Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(4)

バスターミナルにいた方に教わったホテルを何度も伝えたはずだった。この方はドライバーの親父にも直接伝えていたはずだった。

ペシャワールに戻り、親父は何度も車を止めて、歩いている人にホテルの場所を聞いていた。

「おお、やっと着いたぞ」

大通りから狭い路地に入っていく。曲がるときに看板が出ていた。しかし、英語ではなくウルドゥー語……。この辺りで抗議するべきだった。だが、疲れていたのか、面倒だったのか、親父の言うままにホテルへ連れていかれた。

f:id:pumpuikun:20181128104910j:plain

受付にいた男性。この地で生きていくのは思いやられそうな容姿。

ホテルの前にも英語表記はない。親父が客人を連れてきたとフロントの男に伝える。部屋を見せてもらうと、トイレ以外はきれいな部屋だった。これくらいだったら外国人を泊める許可も得ているだろう。ここに泊まることにした。チェックイン手続きを済ませ、ドライバーともお別れだ。

「じゃあ、4000パキスタンルピー(約3600円)」

親父は嬉しそうに受け取ると

「ここからバスターミナルまでは20分も見ていれば大丈夫。ラホール行きは6時7時8時とある」と教えてくれた。

部屋に戻りひとやすみ。カリマバードを出てからどうも思うようにいかない。ホテルは日中だというのに地元の宿泊者で満室に近かった。なぜかひとりでいる男性が多い。外に出るにしても、見る限りなにもない。wifiもない。14時を過ぎたばかりだったが、部屋でごろごろするしかなかった。

ふとチェックイン時にもらった領収書を眺める。よく見るとホテルの名前が英語で出ていた。全く違う名前だった……。Palaceという言葉以外共通の言葉はなかった。やっぱり……。さらに、親父に4000パキスタンルピー払ったことを思いだす。4000パキスタンルピーで同意したが、ガソリンスタンドで1000ルピーをすでに払っていた。最後に3000パキスタンルピー(約2700円)払えばよかったはず。1000ルピー多く払ってしまった……。高いチップと授業料と考えるしかなかった。

夜になってさすがに腹が減ってきた。ポテトチップを食べただけだった。外は真っ暗であまり遠くに行けない。ペシャワールはハンバーグが有名らしいが、そんな店は見当たらない。近くに入った店に入ってもなにがなんだかわからない。いわれるがままに出てきたものを食べる。

f:id:pumpuikun:20181128104829j:plain

ちょっと味が薄かった。ヨーグルトはすっぱすぎてダメ。スプライト込みで290パキスタンルピー(約261円)

5時起床。荷物をまとめチェックアウト。まだ暗闇の中、大通りまで歩き車を探す。10分もしないで見覚えのあるバスターミナルに着く。ガソリンスタンドに机を出しているチケット売り場だ。ラホール行きは7時とのこと。やはり親父のいうことはあてにならなかった。

7時ちょうどにバスは出発。乗客は3人ほど。10分ほど走って止まったところから3,4人乗りこむ。乗客が少なくても定刻通りに走るバスはありがたい。

f:id:pumpuikun:20181128175153j:plain

ペシャワールからラホールへ。このバスで乗客は10人以下。

ドライブインで休憩し、バスは13時にラホールへ到着。2週間前に見た風景だ。

客引きに囲まれる。ボーダーまで3000パキスタンルピー(約2700円)という。来たときは1500パキスタンルピー(約1350円)だったので、値下げ交渉。しかし、1600パキスタンルピー(約1440円)までしか下がらず。乗らずにいると笑いながらバックを奪い去り車の中に入れ、私の体も車の中へ。

f:id:pumpuikun:20181128111832j:plain

囲んできた集団(笑)

うっすらと国旗が見えてきた。国境だ。途中、なんどかパスポートの提示を求められ、ゲート近くまで行く。車はここまでだ、と警備兵に言われ車を下り、運転手に1600パキスタンルピーを渡す。指示されるがままに別の車両に乗り換えると、乗っていた男が両替を誘ってきた。パキスタンルピーをインドルピーへ。

出国はちょっとトラブった。私のインドビザはe-visaと呼ばれるもので、事前にネットで申請し空港で受領、パスポートにスタンプが押されたものだった。パキスタンイミグレはこれに疑問を呈し

「このビザが本物かどうか、スタンプだからわからない。(スタンプだと簡単に偽造できる?)ここでお前はパキスタンビザは使い切る。インドに入国できなかった場合、パキスタンに戻れないから、お前も我々も非常に困ったことになる。お前の出国は認められない」

といってきた。

パスポートは返ってこない……。袖の下の請求?しばらくすると白人のカップルがやってきた。イタリア人だという。彼らはバイクで旅行していた。バイクの置き場のことなどイミグレ職員と話し始めると、窓口を空けるように促され、イタリア人に譲った。

