Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インドネシアに行ってきた

突然のインドネシア行きだった。

ある方がスマトラ島を取材に行くというので勝手に同行させていただいたのだ。取材目的についてここで述べるわけにはいかないので、メディアに出るころ(たぶん半年以上先)にまた宣伝を兼ねて報告したいと思う。

スマトラ島のメダンから入国し、スマトラ島を列車、バス、飛行機を使って周り、南部の港からフェリーでジャワ島へ渡り、ジャカルタまで列車で移動した。スマトラ島は旅行者を見ることもなく、また英語がこれまで旅行した国の中では最も通じなかった。取材先がかなりローカルな土地が多かったので、タイの田舎も似たようなものかもしれない。ホテルのフロントで、英語の数字さえ通じないこともあった。それでも取材者が英語でなんとか説明していると、英語のできるインドネシア人が現れて、間に入って助けてくれることも多かった。ある親切な女子大生らしきインドネシア人には、写真撮影を求められた。その後、彼女たちはFBに投稿したようだ。

インドネシア料理というのがどういうものなのか、よくわからないまま取材を終えた。取材チームの方々は何度かインドネシアに来ているのだが、やはり中華料理のほうが日本人の口に合うのは確かなようだ。シアンタールという街の華人経営のレストランで食べた酢豚とジャカルタの有名店(通称:俺の餃子)の餃子は絶品だった。

インドネシアイスラム教徒が世界で最も多い国だ。モスクは村にひとつ以上あるんじゃないか、というくらい多かった。時折キリスト教会も見ることがあったが、やはりモスクにはかなわない。バリ島へ行くとヒンドゥー教であるが、スマトラジャカルタではヒンドゥーを感じることはなかった。犬を忌み嫌うイスラム教なので、犬を一度たりとも見ることがなかったのは当然か。また至るところにバッテリーを充電できる(もちろんフリー)ところがあった。駅はもちろん列車やバスにもあった。

今回は移動が多く、街をゆっくり見ることはできなかったが、シアンタールのように気に入った街があればそこでゆっくり過ごすこともしたいと思わせる10日だった。

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駅前にいるペチャの客引き

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ペチャ

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バス車内

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駅にはこんな形で充電できるようになっている

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シアンタールの華人食堂にいた流し

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帰省するのかな?

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この国の人はカメラを拒否らない人が多い

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ワンボックスで移動中、物売りがやってくる

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結構売れている

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客がいないので暇らしい

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ドライブインにて

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揚げ物が多い

 

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カメラ目線のペチャドライバー

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楽しそうだ

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駅前食堂にて

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駅の構内に入れないので、弁当売りがフェンス越しに営業活動

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メダン郊外のモール

 

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車内でコーヒーを。車内販売は1時間に一度くらい回ってくるが、このときはなぜか男性の売り子のみ。そのせいか売れ行きがいまいち。

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駅前食堂にて

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フェリー乗り場

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フェリーで戦車を輸送するらしい

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ホテルの天井。メッカの方向を指している

 

 

 

ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(4)

