Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インド横断とカラコルムハイウェイ~カリマバード(1)

宿の前で車を待つ。自家用車が数台通っていく。

15分ほどするとバスがやってきた。目の前で止まると男が2人乗っているだけだった。

「どこへいきますか?」

流ちょうな日本語で声をかけられる。この風貌で日本人ってわかったのか……。カリマバードと伝えると、「どうぞ」とドアを開けてくれた。

かなりきれいな日本語だったが、それ以上話せないらしい。お決まりの「日本はどこか?」(東京)、「結婚しているか?」(独身)、「パキスタンはどうだ?」(いいところ)といった会話でネタが尽きた。

パス―と似た雰囲気のグルミットまで登坂が続く。ここにも宿がいくつかあるようだ。

しばらく進むと、トンネルが続く。この辺りは2010年に地震により地滑りが発生し、川が堰き止められて湖が発生した。アタバート湖(Attabad Lake)と呼ばれている。湖がある場所は、村があったという。今でも場所によっては、沈んだ建物が見えるらしい。地滑りによってカラコルムハイウェイも寸断されたため、中国とパキスタンとの物流や移動にはボートを使わざるを得ない時期があった。現在は中国の協力のもとトンネルが建設され、湖は観光スポットに生まれ変わっている。遊覧ボートやジェットスキーを楽しむ観光客でにぎわっている時期もあるらしいが、通過したときはさびれた観光地といった趣だった。しかし湖面はターコイズブルーといえばいいのか、美しい色だった。

そんなスポットではあるが、我がバスは止まることなく、カラコルムハイウェイを進む。ソストからパス―まで乗ったハイエースは、クレイジーエクスプレスともいうべきスピードで走っていたが、このバスはパキスタンでは珍しく安全運転だった。ハイウェイ沿いのアーリアバードに入り、カリマバード行きのスズキが止まっているところで下ろしてもらう。乗り換えてすぐに出発。

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セロポイントにある案内板

スズキは坂を駆け上がっていく。カリマバードではゼロポイントといわれているところに安宿が集中している。往路は乗客がみな下りたところで降り、宿を探した。バルティットフォートの手前だった。今回はひとりなのでゼロポイントの辺りで宿を探すつもりが降り損ねてしまい、結局同じ宿に泊まることにした。従業員は10日前に来た私を覚えており、一緒にいた日本人はどうした?と尋ねてきた。荷物を下ろしひとやすみ。

この日もチャイのみの朝食。ちょうど昼時だったので、ランチの店を探す。パス―と違ってレストランが多い。ブリヤニを食している姿が見えた店に入り、注文。久しぶりに食べたコメは美味しかった。

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チキンブリヤニ 200パキスタンルピー(約180円)

一度部屋に戻ると、いつのまにか眠っていた。起きると雨が降っていて外出できない。暗くなっても雨は止まず。雨が弱くなったころを見計らって外に出た。これまで抑えていた食欲が回復してきたのか、夕食はハンバーガーとフライドポテトというローカル色の全くない食事となった。

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ハンバーガー350パキスタンルピー(約315円)

部屋に戻り雨で濡れた身体を拭く。シャワーはお湯が出ないのでそのまま横になっていると、いつのまにか眠りについていた。

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(4)

部屋に戻る。一日一食の生活が続いていたため、お腹が空いてきた。オムレツならできるだろうと注文。すぐに出てきた。

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80ルピー(約72円)。唐辛子が効いていていい味を出している。

部屋に戻ると、電気が来ていなかった。フンザは停電が頻繁に発生している。まだ明るいので、横になりながら読書をしてしばらく過ごす。

明日の朝にはパス―を発ちたいので、今日がこの村最後の日。氷河には行かなくとも、この景色を焼きつけたいと思い、宿の裏の高台に登ってみる。

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高台は墓地となっていた。下の建物が宿泊先。

最後にもうひと周り村を歩きに行く。どこからかボールを蹴る音が聞こえる。細い道を抜けると子供たちがボールを蹴りあっていた。

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まだ小さく、中に入れないひとりの子どもが、写真を撮れとしつこかったので1枚。もうひとり小学校低学年くらいの女の子がいた。英語で話しかけてきたので、年齢を尋ねると「Yes !」。なにを聞いても「Yes !」としか返ってこない。「Photo OK?」だけはなぜか「No !」。どこまで英語を理解していたのだろう……。

