Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インド横断とカラコルムハイウェイ~コルカタ

予定通りにハウラ―駅(コルカタ)に到着。窓から見えるハウラー橋が懐かしい。

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ハウラー駅

コルカタにはサダルストリートという安宿街としてバックパッカーに有名なところがある。古くは『深夜特急』の旅でも沢木耕太郎はサダルストリートに宿をとっていた。『バンコク楽宮ホテル』で有名な谷恒生も、その続編として『カルカッタ大真珠ホテル』(ホテルパラゴンはサダルストリートにある有名安宿)という作品を描いている。25年前の自分もバラナシからコルカタまで列車で移動し、サダルストリートを基点にふらふらと数日過ごしていた。

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沢木も泊ったリットンホテル

「サダルストリートに泊まるつもりですか?コルカタは渋滞がひどいから、飛行機に乗るなら空港近くに泊まったほうがいいですよ」

カシュガルで別れた方にアドバイスされていた。コルカタはほぼ24時間の滞在予定。空港近くはサダル以上に土地勘もなく、25年ぶりにサダルを見たかったこともあり、当初の予定通りサダルに行くことにした。

駅を出るとプリペイドタクシー乗り場へ。今はそんなものがあるらしい。25年前は人力車に乗ったら、途中で値上げしてきたので降りて、タクシー捕まえて行ったっけ……。

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プリペイドタクシーを待つ人々

プリペイドはインド人にも好評なのか、長蛇の列ができていた。

無事にサダルストリートに到着。ドライバーがチップをねだるが無視して降りる。あれ、こんなに狭かったっけな?って、25年前もタクシーから降りて同じことをつぶやいたことを思い出す。

歩き出すと大きなバッグを持っているせいか、すぐに客引きが寄ってくる。無視するが、ニューデリーの客引きよりしつこい。やっぱりインドはこうだよなあ、と思いつつやはり無視して一往復する。今のサダルは設備のわりに宿泊代が高いと、敬遠される傾向にあるようだ。旅行者の数が少ない。

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サダルストリート

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ホテルパラゴン

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25年前にすでに老舗といわれていたカフェ

ふと見覚えのある名前が目に入った。タイのチェンライに行き始めたころよく泊まっていたToursit Inn……。同名のゲストハウスがサダルにもあった。これもなにかの縁とここに決めた。

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Toursit Inn 1500インドルピー(約2400円)

25年前。バラナシからカルカッタ(当時)へ列車で移動した。列車に乗る2日前から下痢が始まり、それはカルカッタに着いても続いていた。朝はチャイ、昼か夜に宿泊先の近くで1食、という生活で回復を待っていた。その1食は中華が多かった記憶がある。そのときに通った店が香港飯店という名前だったことを思いだした。記憶をたどってその店に行くと健在だった。

なぜか無性にエビチリが食べたくなって注文した。楽しみにしていたが、出てきたものは……。がっかりして宿に戻る。気がつくと雨が降ってきた。外に出る気にもなれない。インド最後の夜、行きたいところもしたいことも思いつかない。雨で歩く気にもなれず、近場で食事を済ませた。

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エビチリ。Chill shrimpと書いてあったのだが……

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ワンタン

そのまま寝入ってしまい、バンコクのホテルを予約することを忘れていた。朝になって慌ててネットで予約。行けばなんとかなることは知っていても、最近はホテルを予約する習慣がついてしまった。

タクシーで空港へ。朝だったからか、渋滞はひどくなく予定通りに到着。しかしフライトは1時間以上遅れるとのこと。今回は最初から最後まで飛行機の遅延が続いた。

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人力車はいまだ健在

 

インド横断とカラコルムハイウェイ~デリー(2)

ガヤー、アムリッツアルでのチケット争奪戦と比べ、あっさりとチケットが取れて拍子抜け。「外国人用」がこれほどまで楽だったとは……。時間が余ってしまった。一度ホテルに戻り、チェックアウトは明日と伝え、このホテルのチェックアウト時間は12時であることを確認する。

