り場にいた男性は、ペシャワールで会った人の中では、一番品のある雰囲気を醸しだしていた。なんとなく頼りになりそうな……。果たして今日ペシャワールに(外国人が)泊まることができるのか?と男性に尋ねてみた。

「今朝、ホテル追い出されて、泊るところないかもしれないんだけど、ペシャワールでなにかあるの?」

「お前は泊まるところがないのか?」(なにがあるかについては触れない)

「外国人が泊まれるところ、ほかに知らないんだよ」

すると男性は紙にあるホテルの名前を書いてくれた。

「このホテルはここに近いし、外国人も泊まれるはずだ」

どこまで信じていいかわからないが、まあなんとかなりそうな感じ。

「で、お前はどこに行きたいんだ?」

「いや、泊るところがあるのなら、カイバル峠に行きたいのだけど」

「ああ、そこらにいるタクシーと交渉すれば問題ない」

「危なくないのか?護衛が必要とか聞いたけど?」

「ん?みんな普通に行ってるぞ?」(なにをこいついってるんだ?という表情) 

といってバスターミナルにたまっている男たちと交渉してくれた。

カイバル峠へ行くことが決まった。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(1)

何度か目覚めたものの、部屋が暗いせいか、すっきりと起きられたのは8時を過ぎてからだった。しかし、よく寝ている……。

本来、朝早いフライトは前日では席が取れなかった。事前の情報は早朝に2便というものだった。この日は昼過ぎにもあったため、こちらのフライトとなった。ペシャワールに着くのが遅くならなければいいのだが……。

ドアを開け、外を見ると晴れ渡っている。飛行機は予定通り飛ぶだろう。

チャイを飲み、宿の親父とたわいもない話をしながら時間を潰す。数日前に日本人が泊っていて、カリマバードに向かったらしい。カリマバードで2人ほどバックパッカーらしいのを見かけたので、そのうちのひとりだろうか?昔と比べて日本人が少なくなったと嘆いている。

往路はラホール→ラワールピンディ→ギルギット→カリマバードとバスを乗り継いできた。ラホールを昼過ぎに出発し、カリマバードに着いたのは翌日の夕方だった。ギルギットからイスラマバード(ラワールピンディ)まで飛行機では1時間ちょっと。残り時間が少なくなったので、時間短縮のために飛行機を選んだ。17時間近くかかったバスにもう一度乗るよりも、飛行機からカラコルムの山並みを見たいという気持ちも強かった。

ここへ来る前、30年近く前にギルギットへ来たことのある方と話をしていた。飛行機のチケットを買ったものの、天候が悪く、1週間ほど飛行機が飛ぶまで待っていたそうだ。毎日空港へ歩いて行き、キャンセルと聞いて再び歩いて宿へ戻ることの繰り返しだったらしい。通り道の子どもたちと親しくなり、一緒に郊外へ歩いて行ったりしていた、そんな時代だったと話してくれた。

宿の親父のバイクで空港へ。「飛行機が飛ぶのを確認するまでこの近くにいるから、キャンセルになったら私を探してください」といって去っていった。

空港の中には入れず、外でうろうろとしていた。乗客は年配の白人カップル以外はパキスタン人だった。チェックイン手続きが始まると、軍服を着たパキスタン人っぽくない男性が並んでいた。よく見ると韓国の国旗が縫い付けられている。どういう立場の人物だったのか……。荷物チェックはインドと比べると厳しくない。

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この機材で山の上を越えていく

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こんなもの?

