Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(2)

 Deskitをあとにして車はさらに奥へ進む。次の目的地はHundarという村だ。Deskitを越えるとうねうねと波打つ真っ白な砂丘が広がっている。この砂丘フタコブラクダに乗って歩き回れるキャメルサファリを楽しむことができるが、この日は行わず、最終日に乗る予定だ。

Hundar

Deskitの北西約8㎞。村の奥の道路に面したところにお堂があり、ここには像が祀られているということだったが、カギを持った人が見つからず。ただお堂はガラスが割れていたり、ほとんど管理されているように見えなかった。ガラス越しに見る限り、特になにか壁画なども見えず、荒れ果てた雰囲気だった。道路を挟んだ岩山には砦跡とお堂があったが、管理人が見つからない状態で登っても仕方がないと思い、この日は引き返すことにした。それにしてもこの辺りは通りがかる人も少ない。このお堂のすぐ先に架かっている橋は以前までチェックポストがあり、外国人はこの先に行けなかったらしい。

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この先を行くとTurtukというパキスタンとの国境に近い村へ行けるのだが、この日はHundarで引き返す。車から見たHundarは道沿いにはこれといったものもなく、道路から外れたところに大きな集落がみられるようなところだった。集落にはテントが多く見られ、旅行者の宿泊先になっているらしい。旅行者には居心地のいい村と聞いていたが、通り過ぎるだけだとその魅力はわからなかった。自分は2泊3日のスケジュールでNubraを手配したが、1泊しかできないのであれば、HundarかDeskitで宿泊するしかなく、旅行者は私が宿泊するような村に行かないのならそう感じるのかもしれない。

Karsalの先にある分岐点で今度は右側に車は進路をとりPanamicに向かう。ここは温泉が湧き出ているというのだ。宿泊予定(あくまでも予定)のSumurを過ぎ、車はひたすらPanamicを目指す。けっこうな時間になっており、果たしてPanamicまで行ってこのSumurまで戻って来られるか、かなり不安になっていた。

Panamic

温泉が湧き出ていることから旅行者に人気があるらしいが……まずは温泉へ向かったが、日本人の想像するような温泉ではない。小屋の中にある小さなプールのような湯船?があるが、お湯はほとんど入っておらず、温泉につかるなんてことはできない。ただ、シャワー室のようなスペースがあり、そこでひと浴びすることにした。実はラダックに入っていちどもシャワーを浴びていなかったのだ……中の様子を見て浴びることを決めてから、シャンプーなどの入ったバッグを車まで取りに行き、再び小屋に戻る。ドライバーも浴びるらしく、一緒にカバンから必要なものを取り出していた。実際にはシャワーもなく、蛇口から出るお湯をバケツに入れて、水と合わせて温度を調整。それを頭からかける……このくり返しだ。お湯は意外にも熱湯といっていいほど熱かった。湯冷めしないといいなと思いつつ、約1週間ぶりに浴びたお湯は気持ちいいものだった。服を着ていると、インド人の観光客がやってきた。インド人にはなぜか受けている奇妙なスポットだった。