Turtukに到着したのは13時を過ぎたころだった。車を河原に止めると、砂をロバの背中に積んでいる親子がいた。Guest Houseの場所を尋ねると、橋を渡りまっすぐ行くと見えるという。橋を渡ってから急坂を上り5分ほど歩くと、この日の宿であるKharmang Guest House and Restaurantに到着。人気がなく、ドライバーが人を探していると、いかにもムスリムという風貌の老人が現れた。この辺りはバルディと呼ばれるイスラム教徒が多く住む村だ。顔つきも明らかにレーや下ラダックで見た人とは違う。少しエキゾチックな雰囲気が感じられる。料金の確認をしてチェックイン。どうやら客は私だけらしい。名前を書いてくれといわれ宿帳を見ると、20日ほど客はいなかったようだ。だが一番最後の客がタイ人3人と日本人1名というのは意外だった。荷物を降ろし、来る途中にあったCaféへ行きひと息つく。川の流れは速く、清流の音と山間の風景がなんともいえない。Dahよりもこちらのほうがフンザ(パキスタン)に近いような気がしてきた。ドライバーはメギーというインドで有名なインスタントラーメンを、私はフライドポテトを注文した。Cafeに地図があった。どうやら渡った橋を中心に村はふたつに分かれているようだった。まずは川向うへ行く。家屋は石で建てられたものが多い。路地を歩くと子供たちが恥ずかしそうにこちらを見ていた。写真を撮って用意していた飴を渡す。しばらくするとBlack Smithの作業場があり、強面の大人たちが鉄を打っていた。通りがかると寄って行けと声をかけられたので、覗いていく。言葉が通じず、ドライバーが現地の言葉で大人たちと話す。ムスリムは写真を撮られるのが嫌いと聞いていたので黙って作業を眺めていた。すると、なんだ写真を撮らないのか?と不思議そうに尋ねてくる。なん枚か写真を撮ったが、子供たちと同じ飴では申し訳ない。一度車まで戻って、残っているバナナを渡す。そのまま橋を渡りGuest Houseのある側へやってきた。Guest Houseのさらに奥にGompaがあるというのでドライバーと一緒にそこまで歩いて行く。石造りの家屋を通り過ぎると、畑が辺り一面に広がっている。女性や子供ばかりが作業をしている。写真を撮ろうとするが、なかなか撮らせない。特に女性は無理な雰囲気。また10 IRPという子も多い。この村は大人は誇り高きムスリムという感じだが、こどもはすれてきているようだ。特にGuest Houseのある側はひどい。Sukurubchanがかなりフレンドリーな雰囲気だったのに対し、DahやTurtukはどこか警戒されている雰囲気を感じる。モスクを通り過ぎ、しばらく歩くとインド人の親子が歩いてきた。彼らから得た情報によると、Gompaは軍が管理しているので、近くまでしか行けなかったということだった。移動続きで疲れてきたこともあり、一度宿に戻ることにした。

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しばらく横になって休んでいると、外が急に暗くなってきた。すぐに強風が吹き始めた。さらに雷が鳴り始め、雨が降ってきた。Guest Houseの主が部屋にやってきて、本当だったら庭で食事を食べてもらうのだが、この雨じゃ無理なので部屋に持ってくるけどよろしいかな?と尋ねてくる。30分ほどして主が奥さんとともに食事を運んできてくれた。「こんなものしかなく申し訳ない。口に合えばいいのだが……」言葉は通じないが、なんとなくそんなことをいってるように聞こえた。ひとりで食事を済ませると、雨脚が強くなり停電となった。横になって寝るしかなかった。

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翌朝、昨夜の嵐とは打って変わって晴天となっていた。朝食までの時間、村を散歩した。子供たちは学校へ、女性は水汲みや畑仕事へ。昨日は夕方からの嵐で外に出られなかった。居心地のいいこの村にもう一泊したいという感傷に陥りそうだ。今後のことを考えると、延泊は厳しそうだ。朝食は他の村では見ることのなかったヨーグルトが卵に代わってついてきた。酸味と濃くのある美味しいものだった。

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朝食後、荷物をまとめて店の主に写真を撮らせていただいた。写真が好きではないことはわかっていたが、この主の写真はどうしても撮っておきたかった。もうレーに帰るだけないので、持参していた飴やバナナなどの食料を全て渡して宿を去った。このあと行ったツォモリリを含め、ラダックでは最も居心地のいい気持のいい村だった。

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昨夜とは打って変わっての快晴で、車は順調に進んだ。来るときは渋滞だった橋も軍のトラックと遭遇することもなくスムーズに走ることができた。

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Hundarに到着。キャメルライディングに挑戦だ。以前、タイでポ二-に乗ったときはすぐに尻が痛くなって後悔した。15分と60分のコースがあるがどうすると聞かれたが、迷わず15分を選んだ。ラクダ使いに案内されて砂漠の上を歩いて行く。座っているラクダにまたがったが、ラクダはなかなか立ち上がらない。一緒に来た別の観光客のラクダはすぐに立ち上がって、砂漠の中へと進んでいった。ラクダ使いが苦労してようやく立ち上がる。ラクダは意外と毛深く、また乗り心地も決していいものではない。ラクダ使いがラクダを引いて砂漠の上を歩いて行く。15分の小さな冒険だ。

