Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

「ラッカは静かに虐殺されている」を見に行った

以前から見に行こうと思っていた「ラッカは静かに虐殺されている」をようやく見に行くことができた。

IS(イスラム国)に支配されたシリアのラッカ。地上の楽園であるかのようにISが海外に向けて発信していたが、実情は全く違っていた。物資は不足し、公開処刑が行われ、切られた首は柵にさらされていた。こんな実情を海外に向けて発信していたのが「Raqqa is Being Slaughtered Silently」(RBSS、ラッカは静かに虐殺されている)という集団だ。スマホを武器に危険を冒しながら、海外へラッカの現実を発信し続けていた。当然ISはメンバーを探し出し、あるものは処刑され、あるものは国外へ脱出した。国外へ脱出しても、殺害されるものさえいる。それでも彼らは発信を止めなかった。そんな不屈の魂を描いたドキュメンタリー。今もなお、戦いは続いている。

ドイツに向かったメンバーが雪を見て、ほっとしているシーンを見て、なぜかほっとした。常に死と隣り合わせだった彼らの心の内を少し垣間見れたからかもしれない。

なにも力になれることはないけれど、こんな映画があることをひとりでも多くの人に知伝えて、シリアの現状を知ってもらえればと思う。

www.uplink.co.jp

マルチの勧誘を見る

土日とだれとも話すことなく、休日が過ぎた。

ちょっといいニュースがあったので、休日は本の大人買い。あれもこれもとポチっていたら、2万円近くになっていた(郵送料含む)。最近は本を買うといっても、読む本というより資料っぽい本が半分近くになっている。全部を読むのではなく、必要なところだけ読む、眺めるといった感じ。電子書籍は小説1冊のみで、喫茶店で読了。気が向いたら書評を書く。この作家、いつもあとがきに大学時代の知り合いへ感謝の辞を書いている。知り合い、すごい人だったんだなあ、と改めて思う。

その本を読んでいた喫茶店での出来事。

空席がなく、唯一空いていたのが男性ふたりが話し込んでいる席の隣。見るからに地元のマイルドヤンキーといった風情、20代前半の男性ふたり。一人はきちんとスーツを着込んでいるが、もう一人はジャージ姿。話を聞く限り勤め人らしい。スーツを着込んでいるほうがいかにも美味しそうな話を持ちかけ、ジャージ姿の兄ちゃんはうんうん頷いている。しばらくすると、スーツを着込んでいる男の親っぽい同世代の男性が登場し、それらしい講義を始める。さらにジャージ姿の男がもう一人登場して、親の話を3人で拝聴している。

自分の周りではマルチにはまったのはいないんだけど(タイは別)、なにやってるんだかなあ、と。自分はひとりで喫茶店に入ったときは、本を読んだり、仕事の資料を読んだり整理したりするのが好きなのだけど、こういう連中がいるとつい聞き耳を立ててしまう癖がある。東京八重洲で時間調整のため入った喫茶店は、マルチと保険の勧誘に来ている客しかおらず、いや~な思いをしたこともあった。喫茶店のこういう使い方は止めていただきたいものだ。

今週途中で仕事が終わる予定だったが、来週再び来ることが決まった。ただ週末をこの地で過ごすことはない。しばし当地の喫茶店ともお別れです。

 

タイ人と働く

日本で働き始めて接する日本人は、タイはおろか海外で働いたことのない方がほとんどである。そんな彼らからタイ人とは?ってな感じのことを聞かれると、答えに窮することが多い。今の職場にいるタイ人は、社内で選ばれて日本に来ているわけだから、ある程度評価を得ている人ばかり。タイで働いていたときに接してきたタイ人は、本当に玉石混合。優秀な方は本当に優秀でいつも助けてもらってばかりだった。一方で日本では想像もつかないことを言ってくる、やってくるタイ人もいる。今まで一番あきれてしまった例は、数字の「1」「2」「3」…がわからないワーカーがいたこと。1のあとは2,2のあとは3ということが理解できていなかった。(正確には概念ではなく、数字が読めなかった)。日本で働いているタイ人しか知らない日本人に、こういう話をしてもピンとこないだろうし、タイでタイ人と働いて感じることを理解してもらえるとは思っていない。だからタイをあまり知らない人にこういう話はしなくなった。

そんな話をこのブログの「現採残酷日記」のカテゴリーで書いていたが、先日PCが壊れてしまい、下書きした記事が5,6本消えてしまった。気を取り直して、また記事を書こうと思う。

利益が出ないのはタイ人が悪いのか?