イタリア人の出国手続きが終わると、再び呼ばれる。先ほどのような拒否姿勢はなく、ごく普通に出国手続きが終わった。よくわからない国境だった。ようやくパキスタンを脱出できた。

※ ペシャワールの宿:1泊目はEmaraat Hotel。帰国後地図で調べると旧市街の奥の方に位置している。ホテル予約サイトにも載っている。しかし、日程をいつにしても満室の表示(Agoda)。営業していないのか、外国人を泊めたくないのか。今もってホテル閉鎖の真実は不明。2泊目の宿はバスターミナルと道路を挟んだ向かいのエリアにあった。2000パキスタンルピー(約1800円)。日中でも部屋で水浴びをしている音や話し声でうるさい。外の表示はウルドゥー語のみ。パスポートのコピーを取られたから、外国人が泊まることもあるのだろう。トイレ以外は自分が泊る宿泊施設として十分だった。ペシャワールも外国人が泊まれるホテルは限られている。

www.emaraathotel.com.pk

※ ペシャワールの雰囲気:北部とは全く違う。外国人が少ないので目立つ。遠慮ない視線を浴びせられ、ひとりで気後れしてしまった。しかし離れてしまうと、あの雰囲気をまた感じたいと思っている自分がいる。

※ カイバル峠:行くときは本当にビビっていたが、行ってみると拍子抜け。日中であれば襲われる心配はない。車両の往来が激しく、それどころではないだろう。展望台のようなところがある。映像はYoutubeにある。たどり着けなかったことが悔やまれる。

※ 両替:インド側よりパキスタン側のほうがいいといわれている。このときは1パキスタンルピー➡1.65インドルピーだった。

※ アフガニスタン:ビザが必要だが、アフガニスタン領事館では日本大使館からのレターを必要としているため、観光ビザは取れない。他国ではそういう方針は聞かないので、観光ビザで入っている旅行者もいるはず。(英語サイト調べるほどできないので)タリバンに仏像を破壊されたバーミヤンで、日本人女性がゲストハウスを経営している。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(3)

カイバル峠へ向けて出発。ドライバーの親父は典型的なパシュトゥーン人の容姿と身なり。立派な髭で私より年上と思うが……。英語はあまりできそうもない。

昨夜は暗くて見えなかった街並みも、今日ははっきりと見ることができた。バンコク並みの渋滞、秩序のない交通ルール、古びたビル、物乞い……。女性の服装も違う。フンザにはほとんどいなかったブルカを身に着けた女性ばかり。ほかのパキスタンの街とはちょっと違うといわれていることがよくわかる。

30分ほど渋滞の中を走ると、ようやく道が空いてきた。道路沿いにバラックが延々と軒を連ねているのが目につく。家畜がおり、野菜や果物を売っているテントもある。どことなく殺伐とした空気が漂っている。これがアフガニスタン難民キャンプなのだろうか……。

「さあ、ここがカイバル峠だ」

石でできたゲートの前で親父がいった。どうみても峠じゃない……。

ここはJamrudという街で、この街がどうやらカイバル峠の入り口にあたるらしい。

f:id:pumpuikun:20181127205023j:plain

Jamrudにあるゲート

「No,No. Pass Pass , Border , Afganistan」

わかる単語でドライバーに目的地を伝える。

「ああ、あそこかあ。そこに行くには別料金だ、いいな?」

ゆっくりと金額を伝える親父、もしかしたら英語がわかっている?

実はバスターミナルで交渉した額は、聞いていた額よりもはるかに安かった。なにか理由があると思っていたが、これならわかる。親父の言った額は聞いていた額より安かった(教えてくれた人は護衛も一緒だったかもしれない)ので、すぐにOKした。

親父は再び車を走らせ始めると、ガソリンスタンドへ入った。

「あそこまで行くなら、ガソリンが足りないから、先に少し金を払ってくれないか」

1000パキスタンルピー(約900円)ほど親父に渡す。親父は500パキスタンルピー(約450円)ほどガソリンを入れたようだ。もちろん釣りは返ってこない。

この辺りから「トライバルテリトリー」と呼ばれるエリアに入る。パキスタン国内でありながら、国家の法の外にあり、事実上多部族が支配しているエリアである。かつてはこの地域に入るにも、許可証や護衛をつけることが義務つけられていると聞いていた。来てみると、チェックポストなどなく、拍子抜け。車は砂漠の中九十九折の道を駆け上がっていく。しばらくすると、過積載でのろのろと登っていくトラックを追い抜き始めた。

「あれはアフガニスタンへ行くのか?」

「そうだ」

パキスタンアフガニスタンの間の物流はかなり盛んなようだ。

f:id:pumpuikun:20181127212046j:plain

過積載のトラックが並ぶ

過積載のトラックが列をなしている。渋滞だ。車列を無視し、追い越し車線を走っていく。途中いくつかの城塞、フォートが目に入った。人が歩いている。イメージにあった閉鎖された空間とは程遠い、ごく普通の辺境の街だった。これだけ交通量が多く、人も歩いているのなら襲撃されることもなかろう。車が進むにつれ、緊張がほぐれてきた。