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Deskitを越えて、山を登り始める。だが対向車が昨日と比べると少ない。North Pullに近づくと雪が降ってきた。Hundarの暑さがうそのように冷え込んできた。North Pullを過ぎたところでドライバーが「Traffic Jam!」と前方を指さす。道路沿いに車が渋滞しているというが、私には車が見えない。彼は視力がいいようだ。しばらくすると車がはっきりと見えてきた。確かに動いていない……渋滞の最後尾に到着。ドライバーは車を降りて様子を見に行った。車がすれ違えないようだった。このルートではよくあることだろう。高度4000m以上での停滞はさすがに怖い。断続的に雪も降っていた。幸い1時間もしないうちに開通し、車はKhadong Laへ。行きと違い観光客はいなかった。ちょうど雪が強くなりはじめ、写真を撮ってすぐに車内へ戻る。短時間だからか、高山病の症状はほとんどなかった。下りに入っても雪は降り続く。途中バイク3台とすれ違う。クラクションが鳴らされ、我がドライバーにこの先の道の様子を聞いていた。予想以上に寒く、引き返そうか迷っている様子だった。これからKharsalまで行くのも大変だと思うが、彼らは無事に到着したのだろうか?平地に近づくにつれ、雪は止み日差しが差してきた。18時前にLehへ無事に到着。

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ナミヤ雑貨店の奇蹟

東野圭吾原作の映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を見に行きました。

原作に完敗ですね。西田敏行小林薫にほかのキャストが圧倒されている。彼らの存在感が強すぎです。ストーリーも原作を端折りすぎて、映画が軽く感じてしまいました。原作読んでいないと、理解できない人、いるんじゃないかなあ?2時間半でエピソードを全部詰め込むのは無理だと思うけど、ただ原作にあったエピソードを押し込んだだけのイメージが拭い去れない。原作を映画が凌駕することはなかなかありませんね。でも、日本で映画を見たのは20年ぶりくらい。またなにかあったら行きたいものです。

映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』公式サイト

ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(3)

7時前起床。Guest Houseの前を歩くと、ある家族が水を汲みにやってきていた。水道のない村では、水を汲みに来ることから一日が始まるようだ。宿に戻ると朝食が用意されていた。チャパティと卵、それに昨夜のカレーの残りだ。

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この日はTurtukまでの移動のみでTurtukでゆっくり過ごす予定だったが、前日に見る予定だったGompaを見ていないので、見学後に向かうことになった。しかしチェックアウトの際に明細を見せられると、最初に運ばれたチャイの代金が含まれていた(ドライバーの分も)。金額的には大したことないのだが、最初のツアーでは宿泊費に含まれていたので、ちょっと気分を害した。さらにこの代金を払ってお釣りをもらおうとすると、お釣りがないといい「チップチップ」とまさにインド人のふるまいだ。悔しいが、食事の美味さに免じて払うことにした。

ガイドブックによるとSumurとTegarにはいくつかGompaがあるようだが、今回行ったのはSumurにあるSamtanling Gompaだけだった。ほかにもPanamicの川向かいにEnsaというGompaがあると聞いていたが、橋が架かっているところ(少なくても地図には載っていないしドライバーも知らないとのことだった)がわからず、時間もないことから断念した。

Samtanling Gompa

村の奥に位置するゲルク派に属するGompa。入り口には学校もあるが、関係者以外立ち入り禁止の看板も。この辺りの中心的なGompaでかなり大きい。7月にダライ・ラマがいらしたようだ。ここもその準備や増改築を行っていて、多くの村人がここで作業をしていた。砂曼荼羅の下書きのようなものが印象に残っている。