タイ法人は儲かっていない、だから給料を上げることが難しい。駐在員がよくこう言っているが、果たしてそれは本当にタイ人に問題があったのだろうか。

J社は日本にあるサービス業。タイだけではなく、世界に10数か所の拠点を持っていた。その取引先のひとつにT社があった。J社にとってT社は最重要取引先といえる位置づけであった。

・同様のサービスを提供する他社と比べて、J社への見積もりは半額から三分の二程度の額だった。

・見積もりが上記のような額であるにもかかわらず、見積もりには出しにくい特別なサービスを求めているため、他社と比べてマンパワーを多く必要としていた。

・J社は顧客に労働者を派遣する業務を行っていた。J社には100人の直接雇用の作業員がいる。この100人を1日単位でその日に発注のあった複数の顧客へ派遣していた。足りない分は、アウトソースに発注することになっていた。だが、T社の要求は「すべてJ社直接雇用の作業員でなければならない」というものだった。

・T社にて作業を行う作業員は、年に一度T社主催の講習会に出席しなければない。この講習会の終了証を持った作業員のみがT社に入ることが許可されることになっていた。この講習会は平日に1日かけて行われる。そのため、講習会開催日、従業員はほかの顧客の仕事ができない(この日の受注はすべてアウトソースに回すため利益はほとんどない)。

・T社は年に一度、設備等の監査ということで、J社を訪問することになっていた。T社の監査チームがJ社が使用している機械設備を確認し、監査にパスした機械設備だけがT社に入ることが許可されることになっていた。この監査も半日以上かけて行われていた。(この日の受注もアウトソースに回すため利益はほとんどない)

・T社の講習会および監査は(受注の少ない)土日に行われることはなかった。

つまり受注が増えれば増えるほど、赤字が増えるような取引先であった。このような厳しい条件だが、T社のタイ人はそれが当然のような態度で、現場としては決して好ましい顧客という感じがしなかった。

あるとき、J社駐在員がタイ人スタッフに業務改善案の提出を指示した。最も多い意見がT社との取引条件見直しであった。これを知った駐在員はこういった。

「T社とはJ社のタイ法人だけでなく、世界中のJ社が取引している。だいたい似た条件なので、もしタイ法人だけ条件を変更しようとすると、その情報が世界中に流されるでしょう。もしそれが原因で取引を打ち切られたりすると、タイ法人社長の首が飛んでもおかしくない、T社はそれくらいの顧客なんです」

T社とJ社は資本関係もなく、人的交流も行われていない。しかし、このような取引先が売り上げ(利益でなく)の十数パーセントを占めている状態では、タイ法人としての利益は薄く、タイ人は納得できまい。駐在員はタイ法人の収益にはあまり関心なく、給料に反映されることもないが、タイ人はボーナスに影響するからやはりシビアにとらえていた。

「納得いかないんだったら、タイ人で取引先を開拓したらどうだ」

駐在員はタイ人にこう言った。

今も条件の見直しはされていない。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)

タイ人に前金は厳禁?!

お金にまつわるトラブルは、日本よりタイのほうが圧倒的に多い。そこで自分が見たタイ人の不正例を一つ書いてみる。

この会社にはメッセンジャーと呼ばれる職種の人間がいた。経理から現金を受け取り、支払いを済ませ領収書をもらって帰ってくるというのが仕事だった。

現金を受け取るまでのフローは以下の通り。

1.営業課(仮称)が、必要な金額を算出。各ジョブごとに算出した金額を社内端末に入力。営業は1課から3課まであった。メッセンジャーは1日当たり10数ジョブを抱えていた。

2.経理課はその金額を1日単位で集計し、メッセンジャーに渡す金額を計算し、ジョブごとの伝票とともに現金をまとめて渡す。

現金を受け取ってからのメッセンジャーの仕事は以下の通り。

1.朝、受け取った伝票と現金を持って、支払いに行く。

2.受け取った金額は若干多めに見積もった額であるため、現金は必ず余る。メッセンジャーは社に戻った後、経理に領収書とともに余った現金を返却する。

簡単に書くとこうなのだが、実はもう少しややこしい。

・営業1課と2課の仕事で10,000バーツの支払いが発生したとする。しかしシステムでは営業1課、2課が同じジョブナンバーであるにもかかわらず、それぞれ10,000バーツの支払いが発生するという計算になってしまう。そのため、メッセンジャーに支払われるのは20,000バーツとなる。これはシステムのバグではなく、会社もわかっていたため、10,000バーツ返金されなければならないということで認識が一致していた。また、実際には10,000バーツ以下になるはずだが、念のため10,000バーツを持たせることを会社としても認めていたため、受け取ってすぐに10,000バーツを返却させるということもできなかった。

