Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(3)

7時前起床。Guest Houseの前を歩くと、ある家族が水を汲みにやってきていた。水道のない村では、水を汲みに来ることから一日が始まるようだ。宿に戻ると朝食が用意されていた。チャパティと卵、それに昨夜のカレーの残りだ。

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この日はTurtukまでの移動のみでTurtukでゆっくり過ごす予定だったが、前日に見る予定だったGompaを見ていないので、見学後に向かうことになった。しかしチェックアウトの際に明細を見せられると、最初に運ばれたチャイの代金が含まれていた(ドライバーの分も)。金額的には大したことないのだが、最初のツアーでは宿泊費に含まれていたので、ちょっと気分を害した。さらにこの代金を払ってお釣りをもらおうとすると、お釣りがないといい「チップチップ」とまさにインド人のふるまいだ。悔しいが、食事の美味さに免じて払うことにした。

ガイドブックによるとSumurとTegarにはいくつかGompaがあるようだが、今回行ったのはSumurにあるSamtanling Gompaだけだった。ほかにもPanamicの川向かいにEnsaというGompaがあると聞いていたが、橋が架かっているところ(少なくても地図には載っていないしドライバーも知らないとのことだった)がわからず、時間もないことから断念した。

Samtanling Gompa

村の奥に位置するゲルク派に属するGompa。入り口には学校もあるが、関係者以外立ち入り禁止の看板も。この辺りの中心的なGompaでかなり大きい。7月にダライ・ラマがいらしたようだ。ここもその準備や増改築を行っていて、多くの村人がここで作業をしていた。砂曼荼羅の下書きのようなものが印象に残っている。

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Gompaをあとにして一路Turtukに向かう。前日に通った道だが見ていて飽きない。荒涼とした大地をひたすら車は走り続ける。Kalsar近くの二又まで戻る。この日はバスが止まっていた。しかし、予想以上の混雑ぶり。とてもあんなバスに乗ってこの悪路を移動する気にはなれない。昔の旅行記を読むと多くの旅人がバスで移動しているようだったが、外国人にとっては乗り合いジープやチャーターのほうが一般的だと思う。ここからHundarまではラフティングの基点であったり、砂漠の上をバギーに乗れるところがあったりと旅行者向けのアトラクションが用意されている。ラフティングは時期が早そう(水温が低い)だが、バギーは白人旅行者が好みそうだ。我が車はこれらのアトラクションに全く見向きもせずにHundarへ到着。今日も周囲でカギを持っている人を探したが見つからず。橋を渡ってHundarをあとにする。しばらくすると右側にかなり大きな集落が見えてきた。Baseだ、とドライバーはいうがさらに近づくとAirportと言い直した。4月に使ったネパールのJomsonよりずっと立派な空港だ。パキスタンとの国境地域でもあるこの辺りでは、軍の駐屯地がいくつも見られる。Khardung Laをジープで越えるよりこの空港までヘリで物資を運ぶほうが効率的だ。民間機は飛んでいないが、7月にダライ・ラマがNubraを訪問したときはこの空港を使っている。さらに川沿いの道を走り続けると、前方に軍のトラックが数十台走っていた。さすがに抜くことができず、我々の車もそのあとをついていくしかなかった。橋が見えてきた。橋の手前から大渋滞になっている。ドライバーによるとチェックポストを兼ねた橋は、同時に1台しか走ってはならず、スピードの制限もあるという。前方の軍のトラックがすべて渡り切るまで、我々は前に進めない。同じようにTurtukへ向かう車からインド人が降りて、ドライバーと話し始める。慣れたもので、しょうがないなあ・・・という感じである。インド人らしい好奇心で「どこから来た?」「ひとりか?」という質問攻撃を受けたのはいうまでもない。結局40分ほどこの橋の手前で待たされて、橋をゆっくりと渡った。写真を撮りたかったが、インドで橋というのは重大な軍事機密であり、軍人がどこで見ているわからず、別のところでドライバーに止めてくれと懇願されていたので、写真はない。この先、全く同じ橋がもう一か所あり、このときは途中の基地で多くのトラックが入っていたので、最初の橋ほど待たされることはなく渡ることができた。同じような道が続く。たまに見られる緑と荒涼とした風景の色合いがなんともいえず美しい。Lhadakで最も好きな風景だった。ところどころ見られる村はすでにイスラム圏に突入しているようで、府見かける人の顔つきも違う。車が通りすぎるたびに子供たちが手を振ってくれるのがNubraに入ってから続いていた。

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