Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(3)

Ladakhに入って初めてのHome Stay。Home Stayも大きく2つに分けられ、ひとつは最初からHome Stayを生業にしているところ、もうひとつは特に生業にしていないが、宿泊希望者がいれば受けつけるところがあるらしい。Skurbuchanは観光客が泊まるような村ではなく(その後回った村と比べるとかなり大きく感じたが)、HotelはもちろんのことGuest HouseやHome Stayを生業にしているところもないらしい。だからドライバーも宿を探すのに時間がかかったに違いない。部屋は石の上にゴザのようなものを敷かれており、さらに座布団のようなものを並べてあった。毛布は部屋の端に重なっており、好きに使ってくれとのことだった。代理店の方が寝袋を用意してくれたので部屋に持ち込んだが、使う必要はなかった、ダウンジャケットを着て毛布を掛けて寝ると寒さは感じなかった。

f:id:pumpuikun:20170917165623j:plain

初めてのHome Stay先での朝食。チャパティと卵料理。チャパティにはジャムが添えられていたが、外国人用だろう。チャパティは小麦の全粒粉と塩を混ぜて出来上がった生地を焼いたもの。味が薄くあまり好きではないが、この地ではこれが多い。今回の旅行中数か所でHome Stayをしたが、滞在先によって異なる味を楽しめた。

f:id:pumpuikun:20170917165454j:plain

08:00過ぎに荷物をまとめて出発。車は西へと進んだ。これまでと比べると道は少し悪くなってきたが、走るのが困難というほどではない。しばらく走ると緑が増えてくる。花の民と呼ばれるドクパが住むダー・ハヌーエリアに入る。特に観光名所はないが、周囲と比べて緑が多い。幹線道路を外れ、Dahへ入る道で放牧の群れに道を塞がれた。この後、なんども遭遇することだが、この時が初めて。しかもここは道が狭いこともあり、迫力を感じる。

f:id:pumpuikun:20170917170716j:plain

f:id:pumpuikun:20170917165722j:plain

一般的にドクパは花の民と呼ばれることが多いが、これは宗教儀式の際に頭に花を乗せることから呼ばれていると思われる。普段はほかの民と変わらない服を身に着けている。顔立ちは彫りが深く、ラダック人とは少し違うようだ。ガイドブックや旅行代理店にあるような写真は、儀式のときしか見られないと思ったほうがいい。ただ、この地は緑が豊富で、畑でなにか作物を作っていたし、村中にアプリコットの木も植えられている。幹線道路を外れてから100m以上登ったはずだが川の水もあり、乾いた土地の中に突然現れた桃源郷のような村だった。行ったことのないフンザ(パキスタン)がこんな感じかな、とふと思った。

f:id:pumpuikun:20170917165848j:plain

f:id:pumpuikun:20170917165920j:plain

f:id:pumpuikun:20170917170011j:plain

f:id:pumpuikun:20170917170025j:plain

f:id:pumpuikun:20170917170039j:plain

Gompaは無人で鍵がかかっており、村人を呼ぶ必要があったが、どうも出かけているらしくかなりの時間を待たされた。中には千手観音が祀られていた。Gompaを見たあと村を歩く。Sukurubuchanほど大きくないこじんまりとした村だ。子供を見かけない。学校へ行ってるのだろうが、この日のルート上、学校らしいものは見かけなかった。さらに奥のほうにあったのかもしれない。

f:id:pumpuikun:20170917170120j:plain

f:id:pumpuikun:20170917170153j:plain

Dahを離れ、元の道を戻りLamayuruへ向かう。途中、メインの街道を外れSanjak Valleyと呼ばれる道に入る。街道沿いの村々にはモスクがあり、イスラム色が強まってくる。歩いている人々の顔つきも違う。ちょっと単調な道だったのでうとうとしているうちにKargilとLehを結ぶ道路に入っていた。いくつかの軍事基地を通り過ぎFotu La(4090m)を越えてLamayuruに入る。今回の2泊3日ではこのFoto Laが一番高いところだ。代理店の方が下ラダックは一番高所順応に適しているというのはこういうことだろう。