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機内食

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山並み

パキスタン航空は予定通りに離陸した。機材はATR42というもの。雄大な景色を眺めつつフライトを楽しむ……とよかったのだが、揺れがひどく飛行機に酔ってしまったようだ。隣のパキスタン人に慰められながら、なんとかイスラマバードへたどり着く。

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イスラマバード空港

このフライト、イスラマバード経由でどこかへ行くらしい。どこなのか、アナウンスが聞き取れない。隣のパキスタン人はここで降りず、そのまま乗っていくようだ。「Have a nice trip」と励まされる。

イスラマバードの空港は最近新しい場所へ移転したばかり。国際空港とは思えないガラガラで無機質な空港だ。ターンテーブルから荷物が出てくるまで30分くらいかかった。3か月前に来ている方が、ラワールピンディのホテルまでタクシーで行ったら1500パキスタンルピー(約1350円)もかかったと教えてくれていた。バッグを持って歩きだすと、客引きが声をかけてくる。結局1300パキスタンルピー(約1170円)でバスターミナルへ向かった。

バスターミナルに着くとすぐに窓口へ向かう。15時前。暗くなる前にペシャワールへ着きたかった。窓口に行くと「次は17時発だ」といわれる。2時間以上、Kindleで本を読み続ける。ネットが繋げられない状態で、バッテリーも残り少なくなっていたので、スマホは使わなかった。

17時発のバスは夕闇の中、一路ペシャワールへ。バスを待っている間に沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでいた。沢木もこのルートを通っている。途中のタキシラという街で彼は遺跡を見ていた。タキシラの表示を見ながらそんな思いにふける。

道中、街のようなところは通らず、草原を走っているようだった。パキスタンは意外と道が整備されている。かなり飛ばしているが、道がいいからだろうか、北部のクレイジーエクスプレスほど恐怖を感じない。街灯がまぶしいエリアに入ると、渋滞が始まった。ガソリンスタンドに入り、バスが止められた。ここが終点だと知らされた。

19時過ぎ。ペシャワールパキスタンの多数民族であるパンジャーブ人ではなく、パシュトゥーン人の街。雰囲気がこれまでとは違う。パキスタンも外国人が泊まれるホテルは限られている。宿のめどもつかない状態で探す気力もない。3か月ほど前にここへ来ていた方からホテルを教えてもらっていた。何人もの男に囲まれていた。迫力が違う。突き刺さるような視線を感じる。早くこの場を去りたかった。気後れしつつ、教えてもらったホテル名を告げ、タクシーに乗る。

パキスタンで一番カオスな時間だった。バンコク並みの渋滞、割り込みは当たり前。クラクションも鳴り止まない。なによりも暗くて街並みがわからないのが一番不安だった。道路工事で渋滞になっているところもあり、車は大回りしてホテルへ向かう。ホテルに着いたときは20時になっていた。

※ ギルギット空港:宿から歩いても15分くらいか。宿の親父のサービスでバイクに乗せてもらった。

※ イスラマバード国際空港:2018年5月にイスラマバードの南西40㎞のところに開港した。ターンテーブルで荷物を受け取り、出口へ向かうと声をかけられた。空港で声をかけてくる奴はどうしても高い。出てから探したほうがよかったようだが、どうも余裕を持てない。

※ バス:空港で乗ったタクシーにはラワールピンディにあるDaewooのバスターミナルへと指示をした。Daewooはパキスタンで一番信頼できるバス会社。ラホールから来たときも利用している。ペシャワールまで450パキスタンルピー(約415円)。約2時間といわれ、予定通り到着。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ギルギット

往路で約20時間滞在したカリマバード。その時のイメージはさびれた観光地、インフラがイマイチというものだった。ようやくパキスタンに慣れてきたのか、パキスタン北部のインフラはこういうものだとわかってきた。1日過ごしてその空気が意外と肌に合っている感じがしてきた。

この時点でバンコクに着きたい日まで10日を切っていた。ギルギットから飛行機でイスラマバードまで飛べればいいが、天候次第でキャンセルも多いと聞く。もう少し居たい気持ちを抑え、また来られることを信じ、カリマバードをあとにすることにした。

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少し早く起きて、散歩。

チェックアウトして宿の前でスズキを待つ。歩いているときは頻繁に見かけたスズキも、いざ自分が乗るときになるとなかなか来ない。20分ほど待ってようやく現れたスズキ。満席で後部にしがみつくことになった。