夕食。このレストランでの会話、実は女性と話す貴重な機会だった。パキスタンで女性がこのように表に出てくる場面はこの土地だけだった。きれいな英語を話し、品のある女性だった。いつも簡単な会話しか交わしていなかったけれど、今夜は色々と勧めてくる。エッグフライドライスを注文すると、「それだけじゃあ足りない、これも食べなさい」とメニューを指さすので注文。

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ご飯の量は3人分かと思わせる量。スープはトマトベースで野菜が煮込まれていた。

完食できず。申し訳なかった。

翌朝、早く起きたのでもう一度だけ村を周ってみた。昨日フランス人といるときに人が集まっているところがあったので尋ねると「今朝、村の老人がひとり亡くなった。明日から葬儀を行うのでその準備をしている」と教えてくれていた。その近くに行くと、昨日以上に多くの村人が集まっていた。

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フンザは長寿の村として知られている。果たして何歳まで生きていたのだろうか…。

部屋に戻り、チャイを一杯飲んでからパッキング。チェックアウトしてカリマバードへ向かう。

※ スストからパス―まではイミグレを出たところに止まっていたハイエースに乗った。古くたびれた車両だが、人数が多くなる前に出発し、往路と比べて楽な移動だった。150ルピー。

※ 泊ったのはPassu Inn。カシュガルにいるときPassuを検索すると、この宿に泊まっている人が多かったので、ドライバーにここを伝えて宿の前で下ろしてもらった。本文にもあるように、当初2000ルピー(約1800円)といいつつ、支払い時には1500ルピー(約1350円)に値下げしてきた不思議な宿。お湯は朝のみという説明。3泊中1泊はしっかりと出たが、あとは物足りないレベルだった。

※ 宿は本文に写真があるところのほか、Passu Innのはす向かいにも1軒ある。フランス人カップルはここに泊まっていた。

※ 雰囲気のいい好きな村だが、やはり食事が厳しかった。少しシーズンを外していたからかも知れない。パキスタン人以外の観光客は10名にも満たなかった。

※ 1992年のGWに氷河を見に行った日本人が行方不明になっている。ネットで検索すると実名が出ているが、それ以上に詳しい情報は得られなかった。やはり雪や氷のあるエリアへ行くときは注意が必要。

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(3)

宿に戻り、夕食。どんな食材があるか尋ねるとオクラがあるというので、オクラのカレーになった。もちろんチャパティチャパティは見るのも嫌になってきた。

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翌朝、運よくお湯が出たので、久々にシャワーを浴びる。水量も申し分なく、しっかりと身体を洗うことができた。すっきりした気分でチャイを一杯。

当初パス―に2泊してカリマバードへ行こうと思っていた。しかし、移動するのが億劫になり、もう1泊するか迷いが生じてきた。バンコクを出発する日は変更可能だが、変更するとますますだらだらしそうな気がする。変更手続きもタイ航空の事務所で行うので、予約している前日までに事務所のある土地(コルカタ、デリー、イスラマバードあたりか)には着かなければならない。

チャイを飲んで、宿を出ると人が手を振っている姿が目に入った。タシュクルガンからスストまで一緒だったフランス人カップルだった。今朝スストから来て、向かいの宿に荷を置いたところだという。彼らと村を歩き始め、もう1泊することに決めた。

フランス人と川に向かって歩き始める。

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パキスタンの山はネパールと比べて、尾根が鋭いところが多い。

彼らはトレッキングをしにパキスタンへ来たと話していた。恐らく30代、体力にも自信があるのか、道らしくないところもガンガン進み、着いていくのが精一杯。一度別れたが川岸に座って景色を眺めていたので、隣に座らせてもらい、ぼーっと過ごす。

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このあと、宿の近くまで戻り、フランス人カップルと別れた。

 

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(2)

歩いてきた道路沿いではなく、川に向かって歩き始めた。歩き始めて、ようやくパス―という村は川沿いに広がっている村ということがわかる。

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石を積み重ねて道路ができている。

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石で敷地を明確に分けているようだ。

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建築工事中。休憩しているところを一枚。

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リンゴ?杏?