f:id:pumpuikun:20170917171409j:plain

f:id:pumpuikun:20170917170313j:plain

Lamayuruに到着。下ラダックで訪れる観光客が最も多い村だろう。Moon Land=月の世界とも呼ばれる異様な形をした岩肌に囲まれている。Gompaの前で車を止め、入館料を払い中に入った。本堂の外の壁画は新しい。また本堂の中に入って右側には石窟につながる小窓があり、奥に像が飾られている。このGompaは内部よりも外観のほうが見ごたえがあるような気がする。観光客はほとんどインド人で白人やその他アジア系はほとんどいなかった。インド人の多くは仏教徒ではなく、Gompaでの態度も決していいものではない。とにかく騒がしい。英語での注意書きなど無視だ。騒がしくなるたびに少年僧が注意を促すが、すぐに騒ぎ出す。今回回ったGompaでは最も観光客が多いとともに、最もマナーの悪い観光客だらけのGompaだった。少年僧に同情したくなったくらいだ。ガイドブックに村へ降りる途中にあるセンゲガンというお堂にはきれいな壁画と像仏像があると書いてあったので探してみたが、見つからなかった。探しているうちに雨が降り始め、本堂に戻って雨宿りだ。インド人旅行者の多くは雨の中車に戻っていった。しばらく本堂で雨が止むのを待つ。先ほどまでインド人に注意を促していた少年僧もひと休みだ。本堂の上のほうでお経が聞こえ始めた。雨が弱まった合間を縫って、移動する。このお堂では年配の僧が中心となって、お経が唱えられていた。中に入って少年僧が座っている横に座ってお経を一緒に聞いていた。インド人旅行者が中を覗き、私に写真を撮っていいかと聞いてくる。服装が全然違って僧ではないことはわかるはずだが、こうして聞いてくるのはインド人らしい。撮影禁止の表示は出ていたが、彼らは関係なく中に入って一回りし写真を撮っていく。やはり宗教が違うとこうも感覚が違うのだなあと実感。僧は一心不乱にお経を唱えているが、内心うっとうしいに違いない。お経の合間に流れる打楽器や管楽器の音が心地よい。いかにもチベットだなあと思ったひとときだ。1時間もしたころ、少年僧がバター茶を持ってきてくれた。ありがたいことである。お経をまだ唱えられない少年僧が10人くらい座って聞いていたが、彼らは私に視線を投げかけてきた。こんなに長い時間座り続ける観光客は多くないのだろう。バター茶がなくなるとすぐに注ぎ足してくれる。結局2時間半ほどお経を聞いてからGompaをあとにした。

f:id:pumpuikun:20170917171846j:plain

f:id:pumpuikun:20170917171926j:plain

f:id:pumpuikun:20170917171943j:plain

ドライバーは笑いながらいったいなにをしていたんだ?と尋ねてくる。今日はこのLamayuruで泊まるだけだから時間に余裕があったからずっと見てたんだよ、とだけ答える。この日もHome StayでSingay Home stay and Resturantというところに荷を置いた。ここはHome Stayを生業にしているところで、ベッドのある部屋に案内された。夕食を食べ終えるとすることはない。電気は通じているがwifiはダウンしているとのこと。ダメもとで挑戦すると、なんと奇跡的に繋がった。急いでメールを送って30分ほど友人とチャットしていると突然電気が消えた。もちろんwifiもダウン。ラダック/ザンスカールで唯一ネットがつながった瞬間だったが、まさかこのときはそんなことを思いもしなかった。

f:id:pumpuikun:20170917172000j:plain

ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(2)

再び街道に戻る。車は西に進み、カルツェという宿場町で休憩。なにか買い物をするのであればここでするように、このあとまともな店はないですよ、という代理店の方の話もあり、バナナと水を購入。ドライバーもなんか食べて行けという。陸路移動のときはできるだけ食事をしないという考えを持っている。だが、今回はこのあとなにが食べられるかわからないという恐怖心のようなもののほうが上回り、レストランでカレーを食べることにした若干戦ったが美味しいカレーが出てきた。この2泊3日では一番のごちそうだった。