アーリアバードで下車。50ルピー(約45円)払うと20ルピー(約18円)が返ってきた。これまで2回50ルピーを払っていたような……。

ギルギット行きのチケットを買い、待っているように言われた。しばらくして、男について行けといわれ、チケットが売られている小屋の裏にある駐車場へ案内された。いつものハイエースである。

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一列4人で満席になってから発車。往路と比べると客の乗り降りが頻繁。後半は1列に1 人か2人ほど。復路はだいぶ楽な移動になっている。

約2時間でギルギットに到着。往路ではバスターミナル以外知らずに通過した。そのバスターミナルは郊外にあったらしい。パス―やカリマバードから来るとギルギットは大都会。川沿いで「ここが終点だ」と降ろされ、どこにいるか全く見当もつかなかった。めどをつけていた宿のカードがスマホに残っていたので、タクシー運転手にそれを見せる。Madina Guest Houseというところ。

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Welcome Drink

宿の親父は日本語ができるという話だった。日本人とみると日本語で話しかけてくる。イスラマバードまでのチケットの相談をすると、手配してくれるというのでそのまま頼む。パス―やカリマバードにいるときにネットで買うこともできたのだけど、この路線は天候が悪くフライトキャンセルになる可能性も高いと聞いていた。その場合の返金手続きが面倒なので躊躇していた。直前に買うことになったこと、間に人が入ったことでチケット代はちょっと高くついたが、仕方あるまい。明日の予約が取れたことを確認して、今日初めての食事。宿の前にラグ麺とマントゥの看板が見えた。

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ラグ麺ハーフ100パキスタンルピー(約90円)

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マントゥフル100パキスタンルピー(約90円)

戻るとチケットが用意できたから、代理店へ行こうと親父が声をかけてきた。親父の運転するバイクで代理店へ行き、USドルキャッシュで支払う。

「私が明日バイクで空港まで送ります。もしキャンセルになったら、その場でお金を返します。私はここへ戻ってお金を返してもらいます。バスでラワールピンディに向かってください」という。多少高いのはわかっているので、彼のサービスに甘える。

このころから旅に違和感があるというか、あまり動きたくなくなってきた。写真を撮るのも面倒に。考えてみるとこれだけ移動の多い旅は初めてだったかもしれない。これまでの滞在地が村とすれば、ここは街だ。宿の親父は摩崖仏を見に行こうと誘ってくるが、丁重にお断りした。人の多いところを歩く気になれず、部屋で横になっていた。

いつの間にか寝てしまっていた。日本に居るときは、夜何度も起きてしまうのだが、旅行中はよく眠れる。目覚めると空腹を感じていたので、食べられる店を探す。どこも入りにくい雰囲気だが、かなり流行っている店で店員が、中に入れ~と顎で誘ってきたのでそこに入る。

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チキンカライとチャパティ 220+40パキスタンルピー(約235円)

カライはカレーと似ているが、カレーは水分が多いのに対し、カライは水分がなくなるまで煮込む。カレーよりも美味しかった。部屋に戻り、地球の歩き方を見ると「ラマザンホテル&レストラン」というところらしい。

※ 交通:アーリアバードからギルギットは150パキスタンルピー(約135円)。往路は途中で食事休憩があったが、復路は乗客の乗降以外泊まることはなかった。ギルギットに入ると、ハイエースは橋の横にある大きめの駐車場のようなところで降ろされた。どこにいるのか、まったく見当つかず、タクシーで宿に向かった。100パキスタンルピー(約90円)は距離にしては高いと思うが、初乗り+迷うよりはましと考えれば致し方ない。

※ 宿:地球の歩き方は古すぎるのであてにならない。ネットがつながる間に調べた限り「Madina Guest House」というところに泊った人の話が多く、そこを選んだ。情報より高く1800ルピー(約1620円)。これまでに泊った部屋と比べて明らかに高い。共有スペースにwifiがあったらしい。宿を離れてから知ったので試していない。日本語を話したがっている宿の親父と色々話したので、ネットを試すこともなく時が過ぎた。ドイツ人のパッカーをひとり見た。数日滞在しているとのこと。これ以外外国人の客は見かけなかった。