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Panamicの村を適当に走らせてもらったが、ここも住人の姿はほとんど見ることがなかった。遠くで農作業をしているか、放牧に出かけているのだろうか。それにしてもそろそろ日も陰ってきたのに……車は今日の宿泊予定地Sumurへ向かった。代理店の方からいただいているスケジュール表には宿泊地Sumurとある。このSumur、実はTegarという村と隣接している。Panamicから向かうとTegarのほうが手前に位置する。ドライバーは「今日どこ泊まる?」といので「どこでもいいから早く泊まるところ決めようぜ」と答えるとドライバーはGuest Houseの看板を見て「あそこ、行ってみる?」という。看板にはTegarと書いてある。このときすでに18時半近くになっていた。どこでもいいから一度横になりたかったので、そこでいいと答える。Guest Houseに行くと、ラダックではあまり見かけないThis is Indiaといった男性が部屋を見せてくれ、値段も予算内だったのでここに決める。この村には食堂もないので、Guest Houseで食事を作ってもらうことになった。するとこの男性が今から材料を買いに?行くと外へ出て行った。18時半を過ぎたが、外はまだ明るい。このころ、日の入りは19時半ころだったと思う。少し横になったあと、村を散歩してみた。村といっても走ってきた道くらいしか歩いて行けそうなところはなく、通りすがりの子供の写真を撮るくらいしかすることはなかった。退屈なところだなあ~と思いながら歩いているとある看板が目に入った。「Cultural Show」とあるその看板には7:30-9:00Pmまでなにかやるということが記してあった。すでに準備を始めているのか、中から打楽器の音が聞こえてきた。Guest Houseに戻りドライバーにこのことを話すと買い出しから帰ってきていた従業員、実は英語が全く(数字でさえ!)理解できずドライバーを介さないと会話が成り立たないのだ、に聞いてくれた。この地では現金収入が少ないこともあり、村おこしの一環で村の女性が伝統衣装を身に着けてダンスを披露してくれるらしい。9:00までとなっているが、旅行者がいる限りShowを見せてくれるから、先に食事を食べて行けという。すでに7:30近くなっているが、そういわれると従わざるを得ない。従業員の男はキッチンでなにか作りはじめていた。いつ終わるか、気が気でないまま時間は過ぎていく。ドライバーに先に見に行ってから食事しない?というが、ドライバーはいやすぐできるっていうから待とうよというばかり。8:00を過ぎたあたりで少し大きな(怒りを込めた)声でドライバーを話していると、別の男性がドライバーに声をかけてきた。どうやらこのGuest Houseのオーナーらしい。オーナーはドライバーから話を聞くと、従業員にかなりきつい声でなにかいい始めた。結局食事ができたのは8:30過ぎ。急いで口に運んだのだが、これが悔しいほど美味しいのだ。だが気分を害していた私はこのときの食事の写真を撮っていなかった。スープが前菜でカレーのようなものと美味しいチャパティ+ライスだったような気がする。とにかくレー以外で食べた食事で最も美味しかったことだけは記憶に強く残っている。ラダックは自分のイメージするようなインドではなかったのだが、このGuest Houseにいる間はまさにインドにいるような感覚だった。食事を終えて会場に行こうとすると、オーナーが車で連れて行ってくれるという。まあ歩いても2分程度だったと思うが、さすがにこの時間は外も真っ暗で、歩いて行くのはちょっと怖かったので助かった。ドライバーと一緒に会場へ着くと、なにやら歓声が上がって盛り上がっていた。2,30人のインド人グループの女性が、この地の伝統衣装を身に着け、音楽に合わせて踊っていたのであった。男性陣も写真撮影などして大盛り上がり。そのうちみんなで踊り始め、お前も踊れーとインド人に言われ、よくわからないまま体が動いていた。突然音楽が止むと、じゃあねーとインド人旅行者は帰っていった。どうやら9:00を過ぎたようだ。あーあ、もうちょっと見たかったなあ、と思いながらインド人のあとに続き会場をあとにしようとすると、オーナーが「もう少し待て。今からダンスを披露するから」という。座って待っていると生演奏が始まり、村の女性たちが伝統衣装を身にまとい、伝統的な踊りを披露してくれた。どうやらオーナーが話をしてくれたらしい。2分程度のものだが、観客は私とGuest Houseのオーナー、ドライバーの3人だけ。ぜいたくなひとときであった。多少のお金をおき、音楽を奏でていた子供たちに飴を渡して、会場をあとにした。

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レーに戻ってから、代理店の方に「TegarではなくSumurに泊まることにしていたのはなにか理由があったのか」尋ねてみたが、特に理由はなく、Sumurのほうが大きいから泊まるところが見つかりやすいと思ったからだったそうだ。もし予定通りSumurに泊まっていたら、このショーは見られなかったかもしれない。Guest Houseの従業員の振る舞いに腹を立てつつも、食事の美味しさやショーが見られたことを思うと、ここに泊まってよかったのか、判断に苦しむところでもあった。