街の外れにチェックポイントがあった。この先の分岐点、私が行く道はパーミッションがないと通れない。もちろん事前にとってあるので、それを見せに事務所のようなところへ運転手が行った。しばらく走ると広大な空き地にコンテナがいくつも並んでいた。前年に倒産した韓国の会社のものだ。その数50から100。タイで仕事をしていたとき、コンテナを扱う仕事をしていたので、気になってしまう。インドの港から運ばれているのだろうが、冬の間、港のあるところからここまでの道は閉鎖されているはず。いったいどうやって?なんの目的でここに?疑問は尽きないが、もう関係ないので、あまり深く考えないようにする。

f:id:pumpuikun:20170915215433j:plain

しばらくして今日の宿泊地、Sukrbuchanに到着。この地ではホテルはなく、HomeStayをすることになっているので、Stay先をドライバーが探している。正直この辺の交渉はよくわからない。このコースをアレンジするとき、多くの旅行者はもう少し先のDah(翌日訪問する)で宿泊することが多いそうだ。だが、代理店の方は「Pさんはあまり人が行かないところのほうがお好きなようですので、こちらのほうがいいのでは?」とSukrbuchanを勧めてくれたので、ドライバーもあまり知らない村だったと思う。ただ言葉は通じるので、なんにんかと話した後、この村での宿泊地を確保できた。

荷を置いた後、「ゴンパ行く?それとも明日の朝にする?」とドライバーに尋ねられたので、山の上に建つゴンパまで歩いて行くことにする。このとき17時過ぎ。暗くなると嫌だなあーと思いつつ、宿泊先を出てゴンパへ向かった。

f:id:pumpuikun:20170915215504j:plain

 

村人とすれ違うたびに「ジュレー」と声をかけられる。ジュレーとはネパールでいうナマステのようなもので、いつでも使える便利な挨拶だ。山の上にあるといっても、Rizongと違い、村の中を歩いて行く道のりだ。ゴンパからお経が聞こえてくる。マイクを使っているので、村まで届いているのだ。ゴンパに着くと、下男と思われる人から、寄っていけと声をかけられる。最初はバター茶だったが、すぐに食事を勧められる。ドライバーも食べていくというので一緒にいただく。ごはんと豆の煮込み、そして卵。質素な食事だ。お祈りをしている僧とは別の僧がひとり、ドライバーとずっと話していた。小僧もひとり、なにかに色を塗っている。しばらくすると、お経を唱えていた僧が戻り、僧院を案内してもらった。この案内してくれた僧というのが、タイ人の知り合いにそっくりで、親しみを感じる。ここの壁画はかなり新しく、また少しエロスを感じるものが多かった。さらに博物館と称して、古い食器などが岩をくり貫いた洞窟のようなスペースに展示されている。あまり有名ではないが、実はけっこう裕福な僧院のようだ。その後、いくつものゴンパを回ったが、ここがいちばん僧にていねいに案内してもらえたような気がする。この時はそう思わなかったけど……

f:id:pumpuikun:20170915215747j:plain

f:id:pumpuikun:20170915215817j:plain

そろそろ暗くなるからと、ゴンパをあとにした。村まで降りると、どこからか村人が道路に集まって座り込んでいる。その数、100人以上……いったいなにがあったのか?ドライバーに聞いても要領を得ず、まあ、お前らもそこに座れや、と村人に言われるがままに座っていた。すると、チャイを飲めとコップを渡されチャイが注がれ、飲み干すとすぐに別の村人が注ごうとする。そのうち今度はアルコールだ。アルコールは全く受け付けないので断固として拒否。ドライバーも必死に断っていた。あとで聞くと、かなり強い酒だったらしい。そのうち、だれからともなくうたが歌い始められ、みなで合唱がはじまった。その間もチャイや酒がふるまわれ、おなかが膨れてしまった。紙パックのジュースが出席者にふるまわれ、私やドライバーにも回ってきた。そろそろ暗くなってきたので部屋に帰ろうとドライバーに告げる。ドライバーもちょっとこの雰囲気にはついていけなくなってきたようだった。部屋に戻るとドライバーが「食事、何時ころがいい?」と尋ねる。いや、さっき僧院で食べたじゃん、おなかいっぱいでなにも食べられないよ、それより早く寝させてくれ、もう疲れた、という気分だったので、そのように告げるとなぜか驚いている。さっき、お代わりするくらい食べていたのだれだよ…ということばを飲み込み、この日はこのまま寝てしまった。

f:id:pumpuikun:20170915215904j:plain

ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(1)