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Gompaをあとにして一路Turtukに向かう。前日に通った道だが見ていて飽きない。荒涼とした大地をひたすら車は走り続ける。Kalsar近くの二又まで戻る。この日はバスが止まっていた。しかし、予想以上の混雑ぶり。とてもあんなバスに乗ってこの悪路を移動する気にはなれない。昔の旅行記を読むと多くの旅人がバスで移動しているようだったが、外国人にとっては乗り合いジープやチャーターのほうが一般的だと思う。ここからHundarまではラフティングの基点であったり、砂漠の上をバギーに乗れるところがあったりと旅行者向けのアトラクションが用意されている。ラフティングは時期が早そう(水温が低い)だが、バギーは白人旅行者が好みそうだ。我が車はこれらのアトラクションに全く見向きもせずにHundarへ到着。今日も周囲でカギを持っている人を探したが見つからず。橋を渡ってHundarをあとにする。しばらくすると右側にかなり大きな集落が見えてきた。Baseだ、とドライバーはいうがさらに近づくとAirportと言い直した。4月に使ったネパールのJomsonよりずっと立派な空港だ。パキスタンとの国境地域でもあるこの辺りでは、軍の駐屯地がいくつも見られる。Khardung Laをジープで越えるよりこの空港までヘリで物資を運ぶほうが効率的だ。民間機は飛んでいないが、7月にダライ・ラマがNubraを訪問したときはこの空港を使っている。さらに川沿いの道を走り続けると、前方に軍のトラックが数十台走っていた。さすがに抜くことができず、我々の車もそのあとをついていくしかなかった。橋が見えてきた。橋の手前から大渋滞になっている。ドライバーによるとチェックポストを兼ねた橋は、同時に1台しか走ってはならず、スピードの制限もあるという。前方の軍のトラックがすべて渡り切るまで、我々は前に進めない。同じようにTurtukへ向かう車からインド人が降りて、ドライバーと話し始める。慣れたもので、しょうがないなあ・・・という感じである。インド人らしい好奇心で「どこから来た?」「ひとりか?」という質問攻撃を受けたのはいうまでもない。結局40分ほどこの橋の手前で待たされて、橋をゆっくりと渡った。写真を撮りたかったが、インドで橋というのは重大な軍事機密であり、軍人がどこで見ているわからず、別のところでドライバーに止めてくれと懇願されていたので、写真はない。この先、全く同じ橋がもう一か所あり、このときは途中の基地で多くのトラックが入っていたので、最初の橋ほど待たされることはなく渡ることができた。同じような道が続く。たまに見られる緑と荒涼とした風景の色合いがなんともいえず美しい。Lhadakで最も好きな風景だった。ところどころ見られる村はすでにイスラム圏に突入しているようで、府見かける人の顔つきも違う。車が通りすぎるたびに子供たちが手を振ってくれるのがNubraに入ってから続いていた。

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ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(2)

 Deskitをあとにして車はさらに奥へ進む。次の目的地はHundarという村だ。Deskitを越えるとうねうねと波打つ真っ白な砂丘が広がっている。この砂丘フタコブラクダに乗って歩き回れるキャメルサファリを楽しむことができるが、この日は行わず、最終日に乗る予定だ。

Hundar

Deskitの北西約8㎞。村の奥の道路に面したところにお堂があり、ここには像が祀られているということだったが、カギを持った人が見つからず。ただお堂はガラスが割れていたり、ほとんど管理されているように見えなかった。ガラス越しに見る限り、特になにか壁画なども見えず、荒れ果てた雰囲気だった。道路を挟んだ岩山には砦跡とお堂があったが、管理人が見つからない状態で登っても仕方がないと思い、この日は引き返すことにした。それにしてもこの辺りは通りがかる人も少ない。このお堂のすぐ先に架かっている橋は以前までチェックポストがあり、外国人はこの先に行けなかったらしい。

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この先を行くとTurtukというパキスタンとの国境に近い村へ行けるのだが、この日はHundarで引き返す。車から見たHundarは道沿いにはこれといったものもなく、道路から外れたところに大きな集落がみられるようなところだった。集落にはテントが多く見られ、旅行者の宿泊先になっているらしい。旅行者には居心地のいい村と聞いていたが、通り過ぎるだけだとその魅力はわからなかった。自分は2泊3日のスケジュールでNubraを手配したが、1泊しかできないのであれば、HundarかDeskitで宿泊するしかなく、旅行者は私が宿泊するような村に行かないのならそう感じるのかもしれない。