・朝受け取った現金は、当日中に支払業務を済ませることが社内ルールになっていたが、現実には日によってジョブ数のばらつきが多く、1日のうちに終わらせることができない日も多かった。この場合、担当部署(経理ではなく営業課)に連絡することで、数日の遅れは認めていた。

・支払いが済んでいないと、営業課は仕事を先に進められないのだが、実際に仕事をするのはメッセンジャーが現金を受け取った翌日から2,3日後になるため、支払いの確認がおろそかになっていた。(実際、全ジョブの支払いを確認していたら、時間が足りない)

メッセンジャーは結構な額の現金を手にすることになり、その管理も決して完ぺきというものでもなかった。あるメッセンジャーはこの不備をついて、支払いを先延ばしにすることを繰り返していた。しかし、それはいつか破綻する。

ある日、営業課の人間が、3日前に手配したジョブの支払いが済んでいないことに気が付いた。メッセンジャーを問い詰めると、忙しかったので忘れていたと言い訳していたが、調べてみるとかなり前から自転車操業になっていたことが明らかになった。実際には支払っていなければならないのに、まだ支払われていなかった現金は、メッセンジャーのおよそ6か月分の給料であることが判明した。

会社はこのメッセンジャーに対し、

・今すぐ、支払い済みの現金を全額返却すれば、警察には届けない。自主退職ということにする。

・もし払えないのであれば、即警察に届ける。

という選択肢を与え、メッセンジャーは親戚中から金をかき集めて、なんとか全額を返却し、退職した。だが、なぜかメッセンジャーの管理職はなにも処分されなかった。また社内システムの見直しも行われた様子がない。性善説に立つと再発しそうな気がするのだが……。

現在、このメッセンジャーは、同じ地区にある同業他社で同じような職に就いている。

労働争議が起きた会社の末路

タイに進出しても業績不振で撤退、あるいは日本法人が倒産してしまうケースは決して少なくない。

信田は現地採用として精密機械メーカーC社で働いていた。C社は大手製造メーカーN社からの発注に頼ってタイに進出した。営業活動はN社との結びつきの強い顧問と称する70近い男性が主体になって行っていたが、新規開拓は苦手だったようだ。N社との取引も足元を見られているのか、利益が出ない体質だった。この顧問の待遇は、会社の業績を鑑みるとかなり高いものだった。だが経費を削減するためにこの顧問を辞めさせると、N社からの取引も打ちきられかねない。工場をタイよりも人件費の安いラオスに移転をするなど、経費削減に努めているところだった。信田は新規開拓要員として採用され、少しづつ取引先を増やしていっていた。

12月のある土曜日の午後、信田から電話があった。この日の夜、信田と会う予定になっていた。

「悪い、今日のアポ中止にしてくれ」

数日前今年のボーナスが払われないと会社が従業員に通達したところ、ちょっとした労働争議になり、それをメディアに報じられてしまった。それを知った信田が開拓したいくつもの取引先から電話が入り、ずっと取引先に事情を説明しに行っている、今もバンコク郊外にある取引先へ向かっている途中だという。

「さっき知ったんだけど、ここ数年ボーナスを払っていなかったらしい」

日本で与信管理に携わっていた立場から、その会社がかなり危なくなっている雰囲気を感じた。

「年が明けたら転職活動を始めるよ」信田はそう言って電話を切った。

信田は新規開拓の実績を買われ、すぐに転職先が決まった。

数年後、C社の日本法人が倒産したというニュースが入ってきた。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)

海外進出に慣れていない企業のなれの果て

海外に慣れていない人間がタイに赴任して舞い上がってしまう例はよく聞く。その結果、海外法人が思うように立ち上がらない例もあるようだ。

J社は首都圏に本社があり、全国各地に工場や営業所を持つ製造メーカーだ。だが海外に拠点はなく、タイが初めての海外進出だった。社長の佐藤、そして深川という参謀のような男の二人を中心に会社を立ち上げようとしていた。佐藤は50代半ば、深川は40代前半の男性だ。会社の立ち上げに際し、経験のある人間として雇われたのが諸井であった。諸井は50代前半、タイで大手製造メーカーの立ち上げ数社に携わっており、いわばプロフェッショナルともいえる男だった。

諸井は管理部門のGMというポジションを与えられた。諸井が入社したときは、工場の建屋がようやく完成し、機会の搬入が始まろうとしているところだった。J社は初の海外進出ということで、立ち上げ要員ともいうべき日本人を本社から大量に送り込んでいた。タイに不慣れな彼らに対するサポートも諸井の仕事のひとつだった。諸井は支援者の送迎を命じられた。