07:00、Guest Houseに車が迎えに来てくれた。ドライバーはグショックさんという30代半ばの男性だ。挨拶を交わし、さっそく出発。レー市内を出ても道がいい。この道はスリナガルまで通じている軍事道路ともいえるからだろう。非常時には戦車が走り、場合によっては戦闘機が離発着することも考えられる。車も整備されており、走っていて不快ではない。ネパールとの国力を感じさせてくれた。あまり英語はできませんが…と代理店の方がいう通り、ドライバーはあまり話しかけてこない。のちにザンスカールへ一緒に行ったドライバーは陽気な男(ムスリム)だったが、彼はこちらから話しかけないとあまり話をしてこないタイプだった。それでも時間が経つといろいろと話しかけてくれた。

最初に声をかけられたのはインダス川ザンスカール川の合流地点。水の色が微妙に異なる。どうやら撮影スポットらしく、写真撮ろうか?といわれたが、とりあえず合流地点の写真のみ。その後、インダス川沿いに車は走り、最初の目的地Alchiに到着した。

f:id:pumpuikun:20170915173017j:plain

 

Alchi Choskhor Gompa

ラダックザンスカールだけではなく、チベット文化圏でも1,2を争うほどの仏教美術の宝庫として知られるゴンパ。スムチェクと呼ばれるお堂の中に入ると、内部には細密画が描かれている。残念ながら撮影禁止。ただ、一瞬息が止まるような美しさであったことは間違いない。保存状態は決していいとはいえず(のちに他の僧院に行ったときと比べるとかなりましだったが)、見られるうちに見ておくほうがいいと思う。

f:id:pumpuikun:20170915173236j:plain

 

Tshatshapuri

Alchi Choskhor Gompa からさらに歩くこと数分。途中小川を渡ったが、橋は工事中。行きは工事をしている脇を通ったが、帰りは川の上を石伝いに飛んで渡った。パッと見た感じただの建物にしか見えないが、無人の僧院らしい。近くの住人を呼んでカギを開けてもらう。内部は赤を基調とした曼荼羅などが描かれていたが、傷みが激しく修復もままならない状態のようだ。

f:id:pumpuikun:20170915173636j:plain

 

次の目的地Mangyuに向かう。車はインダス川沿いにさらに奥へ進む。幹線道路から離れているので、石の上を走る感じ。それでもネパールでジョムソンまで車で行ったときのことを思うと楽勝な道だ。

 

Mangyu Gompa

Alchiほど有名ではないが、ここも見ごたえのある壁画が残っているとのことだった。ここも住人を呼んでカギを開けてもらい中に入ると、やはり損傷が激しかった。3つほどあるお堂を回っているとき、ダウンジャケットにくぎを刺してしまい穴が開いてしまった。ダウンが抜けてしまい、こちらのショックのほうが大きかった……

f:id:pumpuikun:20170915173758j:plain

 

幹線通りに戻り、次の目的地Rizongへ向かう。

 

Rizong Gompa

藤原新也の「全東洋街道」にも出てくる有名なGompa。ウレトクポという街で道路を外れ、ひたすら山道を登っていくが、途中住居はない。いかにも修行の場という感じだ。実際、かなり厳しい戒律の寺院として知られているそうだ。麓に少年僧が学ぶ学校がある。

f:id:pumpuikun:20170915174146j:plain

院のあるほうへ登っていくとかなり規模の大きいGompaであることがわかる。いくつもの建物が山の傾斜に沿って建ち並んでいる。ドライバーのあとをついていく。特記するような壁画はないが、歩いていてやはり雰囲気が違うのだ。Alchiがかなり世俗的であるのに対し、ここは宗教色が強いまさに「気」のようなものを感じられた。ひと通り回ると、僧の一人がお茶でも飲んでいきなさいというので、お言葉に甘えてミルクティーを一杯。お代わりを勧められ、このあとはバター茶。最初はいいがこのあとこのバター茶攻撃には悩まされ続けた。なお、ここにムスリムは入れないそうだ。

 

f:id:pumpuikun:20170915174000j:plain

バター茶を飲み干して、移動開始。幹線道路からこのGompaまで約5㎞。車がなんとかすれ違える程度の道幅、なんどもヘアピンカーブを曲がり、ちょっと間違えればがけ下へ落ちる道……当然公共の輸送機関はなく、たいていの旅行者は車をチャーターするが、まれに歩いて訪ねる旅行者もいるようだ(藤原新也もそうだ)。

f:id:pumpuikun:20170915174433j:plain

 