線路が目に入る。かつてこの地には蒸気機関車が走っていたらしい。『地球の歩き方の最新版(2007-8)』に「蒸気機関車に乗ってハイバル峠へ」なんて記事も掲載されている。このころにはすでにレギュラー運行されていなかったようだ。険しい岩山を削って造られた線路やトンネルを、蒸気機関車が走っている姿を見たかった。

大きい集落に入った。Landi Kotalと書いてある。親父は道を探しながら車を進める。またトラックが列をなしている。

「外国人はこの辺りまでだろう」

f:id:pumpuikun:20181127200007j:plain

車を止めた駐車場。ショッピングモール並みに広かった。

辺りは広く道路のわきにはタイのショッピングモール並みの駐車場があった。そこに車を入れ少し散策。トラックが長蛇の列をなしている。税関検査?これじゃあ1日以上待たされるだろう……。両国を行き来していると思われる人でごった返していた。ゲートがあり、勝手にこれ以上は行けないと判断し、引き返す。現在、日本人はアフガニスタンのビザを取ることができない。観光ビザの申請には日本大使館のレターが必要で、当然日本大使館は発行していない。ただ、他国の旅行者は観光ビザで入国している。ここもどこかイミグレーションがあるはず(両国民は行き来しているのだから)だが、見つけることができなかった。(Google mapにはある)

f:id:pumpuikun:20181127193926j:plain

ここまでといわれたところ。よく見るとイミグレーションの表示があった。

f:id:pumpuikun:20181127212238j:plain

カオスに負けてこの程度の写真しか撮れなかった

数か月前に行った方から展望台で撮ったという写真を見せてもらっていた。スマホを操作してもその写真が出てこない。親父に説明できない。私がイラつき始めたのを見て、ほかの人を呼ぶ。英語できる人いないかあ~と言ってたらしい。食事中の男のところへ連れていかれ、英語で言えと促される。

景色のいいところへ行きたいとジェスチャ―付きで説明した。親父もわかったような顔をして聞いていたが、やはり場所の特定は難しいようだった。むさ苦しい男に囲まれ、雰囲気に飲まれていた。ほとんど滞在せずこの地を去る。アフガニスタンの紙幣らしいものがあったら、手に入れたかった。

帰り道、なかなかイメージしていた風景に出会えない。親父もここはどうだ?というが、イメージが違う。適当なところで記念撮影。今回の数少ない自分が写っている写真だ。

f:id:pumpuikun:20181127211847j:plain

ここで記念撮影をした。

九十九折を下り、石でできたゲートのところまで着いた。なにもしていないのに疲れていた。親父が少し休ませてくれというので車を下り休憩。

横になりたかったので、教えてもらったホテルへ向かった。

卸)神保町食肉センター へ行ってきた

先日食べに行った焼肉屋の話。
卸 )神保町食肉センターというお店。ランチは45分で950円食べ放題。食べ放題といってもルールがあります。
最初にご飯+スープ+玉ねぎサラダがデフォルトで付いてきます。
次に
Aセット:モモ(塩味)+ネックピートロ(味噌味)
Bセット:モモ(タレ味)+ネックピートロ(味噌味)
Cセット:レバー(塩味)+ハツ(塩味)

f:id:pumpuikun:20181126215832j:plain

最初に頼んだCセット

f:id:pumpuikun:20181126215845j:plain

Aセット。網に乗せてから写真を撮ることを思い出した

これらのセットの中から1つを注文します。食べ終わると次の注文ができます。これはセットで頼んでもいいし、ハツのダブルとか、モモの塩味といった注文も可能です。
今日は写真のCセット2皿とAセット1皿を食してきました。モモ+ネックピートロの写真は少し網に乗せてから慌てて撮ったので少し量が少なくなっています。この朝採りのハツとレバーが売りです。私はハツが好みです。
一緒に行った方が先に並んでくれていました。11時半開店。10時20分頃から並んで前には14,5人いたようです。45分なので回転は速いですが、1回転目で入れないと、結構待つことになります。13時過ぎになると空いてくると思いますが、ハツとレバーは数が少ないので食べられない可能性も高くなりますね。

f:id:pumpuikun:20181126215849j:plain

f:id:pumpuikun:20181126215852j:plain

食べるのに夢中でなかなか写真が撮れなかったなあ……。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(2)

「ほら、あそこだ」

雑踏を走り抜けると、ドライバーが前方を指す。ホテルの名前がネオンで表示されている。予想に反し立派なホテルだ。銃を持った警備員がドアの前に立っている。

「泊まりたいのだが?」というとボデイチェックをされ、終わるとそのままフロントへ案内された。バスを降りてから出会ってきたパシュトゥーン人と違い、民族衣装ではない服装の若い男性だった。