※ 宿の親父:日本語はあまり期待していなかったが、思ったより話せる。こちらも久しぶりの日本語で助かったのも事実。オーナーではなく、実は雇われ人。私のボス、オーナーです、と紹介された人がいた。清算はこのオーナーが行った。

※ ギルギット発イスラマバード行き飛行機:1日2~3便。カシュガルにいるときにスカイスキャナーで調べると、1万円強だった。宿の親父経由なので、私が買ったのはもう少し高い。代理店と空港までは彼のバイクで。天候不順でキャンセルが多いと聞く。最近はキャンセルなく、天気がいい日が続いているので大丈夫だろうとのことだった。

インド横断とカラコルムハイウェイ~カリマバード(2)

 朝起きると雨が上がっていた。

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ホテルからの風景

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フォートから

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Baltit fort

バルティットフォートはフンザのミール(藩主)の居城として造られた。長期に渡って使われていなかったが、1990年より修復工事が始まり、現在も工事は続いている。

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有名な管理人。ひげが自慢。

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Bultit fort内部

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英語での説明付き


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Bultit fort外部

往路で寄ったバルティットフォートは外観を見るのみにして、村の中をただ歩く。

「ミスタートーキョー!」

振り返るとアーリアバードからのスズキで一緒だった爺さんだった。いつまでいるんだ?などたわいもない話をして別れる。

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フンザは長寿の里

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散歩中に出会った親子

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山羊?

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女性の後姿

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男性の後姿



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八百屋

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旅行代理店?の宣伝を兼ねたバイク

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村人の足、スズキ

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Bultit fortを下から撮る

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トレッキングする気力はない

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車両は多くない

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バザールロードからバルティットフォートへ別れる三差路にあるATM。ここで往復1回ずつ現金を下ろした。

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ここがジャパンチョークだったかな?

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カリマバード一の高級ホテル?日本人ツアー客が止まっていた

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オブジェ?

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ゼロポイントから少し上がったところよりフォートを見る

空腹を感じたため食堂を探すが、観光シーズンでないからか、開いている店は決して多くない。ゼロポイントから坂を少し上がったところにある店に入る。

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朝食メニューしかないといわれ、プラタとオムレツ。

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チャイ。ここは初めてポットで出てきた。

部屋へ戻る前に気になるカフェがあったので寄ってみる。カフェ・ド・フンザという有名店だったらしい。

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カフェドフンザ



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300ルピーは破格だが、タイを出て初めてのコーヒー。意外と美味しかった。

パキスタンの物価を考えるとコーヒーの値段は破格だが、wifiがホテルより快適。日中は客も少ないようで、私以外に白人がひとりパソコンを持ち込んで作業をしていただけだった。景色もよく、思いのほか長居してしまった。

カフェを出て再び散策。

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ゲームに夢中な村の老人

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商売に夢中な村の老女

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無邪気に歩く少女たち

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日本の旅行代理店フンザ支店?

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Hill Top Hotel 長谷川恒男氏の定宿だったところ。

一度部屋に戻ってひとやすみ。
夕飯は暗くなったころに部屋を出て歩いてみるが、これといった店もない。昼間の店が感じのいいところだったので、結局はそこへ。

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チキンフライドライス430パキスタンルピー(約390円)

久しぶりに美味しいコメを食べられた。コメのパラパラ感がなんともいえずよかった。量が多いのが難点。

 ※ 宿:ネットで調べると、ゼロポイントの周辺の宿に泊まった記録がほとんど。村の奥の方に行くと、宿の看板が数多くみられる。パキスタン人はこちらの方に多く泊まっている様子。斜面に沿って建物があり、風の谷を窓越しに見ることができる宿が多い。往路でたまたま入った宿は「World Roof Hotel Karimabad Hunza」というところ。(帰国後Google mapで調べると、このホテルの写真が出ているが場所が違っている)復路でも、スズキでカリマバードに入ったときにゼロポイントで降りそこなったので、同じホテルに泊まった。3人部屋で3500ルピー(約3150円)、復路は1人で3000ルピー(約2700円)だった。お湯は朝のみらしい。往路では出なかったが、復路はお湯を浴びることができた。