ラダック旅行記 Part 2 レー

Jigmet Guest Houseに荷をおくと、寝不足のためか、いつの間にか横になっていた。デリーまでのフライトこそ多少は眠れたが、入国後は一睡もしていない。小一時間ほど経ったころに目が覚めて、以前メールのやり取りをした旅行代理店まで歩いて行った。

Jigmet Guest Houseから歩いて1,2分のところにあるこの旅行代理店はHidden Himalayaという。やはり高度3500mのせいか、寝不足のせいか、わずか1,2分といえ、歩くと息苦しさを感じた。

代理店に入ると、日本人女性が迎えてくれた。この日に行くことは伝えてあったので、すぐにわかってくれた。明日から早速出かける、というのはやはり高度順応できていないので無理、早くて明後日から動きたいという旨を告げ、先方もそのほうがいいということで話を進める。

  • 下ラダック+花の民 (2泊3日)
  • ヌブラ渓谷 (2泊3日)
  • ツォモリリ (2泊3日)
  • ザンスカール (6泊7日。移動に4日かかるのでザンスカールに4泊。域内は丸3日)

話を聞きながら以上に様な大雑把なスケジュールを立てた。

下ラダックは高度があまり高くないので、高度順応に適していること。パンゴンツォとツォモリリとふたつの湖があるが、パンゴンツォはインド人の間でブームになっていてインド人だらけだから、静かな環境を求めるならツォモリリのほうがいい。ザンスカールはまだ道路が開通していない。ただ、上の3つのツアーに行ってる間に開通するのは間違いないということで、日程を立てると、私の滞在予定の間に6泊7日で行くことは可能、ということだった。

ツアー自体は前日に決めてもらえばいいですから、ということで今日のところは体調が万全でないことから回答を保留した。両替所を教えていただき、米ドルを両替。1$⇒63IRP。滞在中になんどか両替したが、ずっと同じレートだった。ネパールと違い、レーでは各両替所にレートが表示されていなかった。

 

わずか10分程度歩いただけでも、息の乱れが明らかだった。さらに軽い頭痛。これは一度戻ったほうがいいと思い、Guest Houseに戻って仮眠をとった。

夕方になって起き上がると、頭痛はだいぶ治まっていた。まだ食事をとっていないなあ、と思ったが、なぜか空腹を感じない。レーの街を散策する。マニ車を回しながら歩いている人、いかにもインド人といった顔つきの人、モスクから聞こえるアザーン、いかにも異国に来たという気持ちに浸ることができた。

 

翌朝、起きると明らかに頭痛は治まっていた。朝、散歩したところ、息苦しさは変わらない。前月、ネパールで行ったムクティナートが3700m程度。2700m程度のジョムソンからバスで入ったときにかなり息苦しさを感じた。高度が上がると空気が薄くなるので、当然のこと、これは慣れるしかないだろう。しかし、レーの街は坂が多い。ちょっと歩くだけでもハァハァと息が切れる。

散歩のあと、旅行代理店を訪れ、予定通り下ラダック+花の民のツアーを依頼した。ツアーといっても、個人で車をチャーターするので、自分が行きたいところに行くことができる。昨日提案のあったスポットにいくつか追加してもらい、明日7時にピックアップしてもらうことにした。

f:id:pumpuikun:20170915161342j:plain

イスラム教徒のパン屋

 

ラダック旅行記 Part 1 バンコク⇒デリー⇒レー

ラダック観光の基点となるのはインドのレーという街。高度3500mほどのところにある。陸路だとマナリからバスで1泊2日というのが一般的なルート。5000m級の峠をいくつか越える長旅だ。空路だとデリーから毎日数便飛んでおり、1時間ちょっとのフライト。この時期はインド人が避暑で多く訪れており、チケットも高騰している。今回は予算についてある程度目をつぶることにしているので、迷わず空路に決めた。

 

インドを訪れる際、不安な点があった。

  • ビザ取得方法
  • デリーでの乗り継ぎ

1は空港でアライバルビザが取れることはもちろん知っていた。しかし、インドのビザルールは頻繁に変わるし、万一取れなかった場合がどうしても気になっていた。またインドは学生時代に行ったことがあるが、それ以来一度も行っていない国だ。学生時代の記憶は、心身ともに疲れる国としか残っていない。地球の歩き方を読むと、デリーの評判はあまりよくない。今回の目的はあくまでもラダック、デリーに用事はない。だったら、空港から出なければいいじゃないか、と思い、デリーを深夜発早朝着のフライトを探した。