しばらく歩くと人が集まっている気配。中を覗くと

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この村にこんなに人がいるのか?と思うくらい大勢の人が集まっていた。日本のNGOがモバイルライブラリー(移動図書館)を寄贈したらしく、その譲渡式のようなイベントが開かれていた。もちろん日本人も10名前後見受けられたが、NGOで働く崇高な思想の持ち主は、私のような風貌の日本人に声をかけることもなく、胡散臭い目で見られていたので、特に会話を交わすことなく、ただ式の様子を眺めていた。

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ああ、自分がフンザに勝手に思っていたイメージの子供たち。顔つきが街のパキスタン人と明らかに違う。

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頬にパキスタンと日本の国旗。

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英語でなにやら話していた。私なんぞより立派な英語。f:id:pumpuikun:20181111152223j:plain

子供だけではなく、大人も出席していた。

小一時間ほどここにいたものの、終わる気配もないため、一度宿へ戻ることにした。

宿の向かいにレストランと称する店があった。パキスタン人数名がいたが、やはり食事することもなくチャイのみ。私もチャイでひと休み。この店のほうが宿よりもわずかに安い。2杯ほど飲んでから宿に帰る。

少し休んだあと、今度は北方面に向かって歩き始める。川沿いは河原になっているため、道路(カラコルムハイウェイ)沿いに歩く。

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村の南端にあるゲストハウスの宣伝。ハイウェイ沿いの岩に描かれている。

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宿があったが、開いている気配なし。

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道路が少し高いところからだとこのように見える。

再び宿の方へ戻り、村の中を散策。

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子供たちが走ってきた。

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男は写真が好き。女性はトラブルを恐れ、撮らないようにしていた。ちょっと気にしすぎだったかも。

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古タイヤを使って遊んでいる子供たち。

ある子供がうちに来てチャイでも飲まない?と誘ってきた。小学生低学年くらいの英語は非常にわかりやすい。暇なのでのこのこと着いていった。

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自家製のローカルブレッドとバター、そしてチャイ。

言葉が通じずあまり話すことができなかったが、こういう気持ちは本当にうれしい。

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(1)

往路でアーリアバードからソストへ行く途中、なんとなくいい雰囲気の村があった。ソストで同行者が「地球の歩き方パキスタン編」を持っているというので見せてもらうと、どうやらそれはパス―という村と思われた。ハイウェイ沿いに数戸の民家が見えただけだが、氷河のような氷の塊が見えたり、遠くに見える山々がすばらしかった。白人のカップルが歩いている姿も見られた。このときはカシュガル以降どういうルートを通るか決めていなかったが、もしこのルートを通るならこの村に数泊滞在しようと決めていた。

カシュガルにいる間にネットでこの村のことを調べると、宿に関してはPassu Innというところの情報が多かった。これだけ多くの人が止まっているのなら外れってこともないだろうと、ドライバーに宿の名前をいって目の前で止めてもらったのだった。

最初の印象は決していいものでなかった。部屋を見せてもらい部屋代を聞くと2000ルピーという。ネットでは1500ルピーという声が多かったので1500ルピーの部屋はないかと尋ねると、空いていないという。まあいいか、とレセプションに戻り2000ルピー払うと500ルピーを返してくる。なにこれ?と聞くと、さっきのは間違いだった。1500ルピーでいいよという。このいい加減さ、ここはインドかと……。

お湯は朝だけ出るというのでシャワーを浴びず部屋で過ごす。

この村はハイウェイからはほとんど民家が見えないが、道沿いに川が流れており、道と川の間に集落が固まっているようだった。もう片側は斜面となっているところが多い。初日はそんなこともわからなかったので、道路沿いを歩くもレストランらしきものはない。宿に戻りメニューを聞くも、材料がないのでほとんど作れないという。あるものでなにか食べさせてくれというと、エッグカレーとチャパティが出てきた。

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シーズンを過ぎているのか、外国人はひとりも見ていない。宿に泊まっているのはパキスタン人観光客だけだった。

朝を迎える。なにはともあれ、シャワーだ。期待していなかったが、やはりお湯は出なかった。この村にいる間は着替えることもないな、と覚悟を決めた。

食堂でチャイだけ飲み、散策に出る。道路沿いに南下。

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Mizushima Restaurantって日本語?