「部屋はある?」

「あるけど、なんにちいるんだ?」

「2泊」

「このホテルは明日クローズする。1泊でいいならどうぞ」

明日クローズ?どういうこと?若い男に聞くも、要領を得ない。明日カイバル峠へ行って、少しこの辺りを見て1泊してからラホールへ向かうつもりだった。頭の中でこの後のスケジュールを考えようとしたが、混乱するだけだ。このあと宿を探すのも面倒なので、まずは一泊してから考えることにした。

教えてくれた方の情報通り1泊3500パキスタンルピー(約3150円)だった。4000ルピーを払うと、500ルピーはチェックアウトのときに返すという。

きれいな部屋だった。バンコクでも2000バーツ(約7000円)はすると思われる。エアコンはもちろんあり、トイレとバスルームに仕切りがあった。ソファもある。

f:id:pumpuikun:20181121180032j:plain

Emarat Hotel @Peshawar

朝のチャイ以来、食事らしい食事をしていないのでレストランを探す。ホテルを出ると、むさくるしい男しか歩いていない。雰囲気に飲まれていた。引き返してホテルに併設されたレストランでチキンプラオというフライドライスのようなものを食べる。ちょっと薄味だが、やはり自分にはチャパティよりコメのほうが合う。トイレもきちんとしたところなので、ラッシーも合わせて注文。ラッシーは好きな飲み物だが、移動が続くときは控えている。

f:id:pumpuikun:20181122154154j:plain

キンプラオ 

水を買いにホテルの外を歩く。アルコールが御法度なためか、フルーツジュースの店が目についた。パシュトゥーンの男性があの服装で、店先の椅子に座ってフルーツジュースを飲んでいる姿はちょっとシュールだった。もちろん写真を撮る勇気はない。そんな店のひとつで水を買い、部屋に戻る。電力事情もよさそうなので、今のうちにしっかりと充電しておく。

朝目覚める。さて、どうしようか……。ペシャワールへ来た目的はカイバル峠へ行くこと。日帰りで十分行けるところにあることは知っている。そのままラホールへ行くと着くのは深夜になる。今は知らないが、かつてラホールは泥棒宿しかないことで有名で、旅行者はみな避けていた街だった。カイバル峠へ行くなら、ペシャワールにもう一泊したい。夜からずっと考えていたが、結論は出せなかった。

8時過ぎにドアが叩かれる。開けるとフロントに電話してくれとメッセンジャーがいう。

「9時に全館クローズするからそれまでにチェックアウトしてくれ」

荷物をまとめ、チェックアウトの手続き。昨夜の若い男性とは違う年輩の男が座っていた。電話で話したのはこの男らしい。デポジットの500ルピーを返してもらおうとすると200ルピーしか返ってこない。

「あと300ルピーは?」

「お前、食事代、払っていないだろう?」

「全額払っているぞ!はよ返せ!」

男はすぐに200パキスタンルピーをよこしてきた。油断も好きもあったものじゃない。

「9時にはクローズするからな。早く出て行ってくれ」

「わかってる。なぜクローズするんだ?」

年輩の男は面倒くさそうに

「ローカルアクティビティだ!」と答えた。

最後までホテルがクローズする理由はわからなかった。

「今日はローカルアクティビティで街がストップする。早く出て行った方がいいぞ」

最後に年配の男はこういって私を追い出した。

悩んでいた……。カイバル峠へ行くなら、ホテルの前にたむろしている車と交渉すればいい、と昨夜フロントにいた男性に言われていた。3か月前に行った方はホテルに車をアレンジしてもらったと話していた。

「Daewooのバスターミナルへ連れて行ってくれ」

なぜかこう口に出てしまった。いったいなにをしたかったのか、自分でもわからない。昨夜降りた場所に着き、ラホール行きのバスの出発時間を聞く。11時だという。到着するのは17時ころか。これではインドに入ることは無理だ。ラホールに泊まるか?ペシャワールに留まるか?チケット売り場にいた男性は、ペシャワールで会った人の中では、一番品のある雰囲気を醸しだしていた。なんとなく頼りになりそうな……。果たして今日ペシャワールに(外国人が)泊まることができるのか?と男性に尋ねてみた。

「今朝、ホテル追い出されて、泊るところないかもしれないんだけど、ペシャワールでなにかあるの?」

「お前は泊まるところがないのか?」(なにがあるかについては触れない)

「外国人が泊まれるところ、ほかに知らないんだよ」

すると男性は紙にあるホテルの名前を書いてくれた。

「このホテルはここに近いし、外国人も泊まれるはずだ」

どこまで信じていいかわからないが、まあなんとかなりそうな感じ。

「で、お前はどこに行きたいんだ?」

「いや、泊るところがあるのなら、カイバル峠に行きたいのだけど」

「ああ、そこらにいるタクシーと交渉すれば問題ない」

「危なくないのか?護衛が必要とか聞いたけど?」

「ん?みんな普通に行ってるぞ?」(なにをこいついってるんだ?という表情) 