 

5月19日23時15分TG331は定刻通りに出発し、デリーには20日2時過ぎに到着した。アライバルビザのカウンターを目指し、ようやく見つけると前には日本人が一人いるだけだった。申込用紙に記入し、カウンターで提出するとインド人英語がわからない……ったくこいつはしょうがないやつだ、と担当者は思ったのだろう、まだすべて終わっていなかったもうひとりの日本人にこいつに説明してやってくれと伝えていた。彼に聞くと、宿泊先の情報が不十分だったらしい。地球の歩き方にある住所電話を記入、改めて提出。次はビザ代の支払いだ。2000IRPをカードで支払うように言われ、日本発行のビザカードを機械に通す。暗証番号を入れるよう指示が出たので入力したが、認証されない……3回ほどやってダメだったので、タイ発行のビザカードを通す。今度は暗証番号を求められず、なんとかクリアーできた。ほかの空港でのアライバルビザの取得状況はわからない。申請書類記入からビザ+入力スタンプ取得まで30分はかかっていなかったので、スムーズなほうだと思う。なおビザは「60日滞在可能。入国は2回まで」となっていた。5月20日から60日後の7月18日まで滞在可能、一回は出国してもその期間ならもう一度入国できる、ということだ。ビザ取得時に出国チケットが必須と聞いていたが、申請書に出国フライトの情報を求められたものの、チケットの控え(自分はタブレットに入れていつでも見せられるように用意していた)を求められることはなかった。ラダックのあと、ネパールに行くことになっているが、出国チケットを求められないのであれば、カトマンズからコルカタに飛び、コルカタからダッカまでバスで行ってダッカからバンコクへ行こうかな、などとふと考えた。結局ラダックもザンスカールも移動に疲れてそれどころじゃなかったのだけど……

 

アライバルビザのカウンターで入国スタンプを押されたので、そのまま入国。ターンテーブルで荷物を受け取った。次は両替である。ネパールの通貨は持っているものの、インドの通貨は1IRPたりとも持っていない。ネットではデリー空港の両替はレートが著しく悪くお勧めしないという情報があふれていた。ただ、レーの空港には両替所がないということで、最低必要額の両替は必要だった。提示されたレートは1$⇒59IRP。さらにここから手数料とやらを引き、実質1$⇒57IRPだった。ちなみにレーでは1$⇒63IRPで手数料などもなかった。タイでも空港の両替所はレートが悪いが、インドはそれ以上ではないか。

 

インド通貨を持つことで少し気持ちにゆとりができた。とはいえ、空港の飲食店に入るのも気が引け、椅子はいくつも空いていたので、そこで時間を潰すことにした。空港内は明るいし、私のように乗り換えで時間を潰す必要のある人も多いので、インドといえどそれほどの恐怖感はなかった。荷物をもってトイレに行くのがちょっと大変だっただけだ。

 

レー行きはジェットエアウエイズで6時50分発。5時になって2階の国内線出発カウンターへ移動した。早朝発のフライトが多いようで、チェックインカウンターは1階のスペースよりもごった返していたが、座るスペースは十分にあり、さらにビーチにあるようなベッド?も並べられており、こちらで待っているほうがよっぽど楽だったとちょっと悔しがる。チェックイン後、荷物検査は厳重で、カメラやバッテリーが引っ掛かり3回くらいゲートをくぐらされた。ただ、係員の態度にはなぜかイラつかなかった。ネパールほど態度がでかいわけではないが、かといって必要以上にへりくだった態度でもない。堂々と自分の任務を遂行しているという雰囲気だった。

 

席に着くと、隣は空席だったがすぐに女性ふたりがやってきた。ひとりは私の隣、もうひとりはそのうしろの席だったのだが、話している言葉がなんとタイ語だったのだ。思わずタイ人ですか?と聞いてしまった。そうですよ、あなたもタイ人?いや、日本人ですけど、と答えたら、彼らは集団だったらしく、坊さんを含む8人のグループで同じ飛行機に乗っていたので、グループ内で会話し始め、特に会話することはなかった。ラダックザンスカールにいた3週間、日本人は代理店で会った2人と代理店の女性の3人しか見かけなかったが、タイ人はその後20人くらい見かけた。僧院ではタイバーツが供えられていたが、日本円は硬貨を含めて一度も見ることがなかった。海外に出る日本人は減っていないようだけど、ビジネスで行く人が増えただけで、観光客は減っているのではないか、と改めて感じている。