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ネットでは吊り橋と氷河がアップされていることが多い。吊り橋はこの先にあることが分かったけど、遠くから見る限り渡りたくないものだったので行かなかった。って、あああれが吊り橋だったのかあ、とパス―を出てから気がついたのが実話。

宿から20分ほど歩くともうこの先しばらく民家はなさそうだった。

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高台に登ってみる。パキスタン人観光客もあとから登ってきた。

このあと同じ道で帰るのもつまらないので、川沿いに歩いて戻ることにした。

 

遠近両用メガネ

f:id:pumpuikun:20181003133652j:plain老眼を意識して7,8年経っただろうか……。

以前遠近両用メガネに挑戦したが、遠くを見ることへの違和感が拭えきれず、使わなくなっている。特にタイにいたころは車の運転があり、遠くが見えずらいという恐怖感を払拭できなかった。普段はふつうのメガネをかけ、PCに向かうときはいわゆる老眼鏡をかけ、スマホタブレットをいじるときは、長時間でないかぎり、メガネを外した状態というのがここ数年続いている。

メガネを外した状態というのが、他人から見ると気になるらしい。食事をするとき、どうしても焦点が合わないので、メガネを外していると、一緒に食べている人から???とされることが、帰国してから増えてきた。

そこで昨日から再び遠近両用メガネに挑戦中。今のところ、以前ほど違和感がない。車の運転がないというのが一番大きいと思う。

遠近両用メガネの大先輩に、遠近両用レンズは値段が高いうえ、度の変更も頻繁に必要となって、費用がかさみますよ~といわれているが、さてどうなることやら……。

 

インド横断とカラコルムハイウェイ~ようやくパキスタン

クンジュラブ峠は4800mほどの峠。中国側の出入国手続きはタシュクルガンで行うが、パキスタンから中国へ入るときは、この峠にある税関で念入りな荷物検査が行われた。手順としては

・ゲートをくぐると、何台もの車両が税関検査を待っており、指示があるまで車から降りないようにとの指示を受ける。

・指示を受けて車を下り、車の上に積んである荷物を下ろして検査場へ進む。

・金属探知機にバッグを通し、靴を脱いで金属探知機をくぐる。

・ボディ検査。

・金属探知機をくぐらせたバッグを開けさせられ、荷物検査。

(以下私の場合)

・デジカメの画像を1枚1枚チェック、iPadも同様。幸い、削除された写真はなかった。

・新品のSDカードのパッケージを開けさせられた。SDカードを小型の機械に差し込まれた。なにをしていたのか、今でもわかっていない。

といったところだ。

金属探知機をくぐってから20分ほどかかっただろうか。ここまで入念に荷物検査をされたのは初めてのこと。パキスタン人は何度も来ているので慣れているようだ。税関職員はパキスタン人に対してかなり高圧的な態度。車の中では陽気だったパキスタン人も、このときばかりは神妙な顔で素直に従っていた。その後、同じ会社のもう一台の乗客の検査が終わるまで、車の中で待機することを命じられ、トイレに行くことさえ許されなかった。結局車を停止させられてから、出発まで2時間以上この地にいたことになる。ここは峠で、この辺りで最も標高の高いところである。去年行ったラダックで5300mの峠を越えているが、こんなに長時間滞在したわけではない。息使いが荒くなり、頭も痛くなり始めていた。うとうととしている間にようやく出発。少し離れたところでドライバーが車を止めてくれた。私を含めて乗客は急いで用をたす。後ろから来た職員にドライバーは叱られていた。こんなところで止めるんじゃないと……。