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World Roof Hotel Karimabad Hunza

※ 食事:パス―と比べるとずっと増える。しかし、自分が滞在した9月はシーズンを終えているのか、閉まっている店も多い。ひとりで食べるのはつらい。カフェ・ド・フンザでコーヒーが飲める。期待していなかったが、久しぶりということを差し引いても十分美味しいと思えるコーヒーが出てきた。Free wifiもあり、ホテルより快適。昼間は空いていたが、夜、カフェの前を通ると車が何台も止まっていて客でにぎわっている雰囲気だった。

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夜、歩いているときに見かけた。食べていない。

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ローカルスープという野菜の煮込み。意外と美味しかった。

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う~ん、覚えていない。

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同行者がいたときの朝食

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同行者がいたときのランチ。3人分。このあと移動スストへ移動予定。何時間かかるか、よくわかっていなかったので、不安で食欲なし。

※ 通信:ホテルはfree wifiがあったが、フロント周辺のみ。タイで買ったSimが有効期限が切れたため、このころからFree wifiに頼る旅となっている。カリマバードのレストランはFree wifiのある店が多く、使わせていただいた。Cafe de Hunzaがカリマバードで一番快適だった。

インド横断とカラコルムハイウェイ~カリマバード(1)

宿の前で車を待つ。自家用車が数台通っていく。

15分ほどするとバスがやってきた。目の前で止まると男が2人乗っているだけだった。

「どこへいきますか?」

流ちょうな日本語で声をかけられる。この風貌で日本人ってわかったのか……。カリマバードと伝えると、「どうぞ」とドアを開けてくれた。

かなりきれいな日本語だったが、それ以上話せないらしい。お決まりの「日本はどこか?」(東京)、「結婚しているか?」(独身)、「パキスタンはどうだ?」(いいところ)といった会話でネタが尽きた。

パス―と似た雰囲気のグルミットまで登坂が続く。ここにも宿がいくつかあるようだ。

しばらく進むと、トンネルが続く。この辺りは2010年に地震により地滑りが発生し、川が堰き止められて湖が発生した。アタバート湖(Attabad Lake)と呼ばれている。湖がある場所は、村があったという。今でも場所によっては、沈んだ建物が見えるらしい。地滑りによってカラコルムハイウェイも寸断されたため、中国とパキスタンとの物流や移動にはボートを使わざるを得ない時期があった。現在は中国の協力のもとトンネルが建設され、湖は観光スポットに生まれ変わっている。遊覧ボートやジェットスキーを楽しむ観光客でにぎわっている時期もあるらしいが、通過したときはさびれた観光地といった趣だった。しかし湖面はターコイズブルーといえばいいのか、美しい色だった。

そんなスポットではあるが、我がバスは止まることなく、カラコルムハイウェイを進む。ソストからパス―まで乗ったハイエースは、クレイジーエクスプレスともいうべきスピードで走っていたが、このバスはパキスタンでは珍しく安全運転だった。ハイウェイ沿いのアーリアバードに入り、カリマバード行きのスズキが止まっているところで下ろしてもらう。乗り換えてすぐに出発。

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セロポイントにある案内板

スズキは坂を駆け上がっていく。カリマバードではゼロポイントといわれているところに安宿が集中している。往路は乗客がみな下りたところで降り、宿を探した。バルティットフォートの手前だった。今回はひとりなのでゼロポイントの辺りで宿を探すつもりが降り損ねてしまい、結局同じ宿に泊まることにした。従業員は10日前に来た私を覚えており、一緒にいた日本人はどうした?と尋ねてきた。荷物を下ろしひとやすみ。

この日もチャイのみの朝食。ちょうど昼時だったので、ランチの店を探す。パス―と違ってレストランが多い。ブリヤニを食している姿が見えた店に入り、注文。久しぶりに食べたコメは美味しかった。

