予定通りにハウラ―駅(コルカタ)に到着。窓から見えるハウラー橋が懐かしい。
コルカタにはサダルストリートという安宿街としてバックパッカーに有名なところがある。古くは『深夜特急』の旅でも沢木耕太郎はサダルストリートに宿をとっていた。『バンコク楽宮ホテル』で有名な谷恒生も、その続編として『カルカッタ大真珠ホテル』(ホテルパラゴンはサダルストリートにある有名安宿)という作品を描いている。25年前の自分もバラナシからコルカタまで列車で移動し、サダルストリートを基点にふらふらと数日過ごしていた。
「サダルストリートに泊まるつもりですか?コルカタは渋滞がひどいから、飛行機に乗るなら空港近くに泊まったほうがいいですよ」
カシュガルで別れた方にアドバイスされていた。コルカタはほぼ24時間の滞在予定。空港近くはサダル以上に土地勘もなく、25年ぶりにサダルを見たかったこともあり、当初の予定通りサダルに行くことにした。
駅を出るとプリペイドタクシー乗り場へ。今はそんなものがあるらしい。25年前は人力車に乗ったら、途中で値上げしてきたので降りて、タクシー捕まえて行ったっけ……。
プリペイドはインド人にも好評なのか、長蛇の列ができていた。
無事にサダルストリートに到着。ドライバーがチップをねだるが無視して降りる。あれ、こんなに狭かったっけな?って、25年前もタクシーから降りて同じことをつぶやいたことを思い出す。
歩き出すと大きなバッグを持っているせいか、すぐに客引きが寄ってくる。無視するが、ニューデリーの客引きよりしつこい。やっぱりインドはこうだよなあ、と思いつつやはり無視して一往復する。今のサダルは設備のわりに宿泊代が高いと、敬遠される傾向にあるようだ。旅行者の数が少ない。
ふと見覚えのある名前が目に入った。タイのチェンライに行き始めたころよく泊まっていたToursit Inn……。同名のゲストハウスがサダルにもあった。これもなにかの縁とここに決めた。
25年前。バラナシからカルカッタ(当時)へ列車で移動した。列車に乗る2日前から下痢が始まり、それはカルカッタに着いても続いていた。朝はチャイ、昼か夜に宿泊先の近くで1食、という生活で回復を待っていた。その1食は中華が多かった記憶がある。そのときに通った店が香港飯店という名前だったことを思いだした。記憶をたどってその店に行くと健在だった。
なぜか無性にエビチリが食べたくなって注文した。楽しみにしていたが、出てきたものは……。がっかりして宿に戻る。気がつくと雨が降ってきた。外に出る気にもなれない。インド最後の夜、行きたいところもしたいことも思いつかない。雨で歩く気にもなれず、近場で食事を済ませた。
そのまま寝入ってしまい、バンコクのホテルを予約することを忘れていた。朝になって慌ててネットで予約。行けばなんとかなることは知っていても、最近はホテルを予約する習慣がついてしまった。
タクシーで空港へ。朝だったからか、渋滞はひどくなく予定通りに到着。しかしフライトは1時間以上遅れるとのこと。今回は最初から最後まで飛行機の遅延が続いた。