こんなことがあったので、クンジュラブ峠を越えるのは、いやだった。このあとまた検査で何時間待たされるんだ、しかも今回のほうが大量の荷物がある、どれだけかかるんだ、カシュガルで撮った写真、削除されないか……。

無邪気なイミグレ職員も、同じ中国人がいる現場に来ると顔つきが変わってきた。彼が車から下りると、乗客も続いて車を下りた。イミグレ職員は特に声をかけることもなく、事務所に向かっていった。その場にいた職員から、一列に並ぶように指示を受ける。パスポートチェックが始まった。チェックを終え車に乗り込む。来るときに検査を受けた場所へ車は進んだ。ああ、ここで下りてまたチェックかあ……。憂鬱な気持ちでいると車は検査場を通過していった。

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検査場外観。車の中から撮った写真。見つかれば削除対象。

なんと中国出国時はノーチェックだった。タシュクルガンでは金属探知機を通したが、特に引っかからなかったせいか、かばんを開けて検査されることはなかった。もちろん数多くの荷物を持ち込んだパキスタン人は、相当厳しいチェックを受けていたのは知っている(だから長い時間待たされた)。力が抜けてしまった。もっとカシュガルで写真を撮っておけばよかったと、後悔している。

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「This is Pakistan, No China !!! 」

車内で歓声が上がった。

パキスタン領に入ると、すぐに展望台がある。パキスタン人観光客はここで記念撮影をするのだが、我がバスは少しでも早くスストに到着したいのでノンストップ。往路も無視して通過してしまっているので残念だ。往路ではプロのカメラマンに峠で記念撮影してもらう約束をしていたのだった……。f:id:pumpuikun:20181004190840j:plain

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峠周辺は九折の道が続く。

バスはスピードを上げ、スストに到着。イミグレで入国手続き。続いて税関検査のはずだが、職員が「外国人はいいからもう行け」とノーチェックでイミグレを出た。

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スストにあるイミグレーション。

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ススト→タシュクルガンのハイエース

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タシュクルガン行きチケット売り場内

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スストのメインストリート=カラコルムハイウエイ

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スストで食べたチャウ麺。なんか違う……。

フランス人はスストに泊まるという。私はパス―まで行きたかった。声をかけてきた男は1500ルピーで行くという。高い、というとバスはそこから出ているよ、と教えてくれた。こういうところはインドと違って旅人にやさしい。

外に止まっているハイエースは乗客も少なかった。パキスタンのバスはクレイジーエクスプレスといったのはだれだったか……。とにかく飛ばす。パス―に入るが、目的の宿がわからない。「Passu Innの前で止めろ!」と大声で叫ぶと、乗客がドライバーに伝えてくれた。スピードを落としながらその宿を探し、Pasuu Innの前で下りることができた。

※ 途中国立公園入場料として50元(もしくは800パキスタンルピー、8米ドル)を払う。外国人登録証(北部地域に入るとこれを発行されるようだ。来るときはチラースで発行)もここで発行された。写真撮影もあるが、外国人登録証に写真はない。のちにギルギット空港で回収された。

※ イミグレで声をかけてきた男と両替。1元=17.5パキスタンルピー。悪くないと思う。

※ ススト→パス―のハイエースは150パキスタンルピー(約135円)。

※ スストは宿が多い。タシュクルガン行バスチケットを買うときに声をかけてきた男に連れていかれた宿で1泊。3000パキスタンルピー(3人部屋。約2700円)。しかし、この宿はお勧めできない。朝6時ころ、天井から大量の水が降ってきた。雨漏りなんてレベルではなく、バケツをひっくり返したような水。隣のベッドで寝ていた同行者はびしょ濡れに。私も被害を受けたが、彼と比べると微々たるものだった。のちにパス―で会ったフランス人も、行きで一緒だった日本人もスストの宿は悪くないといっていたので、運が悪かったのだろう。

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大雨の降った宿です。

※ カシュガルで撮っておきたかった写真。

 ・商店の鉄格子

 ・棍棒を持った自警団

 ・黒服の公安(警察)

 ・各所にある金属探知機

一枚一枚チェックされると消去されると思い、最初から撮らなかった。