といってバスターミナルにたまっている男たちと交渉してくれた。

カイバル峠へ行くことが決まった。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(1)

何度か目覚めたものの、部屋が暗いせいか、すっきりと起きられたのは8時を過ぎてからだった。しかし、よく寝ている……。

本来、朝早いフライトは前日では席が取れなかった。事前の情報は早朝に2便というものだった。この日は昼過ぎにもあったため、こちらのフライトとなった。ペシャワールに着くのが遅くならなければいいのだが……。

ドアを開け、外を見ると晴れ渡っている。飛行機は予定通り飛ぶだろう。

チャイを飲み、宿の親父とたわいもない話をしながら時間を潰す。数日前に日本人が泊っていて、カリマバードに向かったらしい。カリマバードで2人ほどバックパッカーらしいのを見かけたので、そのうちのひとりだろうか?昔と比べて日本人が少なくなったと嘆いている。

往路はラホール→ラワールピンディ→ギルギット→カリマバードとバスを乗り継いできた。ラホールを昼過ぎに出発し、カリマバードに着いたのは翌日の夕方だった。ギルギットからイスラマバード(ラワールピンディ)まで飛行機では1時間ちょっと。残り時間が少なくなったので、時間短縮のために飛行機を選んだ。17時間近くかかったバスにもう一度乗るよりも、飛行機からカラコルムの山並みを見たいという気持ちも強かった。

ここへ来る前、30年近く前にギルギットへ来たことのある方と話をしていた。飛行機のチケットを買ったものの、天候が悪く、1週間ほど飛行機が飛ぶまで待っていたそうだ。毎日空港へ歩いて行き、キャンセルと聞いて再び歩いて宿へ戻ることの繰り返しだったらしい。通り道の子どもたちと親しくなり、一緒に郊外へ歩いて行ったりしていた、そんな時代だったと話してくれた。

宿の親父のバイクで空港へ。「飛行機が飛ぶのを確認するまでこの近くにいるから、キャンセルになったら私を探してください」といって去っていった。

空港の中には入れず、外でうろうろとしていた。乗客は年配の白人カップル以外はパキスタン人だった。チェックイン手続きが始まると、軍服を着たパキスタン人っぽくない男性が並んでいた。よく見ると韓国の国旗が縫い付けられている。どういう立場の人物だったのか……。荷物チェックはインドと比べると厳しくない。

f:id:pumpuikun:20181120164818j:plain

この機材で山の上を越えていく

f:id:pumpuikun:20181120164824j:plain

こんなもの?

f:id:pumpuikun:20181120165044j:plain

機内食

f:id:pumpuikun:20181120164829j:plain

f:id:pumpuikun:20181120164837j:plain

山並み

パキスタン航空は予定通りに離陸した。機材はATR42というもの。雄大な景色を眺めつつフライトを楽しむ……とよかったのだが、揺れがひどく飛行機に酔ってしまったようだ。隣のパキスタン人に慰められながら、なんとかイスラマバードへたどり着く。

f:id:pumpuikun:20181120164838j:plain

イスラマバード空港

このフライト、イスラマバード経由でどこかへ行くらしい。どこなのか、アナウンスが聞き取れない。隣のパキスタン人はここで降りず、そのまま乗っていくようだ。「Have a nice trip」と励まされる。

イスラマバードの空港は最近新しい場所へ移転したばかり。国際空港とは思えないガラガラで無機質な空港だ。ターンテーブルから荷物が出てくるまで30分くらいかかった。3か月前に来ている方が、ラワールピンディのホテルまでタクシーで行ったら1500パキスタンルピー(約1350円)もかかったと教えてくれていた。バッグを持って歩きだすと、客引きが声をかけてくる。結局1300パキスタンルピー(約1170円)でバスターミナルへ向かった。

バスターミナルに着くとすぐに窓口へ向かう。15時前。暗くなる前にペシャワールへ着きたかった。窓口に行くと「次は17時発だ」といわれる。2時間以上、Kindleで本を読み続ける。ネットが繋げられない状態で、バッテリーも残り少なくなっていたので、スマホは使わなかった。

17時発のバスは夕闇の中、一路ペシャワールへ。バスを待っている間に沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでいた。沢木もこのルートを通っている。途中のタキシラという街で彼は遺跡を見ていた。タキシラの表示を見ながらそんな思いにふける。

道中、街のようなところは通らず、草原を走っているようだった。パキスタンは意外と道が整備されている。かなり飛ばしているが、道がいいからだろうか、北部のクレイジーエクスプレスほど恐怖を感じない。街灯がまぶしいエリアに入ると、渋滞が始まった。ガソリンスタンドに入り、バスが止められた。ここが終点だと知らされた。

