Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

拘束時間が長すぎる

現地採用時代、拘束時間だけはやたら長いと思うようなことがしばしばあった。

ある会社に勤めていたときの話。当時の仕事は、タイ人作業員の補助や日本から来た方のサポートだった。作業そのものは私がするわけではない(やることもあったけど)が、作業者と一緒にいる時間は同じなので、拘束時間は彼らと同じかそれ以上だ。

あるときのこと。タイに工場があるK社がラインを新設する際、H社にそれを請け負わせた。H社は複数の取引先に仕事を振り分け、私の在籍していたF社もそのひとつだった。ただ異なっていたのは、F社はH社経由でなくK社から直接仕事を請け負っていたことだった。だが、進捗管理H社が請け負っており、全体の作業を考慮すると、F社のみで作業を進めることは困難なため、実質H社の指示のもと作業を行わざるを得なかった。

H社から〇日から現場に入ってください、という連絡があり、それに備えて日本からの出張者の受け入れやタイ人ワーカーの手配を行った。いざ当日現場に行くと、まだF社さんの工程まで進んでいないんですよ、ということが日常茶飯事。さすがに1週間先ということはなかったが、23日は何も作業できない、けれど現場に居てほしいということで、詰め所に1日中居続けることもあった。タイ人には「仕事がないなら帰らせろ!」といわれ(もちろん日当は払う)、出張者には文句を言われ散々であった。

F社勤務のときのこと。この当時、取引先に行くときは、運転手付きの車で訪問をする立場であった。ある日のこと。バンコクから車で2時間ちょっと離れたC社の工場で作業を行っていた。作業をしていると、会社から連絡があった。C社に納入している製品に不具合が発生したという。そのため、その製品をF社で修理する必要があるので、一緒に来ているタイ人スタッフに持ち帰らせるようにアレンジしてくれとのことだった。私の作業もまだ終わっていないので、私は一緒に帰るわけにもいかない。そういうと修理が終わったら運転手に運ばせるから、それまで取引先の工場で待っていてくれという。このとき13時過ぎだった。この製品を担当しているタイ人と一緒に来ていたので、彼は運転手と一緒に帰り、私はひとり工場に残された。自分の作業は時間を稼いでも、15時には終わってしまった。部外者は用事がなければ工場の現場に居続けるわけにはいかない。外に行こうにも車もない(この工場は工業団地にあり、工場以外なにもない。もちろんタクシーなどない)。幸いこの工場にはキャンティーンがあり、事情を説明して待たせてもらうことにした。当時は今のようにスマホがあるわけでもなく、まさかこんなことになるとは思ってもいなかったので本とか時間を潰すようなものはなにも持っていなかった。会社のロゴ入り作業服を着ているので、寝て待つわけにもいかない。会社に電話しても、車がないから待っててくれとしか言われない。ひたすらキャンティーンで待つだけだった。結局、修理された製品がC社に戻ってきたのは25時過ぎ。現場で動作確認を終えて出発したのが27時。タイ人のスタッフを送り、バンコクの部屋に戻ったのは30時。その後、8時にいつも通り出社した。

その後、このときのことで不満をあげたが、申し訳なかったとのひとこともなく、なにもしていないという理由で手当ても却下され、のちに退職する要因のひとつとなったのである。