Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インターネットでつながっていない友人たち

タイに住み始めてから、日本に住む当時の友人たちとはメールで連絡を取り合っていた。だが、3人ほどはなぜかメールではなく、年に一度の年賀状でのみ、やり取りをしていた。この3人のことを書いてみたくなった。

Aさん。

新卒で入社した会社にいたバイトの方。配属先はかなり変わった部署で、社員よりバイトが多く、さらにバイトの多くが、正社員にならず資格試験の勉強をしながら働いていた。なぜか学歴も社員より高い人が多く、社内でネタになることも珍しくなかった。彼もそのひとりだった。色々と仕事を教えていただいたものだったが、私が異動し彼も新潟に帰ることになり、会う機会がなくなった。タイに住み始めてそのお知らせを送ると、年賀状でのやり取りが始まった。一度私の一時帰国時に上京のタイミングと合うからと時間を作ってくれた。その後、私が完全に道を失っているときに、声をかけてくれて、新潟で温泉にでも入ろうと誘ってくれた。彼も目指していた資格を諦め、その後のことをいろいろと迷っていた時期だった。温泉旅館で男二人、いろいろと語ったものだった。結局彼と会ったのはそれが最後となった。

数年後、メールで訃報が届いた。彼の妹さんが、彼の携帯に登録されているアドレスに連絡してくれたのだった。その年の年賀状で「入退院を繰り返しています」と書いてあったので気になっていたのだけど、まさかそこまで悪かったとは……会いたい人には会えるときに会っておくべきだと、彼のことを思い出すたびに思うようになった。

Bさん

大学の先輩。だが、卒業したのは私のほうが先という不思議な関係。私より1年あとに卒業し、石川県に就職。互いに遊びに行くといいつつ、機会ができず。私が夏休みに旅行から帰ると、留守番電話(当時はメールで連絡を取るという習慣はない)に「協力隊、合格しました!」というメッセージが録音されていた。在学中からなんども受けていたが、なかなか試験に合格できないという話は聞いていた。その後、赴任する前に一度遊びに来て一晩を過ごしていった。彼を部屋に残し私は出社した。帰宅すると「このCD、カセットに録音してニカラグア(彼の赴任先)に送って」と10数枚のCDの上にメッセージを残して去っていった。

彼の帰任と私のタイ移住が微妙に重なり、その後、現在まで会っていない。ただ、年賀状のやり取りだけは続いている。数年ほど届かなかった年があったが、体調を壊していたと、年賀状に書かれていた。彼は年賀状に携帯電話もメールアドレスも記載していない。彼の性格を考えると、携帯やパソコンを持たずにいても不思議ではない。さて、いつか再会できる日が来るのだろうか?

Cさん

学生時代インドで会った方。実はインドで別れて以来、会うことはなかった。だが、タイに住み始めてからも年賀状でのやり取りは続いており、なんとなくの近況はお互いにわかっていた。やり取りを始めて数年後、年賀状にメールアドレスが記載されていたことがあったが、彼とはメールではなく、はがきでのやり取りのほうがふさわしい気持ちがあって、連絡を取ることはなかった。ただ、私の文章がある本に掲載された時だけは早く伝えたくメールを送った。返信はなかった。しばらくして返信があり、メールとかはあまり見ない性格なので返信が遅れて申し訳ないと書かれていた。

実は先日Cさんとついに会うことができた。そのときの話は置いといて、SNSをされているのなら交換しませんか、と申し出たところ、やはりあまり好きではないので、この類のものはやっていないとのことだった。会話からそういうものと縁のなさそうな生活を送っていることが窺えたので、納得した。これからも年賀状でのやり取りが続くことだろう。

 

Cさんと会って、いろいろと思うことがあって書いてみた。同じテーマを以前のブログでも書いたと思うけど、今の心境とは違うと思う。