19時過ぎ。ペシャワールパキスタンの多数民族であるパンジャーブ人ではなく、パシュトゥーン人の街。雰囲気がこれまでとは違う。パキスタンも外国人が泊まれるホテルは限られている。宿のめどもつかない状態で探す気力もない。3か月ほど前にここへ来ていた方からホテルを教えてもらっていた。何人もの男に囲まれていた。迫力が違う。突き刺さるような視線を感じる。早くこの場を去りたかった。気後れしつつ、教えてもらったホテル名を告げ、タクシーに乗る。

パキスタンで一番カオスな時間だった。バンコク並みの渋滞、割り込みは当たり前。クラクションも鳴り止まない。なによりも暗くて街並みがわからないのが一番不安だった。道路工事で渋滞になっているところもあり、車は大回りしてホテルへ向かう。ホテルに着いたときは20時になっていた。

※ ギルギット空港:宿から歩いても15分くらいか。宿の親父のサービスでバイクに乗せてもらった。

※ イスラマバード国際空港:2018年5月にイスラマバードの南西40㎞のところに開港した。ターンテーブルで荷物を受け取り、出口へ向かうと声をかけられた。空港で声をかけてくる奴はどうしても高い。出てから探したほうがよかったようだが、どうも余裕を持てない。

※ バス:空港で乗ったタクシーにはラワールピンディにあるDaewooのバスターミナルへと指示をした。Daewooはパキスタンで一番信頼できるバス会社。ラホールから来たときも利用している。ペシャワールまで450パキスタンルピー(約415円)。約2時間といわれ、予定通り到着。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ギルギット

往路で約20時間滞在したカリマバード。その時のイメージはさびれた観光地、インフラがイマイチというものだった。ようやくパキスタンに慣れてきたのか、パキスタン北部のインフラはこういうものだとわかってきた。1日過ごしてその空気が意外と肌に合っている感じがしてきた。

この時点でバンコクに着きたい日まで10日を切っていた。ギルギットから飛行機でイスラマバードまで飛べればいいが、天候次第でキャンセルも多いと聞く。もう少し居たい気持ちを抑え、また来られることを信じ、カリマバードをあとにすることにした。

f:id:pumpuikun:20181119165736j:plain

f:id:pumpuikun:20181119165838j:plain

少し早く起きて、散歩。

チェックアウトして宿の前でスズキを待つ。歩いているときは頻繁に見かけたスズキも、いざ自分が乗るときになるとなかなか来ない。20分ほど待ってようやく現れたスズキ。満席で後部にしがみつくことになった。

アーリアバードで下車。50ルピー(約45円)払うと20ルピー(約18円)が返ってきた。これまで2回50ルピーを払っていたような……。

ギルギット行きのチケットを買い、待っているように言われた。しばらくして、男について行けといわれ、チケットが売られている小屋の裏にある駐車場へ案内された。いつものハイエースである。

f:id:pumpuikun:20181119170718j:plain

一列4人で満席になってから発車。往路と比べると客の乗り降りが頻繁。後半は1列に1 人か2人ほど。復路はだいぶ楽な移動になっている。

約2時間でギルギットに到着。往路ではバスターミナル以外知らずに通過した。そのバスターミナルは郊外にあったらしい。パス―やカリマバードから来るとギルギットは大都会。川沿いで「ここが終点だ」と降ろされ、どこにいるか全く見当もつかなかった。めどをつけていた宿のカードがスマホに残っていたので、タクシー運転手にそれを見せる。Madina Guest Houseというところ。

f:id:pumpuikun:20181119173157j:plain

Welcome Drink

宿の親父は日本語ができるという話だった。日本人とみると日本語で話しかけてくる。イスラマバードまでのチケットの相談をすると、手配してくれるというのでそのまま頼む。パス―やカリマバードにいるときにネットで買うこともできたのだけど、この路線は天候が悪くフライトキャンセルになる可能性も高いと聞いていた。その場合の返金手続きが面倒なので躊躇していた。直前に買うことになったこと、間に人が入ったことでチケット代はちょっと高くついたが、仕方あるまい。明日の予約が取れたことを確認して、今日初めての食事。宿の前にラグ麺とマントゥの看板が見えた。

f:id:pumpuikun:20181119172501j:plain

ラグ麺ハーフ100パキスタンルピー(約90円)

f:id:pumpuikun:20181119172448j:plain

マントゥフル100パキスタンルピー(約90円)

戻るとチケットが用意できたから、代理店へ行こうと親父が声をかけてきた。親父の運転するバイクで代理店へ行き、USドルキャッシュで支払う。

「私が明日バイクで空港まで送ります。もしキャンセルになったら、その場でお金を返します。私はここへ戻ってお金を返してもらいます。バスでラワールピンディに向かってください」という。多少高いのはわかっているので、彼のサービスに甘える。

