カイバル峠へ向けて出発。ドライバーの親父は典型的なパシュトゥーン人の容姿と身なり。立派な髭で私より年上と思うが……。英語はあまりできそうもない。
昨夜は暗くて見えなかった街並みも、今日ははっきりと見ることができた。バンコク並みの渋滞、秩序のない交通ルール、古びたビル、物乞い……。女性の服装も違う。フンザにはほとんどいなかったブルカを身に着けた女性ばかり。ほかのパキスタンの街とはちょっと違うといわれていることがよくわかる。
30分ほど渋滞の中を走ると、ようやく道が空いてきた。道路沿いにバラックが延々と軒を連ねているのが目につく。家畜がおり、野菜や果物を売っているテントもある。どことなく殺伐とした空気が漂っている。これがアフガニスタン難民キャンプなのだろうか……。
「さあ、ここがカイバル峠だ」
石でできたゲートの前で親父がいった。どうみても峠じゃない……。
ここはJamrudという街で、この街がどうやらカイバル峠の入り口にあたるらしい。
「No,No. Pass Pass , Border , Afganistan」
わかる単語でドライバーに目的地を伝える。
「ああ、あそこかあ。そこに行くには別料金だ、いいな?」
ゆっくりと金額を伝える親父、もしかしたら英語がわかっている?
実はバスターミナルで交渉した額は、聞いていた額よりもはるかに安かった。なにか理由があると思っていたが、これならわかる。親父の言った額は聞いていた額より安かった(教えてくれた人は護衛も一緒だったかもしれない)ので、すぐにOKした。
親父は再び車を走らせ始めると、ガソリンスタンドへ入った。
「あそこまで行くなら、ガソリンが足りないから、先に少し金を払ってくれないか」
1000パキスタンルピー(約900円)ほど親父に渡す。親父は500パキスタンルピー(約450円)ほどガソリンを入れたようだ。もちろん釣りは返ってこない。
この辺りから「トライバルテリトリー」と呼ばれるエリアに入る。パキスタン国内でありながら、国家の法の外にあり、事実上多部族が支配しているエリアである。かつてはこの地域に入るにも、許可証や護衛をつけることが義務つけられていると聞いていた。来てみると、チェックポストなどなく、拍子抜け。車は砂漠の中九十九折の道を駆け上がっていく。しばらくすると、過積載でのろのろと登っていくトラックを追い抜き始めた。
「あれはアフガニスタンへ行くのか?」
「そうだ」
過積載のトラックが列をなしている。渋滞だ。車列を無視し、追い越し車線を走っていく。途中いくつかの城塞、フォートが目に入った。人が歩いている。イメージにあった閉鎖された空間とは程遠い、ごく普通の辺境の街だった。これだけ交通量が多く、人も歩いているのなら襲撃されることもなかろう。車が進むにつれ、緊張がほぐれてきた。
線路が目に入る。かつてこの地には蒸気機関車が走っていたらしい。『地球の歩き方の最新版(2007-8)』に「蒸気機関車に乗ってハイバル峠へ」なんて記事も掲載されている。このころにはすでにレギュラー運行されていなかったようだ。険しい岩山を削って造られた線路やトンネルを、蒸気機関車が走っている姿を見たかった。
大きい集落に入った。Landi Kotalと書いてある。親父は道を探しながら車を進める。またトラックが列をなしている。
「外国人はこの辺りまでだろう」
辺りは広く道路のわきにはタイのショッピングモール並みの駐車場があった。そこに車を入れ少し散策。トラックが長蛇の列をなしている。税関検査?これじゃあ1日以上待たされるだろう……。両国を行き来していると思われる人でごった返していた。ゲートがあり、勝手にこれ以上は行けないと判断し、引き返す。現在、日本人はアフガニスタンのビザを取ることができない。観光ビザの申請には日本大使館のレターが必要で、当然日本大使館は発行していない。ただ、他国の旅行者は観光ビザで入国している。ここもどこかイミグレーションがあるはず(両国民は行き来しているのだから)だが、見つけることができなかった。(Google mapにはある)
数か月前に行った方から展望台で撮ったという写真を見せてもらっていた。スマホを操作してもその写真が出てこない。親父に説明できない。私がイラつき始めたのを見て、ほかの人を呼ぶ。英語できる人いないかあ~と言ってたらしい。食事中の男のところへ連れていかれ、英語で言えと促される。
景色のいいところへ行きたいとジェスチャ―付きで説明した。親父もわかったような顔をして聞いていたが、やはり場所の特定は難しいようだった。むさ苦しい男に囲まれ、雰囲気に飲まれていた。ほとんど滞在せずこの地を去る。アフガニスタンの紙幣らしいものがあったら、手に入れたかった。
帰り道、なかなかイメージしていた風景に出会えない。親父もここはどうだ?というが、イメージが違う。適当なところで記念撮影。今回の数少ない自分が写っている写真だ。
九十九折を下り、石でできたゲートのところまで着いた。なにもしていないのに疲れていた。親父が少し休ませてくれというので車を下り休憩。
横になりたかったので、教えてもらったホテルへ向かった。