「いや、俺たちタイ語わからないし、運転手に指示できないからさあ、諸井さん悪いねえ」

諸井の家は郊外にある工場の近くだったが、バンコクまで行き彼らを迎えに行ってから工場へ向かう生活。さらに帰りもバンコクまで送ってから部屋に戻る生活だった。渋滞を考慮するとそれぞれ2時間から2時間半はかかる。さすがにこれはきついので、1か月もすると専属の運転手を雇うようにしてもらった。

管理部門の仕事のひとつに経理業務があった。しかし予算の作成などといった仕事ではなく、あくまでも出入金管理の権限しか与えられなかった。深川が持ってきた領収書に応じて、現金を支払う。銀行からの出金の際にサインをするのが仕事だった。

深川はほとんど毎日、領収書を持ってきた。顧客との会合と称した食事代、カラオケ代がほとんどだ。あまりにも多いので諸井は一度「ちょっと多すぎるんじゃないですか?」と苦言を呈したことがある。しかし深川は「諸井さんは、サインしてお金を払っていればいいんですよ。諸井さん、うちの会社のこと知らないからわからないと思うけど、これくらいの経費はどうってことないんですよ」というだけだった。諸井から見ると、営業活動といいつつ、それが成約につながった様子は数か月経ってもひとつもない。深川は応援で来ている人間ともよく飲みに行っているようだ。

会社の立ち上げは決してうまく進んでいなかった。過去に大手メーカーの立ち上げにかかわった諸井からすると、お子様のような進め方だった。輸入手続きができていない、人を集める方法を知らない……。諸井がなにか意見を言っても「諸井さん、うちの業界のこと知らないでしょう。こんなもんなんですよ」と深川は相手にしない。その割には、時間になるとすぐに帰り、毎晩飲み歩いているようにしか見えなかった。諸井はなにもいわなくなった。

諸井の不満はそれだけではなかった。ビザの件である。タイでは労働する際にビジネスビザとそれに付随した労働許可書が必要だ。諸井がJ社をバックアップしているコンサル会社に問い合わせると「今の状態ですと、佐藤さんと深川さんの二人分しかビジネスビザを申請できず、諸井さんは申請できないんですよ。もう少し会社の体裁を整えて(売り上げをあげて)からでないと…」とのことだった。幸い、諸井はタイ人と結婚していたので、そちらの条件で滞在許可を得ていた。結局、諸井は給料こそ受け取ることができたが、ビジネスビザを取れずに働き続けることになった。(支援者はノービザで滞在できる30日以内に日本へ戻ることを繰り返していた)

諸井が入社して10か月が過ぎようとしていた。佐藤や深川がタイに来てから1年以上経っていた。だが、工場は量産も始められない状態だった。受注がない、ワーカーが集まらない、悪循環だった。

そんなある日、佐藤、深川、諸井の三人で会議が行われていた。日本から立ち上げ資金として与えられていた予算が、そろそろ尽きようとしていたのだった。

「諸井さん、あなたも知っているとおり、そろそろ予算が尽きそうだ。あなたは経理責任者なんだから、日本の本社に頭を下げて予算をもらってきてくれ」

深川のこのひと言に諸井はキレた。

「なにいっていやがる!営業といいつつ遊びまわっていたのはあんたたちだろうが!顧客と飲んでばかりで、いったいどれだけの成約取ってきたんだ!そこまでいうなら、おまえらが飲み歩いていたことをそのまま本社にバラすぞ、それでもよかったら日本へ行ってやってもいいぞ!」

諸井はそう言って会議室を出て行った。10か月の間おとなしくしていた諸井が初めて見せた怒りの感情だった。

翌日、諸井が出社すると佐藤に呼ばれた。

「諸井さん、深川とああいうことになってしまったら、あなたも働きづらいでしょう。深川は日本本社の人間だから、簡単に帰任させるわけにはいかない。どうだろう、契約にはなかったけど諸井さんとは1年契約だった、そして契約満了ということにしたいのだがどうだろう?その場合は契約にはなかった退職金も12か月分用意する。まだ1年経っていないけれど、その分は出社しなくてももちろん支払う。もちろん日本へ行く必要もない」

佐藤はこのような提案をしてきた。諸井はこれを飲んで退職した。

諸井が退職して数か月後。私の所属する会社に深川がやってきた。取引先からどうも苦戦しているようだから、話だけでも聞いてやってくれないか、と懇願されたので会うことになったのだ。実は私の業界と深川の業界は、あえていえば自動車部品メーカーとサラ金というくらいかけ離れていた。

それでも深川は自社の売込みに必死だった。営業先が違うだろうと思いつつ1時間ほど話を聞くと、深川は帰っていった。

J社は今でもタイで営業活動を行っている。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)