このころから旅に違和感があるというか、あまり動きたくなくなってきた。写真を撮るのも面倒に。考えてみるとこれだけ移動の多い旅は初めてだったかもしれない。これまでの滞在地が村とすれば、ここは街だ。宿の親父は摩崖仏を見に行こうと誘ってくるが、丁重にお断りした。人の多いところを歩く気になれず、部屋で横になっていた。

いつの間にか寝てしまっていた。日本に居るときは、夜何度も起きてしまうのだが、旅行中はよく眠れる。目覚めると空腹を感じていたので、食べられる店を探す。どこも入りにくい雰囲気だが、かなり流行っている店で店員が、中に入れ~と顎で誘ってきたのでそこに入る。

f:id:pumpuikun:20181119174626j:plain

チキンカライとチャパティ 220+40パキスタンルピー(約235円)

カライはカレーと似ているが、カレーは水分が多いのに対し、カライは水分がなくなるまで煮込む。カレーよりも美味しかった。部屋に戻り、地球の歩き方を見ると「ラマザンホテル&レストラン」というところらしい。

※ 交通:アーリアバードからギルギットは150パキスタンルピー(約135円)。往路は途中で食事休憩があったが、復路は乗客の乗降以外泊まることはなかった。ギルギットに入ると、ハイエースは橋の横にある大きめの駐車場のようなところで降ろされた。どこにいるのか、まったく見当つかず、タクシーで宿に向かった。100パキスタンルピー(約90円)は距離にしては高いと思うが、初乗り+迷うよりはましと考えれば致し方ない。

※ 宿:地球の歩き方は古すぎるのであてにならない。ネットがつながる間に調べた限り「Madina Guest House」というところに泊った人の話が多く、そこを選んだ。情報より高く1800ルピー(約1620円)。これまでに泊った部屋と比べて明らかに高い。共有スペースにwifiがあったらしい。宿を離れてから知ったので試していない。日本語を話したがっている宿の親父と色々話したので、ネットを試すこともなく時が過ぎた。ドイツ人のパッカーをひとり見た。数日滞在しているとのこと。これ以外外国人の客は見かけなかった。

※ 宿の親父:日本語はあまり期待していなかったが、思ったより話せる。こちらも久しぶりの日本語で助かったのも事実。オーナーではなく、実は雇われ人。私のボス、オーナーです、と紹介された人がいた。清算はこのオーナーが行った。

※ ギルギット発イスラマバード行き飛行機:1日2~3便。カシュガルにいるときにスカイスキャナーで調べると、1万円強だった。宿の親父経由なので、私が買ったのはもう少し高い。代理店と空港までは彼のバイクで。天候不順でキャンセルが多いと聞く。最近はキャンセルなく、天気がいい日が続いているので大丈夫だろうとのことだった。

インド横断とカラコルムハイウェイ~カリマバード(2)

 朝起きると雨が上がっていた。

f:id:pumpuikun:20181117223706j:plain

ホテルからの風景

f:id:pumpuikun:20181119134851j:plain

フォートから

f:id:pumpuikun:20181116214852j:plain

Baltit fort

バルティットフォートはフンザのミール(藩主)の居城として造られた。長期に渡って使われていなかったが、1990年より修復工事が始まり、現在も工事は続いている。

f:id:pumpuikun:20181116215725j:plain

f:id:pumpuikun:20181116215511j:plain

有名な管理人。ひげが自慢。

f:id:pumpuikun:20181119091804j:plain

f:id:pumpuikun:20181119091830j:plainf:id:pumpuikun:20181119092800j:plain

f:id:pumpuikun:20181119092149j:plain

Bultit fort内部

f:id:pumpuikun:20181119092847j:plain

英語での説明付き


f:id:pumpuikun:20181119092300j:plain

f:id:pumpuikun:20181119091923j:plain

f:id:pumpuikun:20181119092354j:plain

f:id:pumpuikun:20181119092717j:plain

 

f:id:pumpuikun:20181119092942j:plain

Bultit fort外部

往路で寄ったバルティットフォートは外観を見るのみにして、村の中をただ歩く。

「ミスタートーキョー!」

振り返るとアーリアバードからのスズキで一緒だった爺さんだった。いつまでいるんだ?などたわいもない話をして別れる。

f:id:pumpuikun:20181119095002j:plain

フンザは長寿の里

f:id:pumpuikun:20181119095041j:plain

散歩中に出会った親子

f:id:pumpuikun:20181119095136j:plain

山羊?

f:id:pumpuikun:20181119095219j:plain

女性の後姿

f:id:pumpuikun:20181119095301j:plain

男性の後姿



f:id:pumpuikun:20181119100822j:plain

八百屋

f:id:pumpuikun:20181119100853j:plain

旅行代理店?の宣伝を兼ねたバイク

f:id:pumpuikun:20181119111202j:plain

村人の足、スズキ

f:id:pumpuikun:20181119134902j:plain

Bultit fortを下から撮る

f:id:pumpuikun:20181119134913j:plain

トレッキングする気力はない

f:id:pumpuikun:20181119140129j:plain

車両は多くない

f:id:pumpuikun:20181119140253j:plain

バザールロードからバルティットフォートへ別れる三差路にあるATM。ここで往復1回ずつ現金を下ろした。

f:id:pumpuikun:20181119140616j:plain

ここがジャパンチョークだったかな?

