Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

ラダック旅行記 Part 6 Zanskar(4)

車はさらに北東に進み、Zanglaへ向かう。この村にはかつてはPadum王家とZanskarを二分して支配していたZangla王家の末裔が今でも暮らしているそうだ。まずは北外れにあるNunneryへ向かう。Zanskarには意外とNunneryが多い。小高い丘の上に建つGompaに着くと、洗濯をしていたり、壁を直したりしていた。この日は男性の僧も来ており、それを手伝っていたりしていた。尼僧の多くは子供だ。タイでは口減らしで寺に預けられる子供が多いのだが、Zanskarではどうなのだろう?ここでZanskar滞在の間、唯一の白人旅行者と出会った。夫婦で来ているこのふたりは、ドライバーのほかに通訳も同行させていた。英語ではない言葉を使っているようだった。その後、かれらとは何度も出会うことになる。写真を撮っていると、まだ幼い子供ひとり、ずっとこちらを見ている。聞くとまだここにきて3週間、3歳とか……。ここにいる子供(尼といっていいのか?)の中でもちろん最年少だ。カメラを向けると怖がるとか喜ぶとか、なにかしらの反応があるのが普通なのに、ここまで無反応な子供は珍しい。それでも、最後は車を止めてあるところまで、老僧と一緒に見送りに来てくれた。

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次にZanglaで見るべきものは旧王宮である。ドライバーがカギを持っている管理人を探す。こうしたことはひとりで来てはなかなかできない。ようやく管理人を見つけ、車に乗って旧王宮跡へ向かう。無数のチョルテンが建ち並ぶ先にある岩山の上にZangla王家の旧王宮がある。車を途中で止めて、岩山を登る。鍵を開けてもらい中に入ったが、中は崩壊状態だ。一番上の3階の小部屋に1823-24年にアレクサンダー・チョーマ・ド・ケーレスというハンガリー人が滞在していたそうだ。厳しい寒さに耐え、ここでチベット語の研究と資料収集に励んだとのこと。この地で冬を過ごすということは、想像を絶する苦行だ。河口慧海に通じるものがある。ここにノートが置いてあり、名前を残しておいた。かなり崩壊が進んでいるが、修復作業も始まっているらしく、保存されることを祈りたい。

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旧王宮を降り、しばらく村の中心地でぼーっと過ごす。この日はHome Stay先に行くだけで、特にすることもない。人も歩いていない……。

することもないので、Home Stay先へ移動。しかしZanglaは狭い。道なき道を走ると、5分もしないうちに到着。まだ14時を回ったくらい。することがない……。荷物を置いて、もう一度村の中心地へ行く。今度は学校を終えたのか、子供たちがちょこちょこ現れるので、写真を撮っていた。それにも飽きると、少し車で村を周る。軽トラックに商品を積み、売りに回っている商人がいた。

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この日のHome Stay先は老夫婦のみの住まいのようだ。部屋に案内されるとすぐに主は外へ出て行った。少し離れたところで農作業をしているようだ。ドライバーはどこにでも行きたいところに行くぞーといってくれるが、どこへ行けばいいかわからない。あえていえば対岸の村にあるNunneryくらいか?Home Stay先から集落がすぐ見えるのに、片道1時間はかかるといわれ(橋がないので遠回りせざるをえない)、歩く気にもなれないので部屋で寝ていた。

日が沈むころになって、老夫婦が家に戻ってきた。しばらくすると、ここでも太鼓が叩かれる音が聞こえる。食事の準備を始める知らせなのだろうか。3人で一緒に夕食を食べる。ご主人は色々と話しかけてくれるが、互いに英語がそれほどできるわけではないので、コミュニケーションに苦労する。ある小冊子を見せてくれた。日本人とチャダル(凍った川の上を歩く)をしたときの写真集だ。「あなたも次回はやってみませんか」「いやーもう年ですし……」「私、このとき〇〇歳ですよ」その年齢を聞くと、今の私とほとんど変わらない……。大学時代、山岳部を一年で退部した(体育の単位目的だった)軟弱者には無理だ。しかし、地元の人にとってチャダルは日常であり、生活手段である。そのたくましさには頭の下がる思いである。

翌朝、7時過ぎに起床。どうもZanskarに来てからよく眠れるようだ。夜目覚めることもなく、こんな時間まで寝ることはタイで働いていたときには考えられない。すでに朝食は準備されており、老夫婦は外に仕事に出ていた。私が部屋から出たのが見えたのか、奥さんが戻ってきてくれる。食事の間、そばにいてくれるが、肩が痛いとぼやいている。ネパールでトレッキングをしたときに使わなかった筋肉痛用のクリームがあることを思い出し、置いていくことにした。Zanskarにいる間に使うこともないだろう。タイに戻ればいくらでも手に入る。

食後、身支度をしているとドライバーが迎えに来てくれた。少ないながらも宿泊料としていくばくかのお金を渡そうとするが、ここでも拒否される。なんとか説得して置いて行く。現金収入、決して多くないはずだが、ありがたいことである。

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