Karsalの先にある分岐点で今度は右側に車は進路をとりPanamicに向かう。ここは温泉が湧き出ているというのだ。宿泊予定(あくまでも予定)のSumurを過ぎ、車はひたすらPanamicを目指す。けっこうな時間になっており、果たしてPanamicまで行ってこのSumurまで戻って来られるか、かなり不安になっていた。

Panamic

温泉が湧き出ていることから旅行者に人気があるらしいが……まずは温泉へ向かったが、日本人の想像するような温泉ではない。小屋の中にある小さなプールのような湯船?があるが、お湯はほとんど入っておらず、温泉につかるなんてことはできない。ただ、シャワー室のようなスペースがあり、そこでひと浴びすることにした。実はラダックに入っていちどもシャワーを浴びていなかったのだ……中の様子を見て浴びることを決めてから、シャンプーなどの入ったバッグを車まで取りに行き、再び小屋に戻る。ドライバーも浴びるらしく、一緒にカバンから必要なものを取り出していた。実際にはシャワーもなく、蛇口から出るお湯をバケツに入れて、水と合わせて温度を調整。それを頭からかける……このくり返しだ。お湯は意外にも熱湯といっていいほど熱かった。湯冷めしないといいなと思いつつ、約1週間ぶりに浴びたお湯は気持ちいいものだった。服を着ていると、インド人の観光客がやってきた。インド人にはなぜか受けている奇妙なスポットだった。

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Panamicの村を適当に走らせてもらったが、ここも住人の姿はほとんど見ることがなかった。遠くで農作業をしているか、放牧に出かけているのだろうか。それにしてもそろそろ日も陰ってきたのに……車は今日の宿泊予定地Sumurへ向かった。代理店の方からいただいているスケジュール表には宿泊地Sumurとある。このSumur、実はTegarという村と隣接している。Panamicから向かうとTegarのほうが手前に位置する。ドライバーは「今日どこ泊まる?」といので「どこでもいいから早く泊まるところ決めようぜ」と答えるとドライバーはGuest Houseの看板を見て「あそこ、行ってみる?」という。看板にはTegarと書いてある。このときすでに18時半近くになっていた。どこでもいいから一度横になりたかったので、そこでいいと答える。Guest Houseに行くと、ラダックではあまり見かけないThis is Indiaといった男性が部屋を見せてくれ、値段も予算内だったのでここに決める。この村には食堂もないので、Guest Houseで食事を作ってもらうことになった。するとこの男性が今から材料を買いに?行くと外へ出て行った。18時半を過ぎたが、外はまだ明るい。このころ、日の入りは19時半ころだったと思う。少し横になったあと、村を散歩してみた。村といっても走ってきた道くらいしか歩いて行けそうなところはなく、通りすがりの子供の写真を撮るくらいしかすることはなかった。退屈なところだなあ~と思いながら歩いているとある看板が目に入った。「Cultural Show」とあるその看板には7:30-9:00Pmまでなにかやるということが記してあった。すでに準備を始めているのか、中から打楽器の音が聞こえてきた。Guest Houseに戻りドライバーにこのことを話すと買い出しから帰ってきていた従業員、実は英語が全く(数字でさえ!)理解できずドライバーを介さないと会話が成り立たないのだ、に聞いてくれた。この地では現金収入が少ないこともあり、村おこしの一環で村の女性が伝統衣装を身に着けてダンスを披露してくれるらしい。9:00までとなっているが、旅行者がいる限りShowを見せてくれるから、先に食事を食べて行けという。すでに7:30近くなっているが、そういわれると従わざるを得ない。従業員の男はキッチンでなにか作りはじめていた。いつ終わるか、気が気でないまま時間は過ぎていく。ドライバーに先に見に行ってから食事しない?というが、ドライバーはいやすぐできるっていうから待とうよというばかり。8:00を過ぎたあたりで少し大きな(怒りを込めた)声でドライバーを話していると、別の男性がドライバーに声をかけてきた。どうやらこのGuest Houseのオーナーらしい。オーナーはドライバーから話を聞くと、従業員にかなりきつい声でなにかいい始めた。結局食事ができたのは8:30過ぎ。急いで口に運んだのだが、これが悔しいほど美味しいのだ。だが気分を害していた私はこのときの食事の写真を撮っていなかった。スープが前菜でカレーのようなものと美味しいチャパティ+ライスだったような気がする。とにかくレー以外で食べた食事で最も美味しかったことだけは記憶に強く残っている。ラダックは自分のイメージするようなインドではなかったのだが、このGuest Houseにいる間はまさにインドにいるような感覚だった。食事を終えて会場に行こうとすると、オーナーが車で連れて行ってくれるという。まあ歩いても2分程度だったと思うが、さすがにこの時間は外も真っ暗で、歩いて行くのはちょっと怖かったので助かった。ドライバーと一緒に会場へ着くと、なにやら歓声が上がって盛り上がっていた。2,30人のインド人グループの女性が、この地の伝統衣装を身に着け、音楽に合わせて踊っていたのであった。男性陣も写真撮影などして大盛り上がり。そのうちみんなで踊り始め、お前も踊れーとインド人に言われ、よくわからないまま体が動いていた。突然音楽が止むと、じゃあねーとインド人旅行者は帰っていった。どうやら9:00を過ぎたようだ。あーあ、もうちょっと見たかったなあ、と思いながらインド人のあとに続き会場をあとにしようとすると、オーナーが「もう少し待て。今からダンスを披露するから」という。座って待っていると生演奏が始まり、村の女性たちが伝統衣装を身にまとい、伝統的な踊りを披露してくれた。どうやらオーナーが話をしてくれたらしい。2分程度のものだが、観客は私とGuest Houseのオーナー、ドライバーの3人だけ。ぜいたくなひとときであった。多少のお金をおき、音楽を奏でていた子供たちに飴を渡して、会場をあとにした。