f:id:pumpuikun:20181119143136j:plain

カリマバード一の高級ホテル?日本人ツアー客が止まっていた

f:id:pumpuikun:20181119140937j:plain

オブジェ?

f:id:pumpuikun:20181119141050j:plain

ゼロポイントから少し上がったところよりフォートを見る

空腹を感じたため食堂を探すが、観光シーズンでないからか、開いている店は決して多くない。ゼロポイントから坂を少し上がったところにある店に入る。

f:id:pumpuikun:20181119142801j:plain

朝食メニューしかないといわれ、プラタとオムレツ。

f:id:pumpuikun:20181119142837j:plain

チャイ。ここは初めてポットで出てきた。

部屋へ戻る前に気になるカフェがあったので寄ってみる。カフェ・ド・フンザという有名店だったらしい。

f:id:pumpuikun:20181119144027j:plain

カフェドフンザ



f:id:pumpuikun:20181119144134j:plain

300ルピーは破格だが、タイを出て初めてのコーヒー。意外と美味しかった。

パキスタンの物価を考えるとコーヒーの値段は破格だが、wifiがホテルより快適。日中は客も少ないようで、私以外に白人がひとりパソコンを持ち込んで作業をしていただけだった。景色もよく、思いのほか長居してしまった。

カフェを出て再び散策。

f:id:pumpuikun:20181119145014j:plain

ゲームに夢中な村の老人

f:id:pumpuikun:20181119145025j:plain

商売に夢中な村の老女

f:id:pumpuikun:20181119145033j:plain

無邪気に歩く少女たち

f:id:pumpuikun:20181119145837j:plain

日本の旅行代理店フンザ支店?

f:id:pumpuikun:20181119145854j:plain

Hill Top Hotel 長谷川恒男氏の定宿だったところ。

一度部屋に戻ってひとやすみ。
夕飯は暗くなったころに部屋を出て歩いてみるが、これといった店もない。昼間の店が感じのいいところだったので、結局はそこへ。

f:id:pumpuikun:20181119150556j:plain

チキンフライドライス430パキスタンルピー(約390円)

久しぶりに美味しいコメを食べられた。コメのパラパラ感がなんともいえずよかった。量が多いのが難点。

 ※ 宿:ネットで調べると、ゼロポイントの周辺の宿に泊まった記録がほとんど。村の奥の方に行くと、宿の看板が数多くみられる。パキスタン人はこちらの方に多く泊まっている様子。斜面に沿って建物があり、風の谷を窓越しに見ることができる宿が多い。往路でたまたま入った宿は「World Roof Hotel Karimabad Hunza」というところ。(帰国後Google mapで調べると、このホテルの写真が出ているが場所が違っている)復路でも、スズキでカリマバードに入ったときにゼロポイントで降りそこなったので、同じホテルに泊まった。3人部屋で3500ルピー(約3150円)、復路は1人で3000ルピー(約2700円)だった。お湯は朝のみらしい。往路では出なかったが、復路はお湯を浴びることができた。

f:id:pumpuikun:20181119162639p:plain

f:id:pumpuikun:20181119162134j:plain

World Roof Hotel Karimabad Hunza

※ 食事:パス―と比べるとずっと増える。しかし、自分が滞在した9月はシーズンを終えているのか、閉まっている店も多い。ひとりで食べるのはつらい。カフェ・ド・フンザでコーヒーが飲める。期待していなかったが、久しぶりということを差し引いても十分美味しいと思えるコーヒーが出てきた。Free wifiもあり、ホテルより快適。昼間は空いていたが、夜、カフェの前を通ると車が何台も止まっていて客でにぎわっている雰囲気だった。

f:id:pumpuikun:20181119163243j:plain

夜、歩いているときに見かけた。食べていない。

f:id:pumpuikun:20181119162816j:plain

ローカルスープという野菜の煮込み。意外と美味しかった。

f:id:pumpuikun:20181119162824j:plain

う~ん、覚えていない。

f:id:pumpuikun:20181119163019j:plain

同行者がいたときの朝食

f:id:pumpuikun:20181119163545j:plain

同行者がいたときのランチ。3人分。このあと移動スストへ移動予定。何時間かかるか、よくわかっていなかったので、不安で食欲なし。

※ 通信:ホテルはfree wifiがあったが、フロント周辺のみ。タイで買ったSimが有効期限が切れたため、このころからFree wifiに頼る旅となっている。カリマバードのレストランはFree wifiのある店が多く、使わせていただいた。Cafe de Hunzaがカリマバードで一番快適だった。