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チキンブリヤニ 200パキスタンルピー(約180円)

一度部屋に戻ると、いつのまにか眠っていた。起きると雨が降っていて外出できない。暗くなっても雨は止まず。雨が弱くなったころを見計らって外に出た。これまで抑えていた食欲が回復してきたのか、夕食はハンバーガーとフライドポテトというローカル色の全くない食事となった。

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ハンバーガー350パキスタンルピー(約315円)

部屋に戻り雨で濡れた身体を拭く。シャワーはお湯が出ないのでそのまま横になっていると、いつのまにか眠りについていた。

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(4)

部屋に戻る。一日一食の生活が続いていたため、お腹が空いてきた。オムレツならできるだろうと注文。すぐに出てきた。

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80ルピー(約72円)。唐辛子が効いていていい味を出している。

部屋に戻ると、電気が来ていなかった。フンザは停電が頻繁に発生している。まだ明るいので、横になりながら読書をしてしばらく過ごす。

明日の朝にはパス―を発ちたいので、今日がこの村最後の日。氷河には行かなくとも、この景色を焼きつけたいと思い、宿の裏の高台に登ってみる。

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高台は墓地となっていた。下の建物が宿泊先。

最後にもうひと周り村を歩きに行く。どこからかボールを蹴る音が聞こえる。細い道を抜けると子供たちがボールを蹴りあっていた。

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まだ小さく、中に入れないひとりの子どもが、写真を撮れとしつこかったので1枚。もうひとり小学校低学年くらいの女の子がいた。英語で話しかけてきたので、年齢を尋ねると「Yes !」。なにを聞いても「Yes !」としか返ってこない。「Photo OK?」だけはなぜか「No !」。どこまで英語を理解していたのだろう……。

夕食。このレストランでの会話、実は女性と話す貴重な機会だった。パキスタンで女性がこのように表に出てくる場面はこの土地だけだった。きれいな英語を話し、品のある女性だった。いつも簡単な会話しか交わしていなかったけれど、今夜は色々と勧めてくる。エッグフライドライスを注文すると、「それだけじゃあ足りない、これも食べなさい」とメニューを指さすので注文。

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ご飯の量は3人分かと思わせる量。スープはトマトベースで野菜が煮込まれていた。

完食できず。申し訳なかった。

翌朝、早く起きたのでもう一度だけ村を周ってみた。昨日フランス人といるときに人が集まっているところがあったので尋ねると「今朝、村の老人がひとり亡くなった。明日から葬儀を行うのでその準備をしている」と教えてくれていた。その近くに行くと、昨日以上に多くの村人が集まっていた。

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フンザは長寿の村として知られている。果たして何歳まで生きていたのだろうか…。

部屋に戻り、チャイを一杯飲んでからパッキング。チェックアウトしてカリマバードへ向かう。

※ スストからパス―まではイミグレを出たところに止まっていたハイエースに乗った。古くたびれた車両だが、人数が多くなる前に出発し、往路と比べて楽な移動だった。150ルピー。

※ 泊ったのはPassu Inn。カシュガルにいるときPassuを検索すると、この宿に泊まっている人が多かったので、ドライバーにここを伝えて宿の前で下ろしてもらった。本文にもあるように、当初2000ルピー(約1800円)といいつつ、支払い時には1500ルピー(約1350円)に値下げしてきた不思議な宿。お湯は朝のみという説明。3泊中1泊はしっかりと出たが、あとは物足りないレベルだった。

※ 宿は本文に写真があるところのほか、Passu Innのはす向かいにも1軒ある。フランス人カップルはここに泊まっていた。

※ 雰囲気のいい好きな村だが、やはり食事が厳しかった。少しシーズンを外していたからかも知れない。パキスタン人以外の観光客は10名にも満たなかった。

※ 1992年のGWに氷河を見に行った日本人が行方不明になっている。ネットで検索すると実名が出ているが、それ以上に詳しい情報は得られなかった。やはり雪や氷のあるエリアへ行くときは注意が必要。