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レーに戻ってから、代理店の方に「TegarではなくSumurに泊まることにしていたのはなにか理由があったのか」尋ねてみたが、特に理由はなく、Sumurのほうが大きいから泊まるところが見つかりやすいと思ったからだったそうだ。もし予定通りSumurに泊まっていたら、このショーは見られなかったかもしれない。Guest Houseの従業員の振る舞いに腹を立てつつも、食事の美味しさやショーが見られたことを思うと、ここに泊まってよかったのか、判断に苦しむところでもあった。

ラダック旅行記 Part 4 Nubra Valley(1)

PhyangからLeh に戻りそのまま旅行代理店へ。代理店の方と訪問した先々での話をしつつ、明日からヌブラ渓谷へ行くツアーを正式に手配した。このエリアに外国人が入域するときは、インナーラインパーミットと呼ばれる許可証が必要だ。個人では取れないため、事前に旅行代理店の方に取得をしていただいていた。旅行代理店の方が組むルートは比較的時間に余裕があると思い、出発を1時間ほど遅らせて8時でお願いした。一度宿に戻って一休みしてから夕食へ。街を歩いても、出発前よりも息使いが落ち着いている。この2泊3日のルートはLehと比べてもそれほど高い土地を訪れていない。少なくても初日と比べると、かなり楽になっている。

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Nubra Valleyは標高5620m(公称)のKharudung Laを越えたところにある渓谷地帯。Shayok RiverとNubra Riverがもたらす豊かな水により、緑に恵まれたオアシスが形成された土地だ。また訪問予定地のTurtukという村は、2010年に外国人の入域が許可された村。1973年までパキスタン領だったそうだ。移動ルートは一気に高度が上がるので不安だったが、高いところはKharudung Laのみ、宿泊先も3000m前後なので、下ラダックのときと大して変わらなさそうだ。