山岳地帯を飛ぶこの飛行機は予想通り揺れが激しかったが、8時20分予定通りに着陸。先月行ったジョムソンの空港よりも山が身近に見える。ここはすでに高度3500m、空気も薄くなっているはずだが、このときはひんやりとした空気としか感じなかった。

ターンテーブルで荷物を取った後、空港に出る前に外国人は入域の登録のようなものをさせられた。パスポートナンバーや宿泊先を書いた紙を提出するだけ。市内まで5㎞くらいと聞いていたが、プリペイドタクシーでゲストハウスに行くことにした。300IRP。ゲストハウスはネット内の評判や地球の歩き方から判断し、Jigmet Guest Houseに決めていた。

 

f:id:pumpuikun:20170623210759j:plain

 

ラダック旅行記 前文

以前からチベット文化圏を旅行したいという気持ちがあり、

旅行する時間のある今行かなければいつ行ける?!ということで行くことを決めた。

中国共産党に壊されたチベット自治区には、自分の求めるものはないと判断。

自分の中で思いついた候補地は

・ラダック

ダラムサラ

・シッキム

だった。

 

画像検索を行い、自分のイメージに最も近かったのがラダックだったので、ラダックに決めた。それから情報収集。移動は思ったよりきつそう(正解だった)なので、旅行代理店を通して車をチャーターすることにした。

日本人女性が経営する代理店を見つけ問い合わせ。日程的に希望しているところはすべて行けるようだ。ラダックのさらに奥に位置するザンスカールについて特に知識を持っていなかったが、ラダックに二度と行くこともあるまいと思い、日数にはゆとりをもってチケットを手配した。問い合わせたときには、ザンスカールへの道が閉鎖されており、私の滞在予定期間中におそらく開通するであろうという回答だったのだ。結果としてこれが正解。ザンスカールはこれまで訪れたどの土地よりも美しい景色の土地であり、そこに住む人々の信仰心の強さややさしさが身に染みた旅行となった。

f:id:pumpuikun:20170623002016j:plain

職場での挨拶にワーイは必要か

ワーイとは、胸に手を合わせて行う挨拶のこと。

職場での挨拶というと、思い出されるのは新卒で入った会社でのこと。研修中に配属先の部長が新入社員を連れて社内を案内(10階建て自社ビル)していたときのこと。階段で清掃員とすれ違った際、誰一人と声を出して挨拶をしなかったところ、部長にこっぴどく叱られた。今となっては当然だと思うけど、入社直後ということもあって、強い印象を残っている。実際、社会に出ると、偉い人の方がしっかりと挨拶されているように感じる。これも当然ですが。学生時代、運動部にいたことやこういう経緯もあるので、あいさつはきちんと行っている方だと思っている。

さて、タイの職場。たいていの会社は声であいさつするけれど、まれにワーイを加えるところもある。かなり上の方、例えばワーカーが社長と会うときなどは、もちろんワーイすることがほとんどだ。ある会社で年下のスタッフに仕事以外でフォローしてもらったことがあり、ワーイしながらขอบคุณมากครับ(ありがとうございます)っていったら、年上の人がそんなことをするものではないですよ、と私が悪いことをしたかのごとく、彼に説教?をされたこともあり、ワーイの安売りは止めようと思うようになった。

ある職場、私の肩書きはマネジャーでもう1人タイ人マネがいて、その上にタイ人上司がいた。管轄は総勢300人強。この職場、やたらとワーイが多い。マネジャー以下、それぞれのポジションでも、みなワーイして挨拶を交わす。前述の通り、ワーイの安売りは止めようと思っていたので、ワーイされても声と笑顔だけ返していた。ある時、社長に呼び出され、タイ人からワーイをしても無視されるというクレームが来ている、どういうことだ!と言いがかりをつけられた。一応説明したのだが、社長は納得せず。その後、300人近いスタッフと毎日ワーイを交わすことを余儀無くされた。ワーイ始めた初日は、タイ人上司に呼ばれ、ワーイするようになってタイ人から評判よくなったよ、と驚きを持って評価された。

この会社以外、マネジャークラスがワーイを交わし合っている会社を私は知らない。