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08:00Guest Houseで朝食をとってからゆっくりと出発。ドライバーも同じグショックさん。Lehの街は意外と狭く、少し走るとすぐに山を登り始める。道は車がすれ違うのがやっとの狭さ。左は崖、右は谷。対向車とすれ違うたびにスピードを落とし、慎重にすれ違う。ドライバーは慣れているようだが、いつもヒヤヒヤする。山道なので、スリナガルへ行く道とは雲泥の差。それでも舗装されている間はよかったが……。しばらくしてドライバーが山のほうを指さして「あれがKharudung Laだ」と教えてくれた。「うーん……雪が多いなあ」とぼやいたような気がする。景色のいいところで観光客が記念撮影しているので、我々も車を降りて一枚。しばらくしてチェックポスト(South Pull)があり、ドライバーがインナーラインパーミッションを見せに事務所へ行く。かなり高度が上がっているが、車に乗っているだけだからか、それほど息苦しさも頭痛も感じられない。

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その後、山を登るにつれ舗装の具合がひどくなってきた。また高度が上がるにつれ路上に雪が残るようになり、雪の上を走るようになってきた。しかし軍用道路でもありNubraに住む人々にとっては貴重な補給路でもあることからか、どんなに高いところでも除雪作業を行うワーカーがいるのに驚く。そのほとんどが手作業。まさに人海戦術だ。車が通るたびに手を振ったりするワーカーも多い。こんな高地であのような肉体労働をする人間に事欠かない国……インドの国力を見せつけられた気がする。10:00前にKharudung Laに到着。意外と早く着いた気がした。早速記念撮影だ。インド人を中心に多くの観光客が記念撮影を行っている。峠の周りを少し歩いても、多少の息の乱れはあるものの、頭痛は感じられない。高度順応できてきたのかもしれない。

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これまでは登りだったが、これからはずっと下りに入る。路面が雪で滑りやすいのか、運転手は上りのとき以上に慎重でに運転しスピードが出ない。我が車だけでなくほかの車もスピードが出せず、道は渋滞となっていった。また道が狭いため、ときどきカーブを曲がり切れない車もあった。するとすぐに後ろが詰まってしまう。ドライバーの力量が問われる道であるようだ。二度目のチェックポスト(North Pull)があり、ドライバーはパーミッションを見せに行く。やはりこの地は国境が近く、微妙な土地であることに気づかされる。さらに走り続けるとKhalsar(3140m)に到着。ここまで来ればもうこれまでのような下り道はないようだ。路上の雪もなくなっており、ドライバーもほっと一息、ひと休みだ。もしなにか買うのであれば、ここで済ませてくださいとのことだった。水は多めに買ってあるので、今回はバナナのみ。ちなみに1本10IRP(17,8円くらい?)。このバナナさえ、数週間前まで手に入らなかったそうだ。Khalsarを過ぎしばらく走ると、分岐点があった。まずは左、Deskit方面へ向かう。荒涼とした道を走り、Deskitに到着。ここはNubraの中心地でもあり、かなり大きな村だ。まずはDeskit Gompaへ向かう。このGompaも岩山の上に建てられているが、車道が通じているのは幸いだ。ドライバーと別れGompaの真下からお堂へ歩いて向かうと、道に迷ってしまったらしい。迷ってしまったところは垂直に切れ落ちた断崖が望め、タルチョ(祈りの旗)がかかっているのを見ることができた。あとから上がってきたドライバーに案内されてお堂を見学。Gompaの壁画にはそろそろ飽きが来ているようで、写真も撮っていなかったようだ。その後、お堂の向かいにある小高い丘の上にある像を見に行く。こちらは修復中だった。7月にダライ・ラマが訪問されているので、その準備だったかもしれない。ここから見るDiskit Gompaはなかなかのものだった。このころからGompaそのものより、景色のほうが強く印象に残るようになり、仏教美術には関心が薄れていった。

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ラダック旅行記 Part 3 下ラダック+花の民(4)

朝食は今日もチャパティと卵焼き。Home Stayに限らずこの地ではこれが定番のようだ。

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この日はLehに戻りながらいくつかのGompaを周る予定。8時過ぎにGuest Houseを出発した。このときはまさかもう一度世話になるとは思いもしなかったが……

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Lamayuruの街を少し離れたところにあるMoon Landといわれる異様な形をした黄褐色の岩肌の山々を見ながら、車はWanla Gompaへ向かう。

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Wanla Gompa

村の中心にある岩山の上に建つGompa。この地のGompaはどこも山の上にある。入り口に着くと僧が一人髭を剃っていた。ドライバーが交渉してお堂を開けてもらう。Alchiに似た構造のお堂に千種観音などが祀られている。壁画も痛みが激しいがまだ見られる程度に残っていた。山の上からの景色もいいのだが、若い僧の態度が感じ悪く、長居したくなかったので早々に引き上げる。Lamayuruからそれほど遠くない地にもかかわらず、ひとりで任されているのは苦痛なのだろうか。お堂のカギを開けると案内することもなくすぐに消え、お堂以外を見学して再び戻るとカギがかかっていた。またほかにもいくつかお堂があったが、現在公開しているのはここだけということで、ひとつしか見学できなかったのは本当に残念だった。Sukurpchanとは大きな違いだ。

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Lamayuruから来た道を戻り、再び街道に出て、次の目的地Saspolへ向かう。

Saspol

村の北側にある洞窟の中に壁画が残されている。「旅行人ウルトラガイドブック「ラダック」」によると、洞窟は全部で五つあるらしいが、ほとんど崩壊しているようで残っているのは唯一扉が残っている洞窟のみらしい。洞窟といっても山を登ったところにあるため、車を途中で止めて、ドライバーと一緒に登っていった。我がドライバーは、この唯一扉が残っている洞窟以外行ったことがないということで行かなかったが、戻ってからネットやガイドブック(前述した「ラダック」はザンスカールへ行く前に旅行代理店の方から借りたもので、この時は手元になかった。なお、古本市場でも見かけないので、ラダックに行こうと考えている人は見つけたら即買いである)を見ても、ドライバーの言うとおりだと思う。個人的にはAlchiより壁画の印象が強く残っている。どうやら自分は洞窟寺院というのが好きらしい。

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洞窟寺院を見終え山を下りる。すると村人が集まってなにやら集会のようなものを行っていた。ちょっと覗くと、座って食事をしているようにしか見えないが、人々はなにか楽しそう。結局ここでも紙パックのジュースをいただいてしまい恐縮してしまう。Sukurupchanと似たような集会と思うが、こちらは日中だったせいか、アルコールは回っていなかった様子。

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再び街道に戻り、次の目的地Likirへ向かった。

Likir Gompa

街道から外れて一本道を5kmほど進んだところにある。村の奥に位置する。かなり大きなGompaではあるが、ほとんど印象に残っていない。境内にある巨大な像があったことくらい。

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さらに東へ向かいPhyangへ。

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ここはPhyang Gompaの前に村の奥にあるGuru Lhakhangへも足を運んだ。

Guru Lhakhang

村の東外れにある山の中腹にある小さなお堂。まずはカギを持っている村人を探し、家を訪ねる。ドライバーが食事誘われているけどどう?というので茶だけならということで家を訪問。だが茶だけで済むわけなく、やはり食事を出された。素朴なチャーハンのようなもの。ドライバーと村人がなにか話しているが、よくわからない。ここでなんとかぶせてあった歯が取れてしまったのだ!この歯、1年かけて一度治したのだけど、最後のチェックの際に問題が発覚してやり治した歯。結局2年越しで今年の2月にようやく治療が完了したばかりだった。この間約2年……取れた歯を財布に入れておく。タイに戻ってから被せ治してもらった。

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食事を終え、カギを持っている管理人とともに山を登る。SaspolといいこのGuru Lhakhangといい、とにかく登ってばかりの1日だったが、ここもSaspol同様、素晴らしい壁画が残っていた。赤を基調とした色鮮やかな壁画は希少なもの。保存状態があまりよくない上に、修復されることもないと思われるので、こちらも早めに見に行ったほうがよさそうだ。

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Phyang Gompa

Likir Gompa同様かなり大きなGompaだが、僧はほとんどおらず。特に印象は残っていない。

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メモの一部を紛失してしまっており、その時々の心情をあまり描写できませんが、思いつくままに書き綴っています。

 

※ 9月19日日本のテレビでこのPhyangが登場。なつかしい風景を見ることができました。Guru Lhakhangも映っていましたが、かなり修復されているようです。よかったのかどうか(どこまで復元されているのか?)なんとも言い難いですが。