残念ながらこのホテルは部屋にwifiが繋がっていなかった。繋がるとフロントはいうが、弱すぎて事実上繋がっていなかった。1階の共有スペースまで行かなければ使えない。外国人街にあるホテルなのに、外国人の宿泊者は見かけず、インド人ばかりのホテルだった。

部屋でだらだらとKindleで本を読んだあと、夕方になってようやく外出。食生活がめちゃくちゃなリズムになっている。旅の終わりと帰国後の生活が気になり始めていたためか、観光はおろかコンノートプレイスさえ行く気力がなかった。

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メインバザールの果物屋

翌朝、ホテルの共有スペースへ行く。一晩考えて帰国を決意した。これ以上続けても、なにもない。コルカタに1泊してバンコクへ飛ぶ。ダッカは次回に持ち越し。これでカイバル峠からコルカタまで、陸路で移動するという目標が達成される。バンコクで荷物を預かってもらった友人と会って、当初の日程通りに帰国する。コルカタからバンコクのチケットをネットで予約。ブータンの航空会社がこの区間を飛んでいるので、それを選ぼうとしたら時間帯が悪すぎて断念。話のネタにしたかったのだが……。友人にもその旨を伝えた。

列車は16時55分発だった。デリー最終日。あてもなくふらふらとメインバザールを歩く。旅の後半は移動しているときが一番楽しかった。なにをしても面白くない、というかする気力が沸いてこない。好奇心の摩耗ってやつか?最近動画撮影に凝っているという友人とメッセージのやり取りをしていた。ふと、駅前のカオス状態を撮影してみようと思い立つ。なんどか挑戦するが、意外と難しい。なかなかこのカオスが伝えきれない。メインバザールでは、大音量でゆっくりと走っているトラックが何台か通って行った。なにかのお祭りらしい。そんな光景を写真や動画を撮影している旅行者に交じって自分もやってみた。

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メインバザールにあるサブウェイ。タイミングを逸して食べられなかった。

一度ホテルに戻り、チェックアウト。メインのバッグはホテルに預かってもらう。2泊で3000インドルピー(約4800円)、すでに2000インドルピー(約3200円)を払っていた。残り1000ルピー(約1600円)を払おうとすると、それをはるかに超える額を要求してきた。

「なんで?あと1000インドルピー(約1600円)でいいだろ?!」

「タックスだ!」

「お前、チェックインのとき、タックス込みっていっただろうが!」

少しきつい口調でいうと、すぐに引き下がる。25年前はこういうやり取りが普通で、そのたびに時間を費やしていたのだが、すぐに引き下がったのは、インドが変わったのか、私がしたたかになったのか……。初めてのインドを終えインドの話をした今の私くらいの年齢の方に言われた言葉がよみがえってきた。

「何年後かわからないけど、また行ったらきっと違う感想を持つはず。それを楽しみに仕事頑張ってね」

次のインドは25年後?生きてだろうか……。

小雨がぱらついて、歩くのもいやになった。歩いていると急に雨脚が強くなった。慌てて屋根のあるところに行くと、ラッシーの店だった。飲むか?と顔で誘われたが、これからの移動を考えるとここは我慢のしどころ。買うのは控えた。雨脚が弱くなったのを見計らってその場を離れ、wifiがあるレストランに入り、出発時間まで時間を潰す。

ホテルに戻ってバッグを背負いニューデリー駅へ。出発ホームを探すが見つからない。電光掲示板はめまぐるしく出発する列車の案内が変わっているのだが、自分の乗る16時55分発コルカタ行きはどこのホームにも出てこない。ホームを結ぶ橋を4往復ほどしてようやく出発ホームが判明。さすがに汗だくになっていた……。

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ニューデリー駅ホーム

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Rajdhani Express

指定された席を見つけると、すでに先客。グループで来たのだが、席が分かれてしまったので代わってほしいとのこと。進行方向と平行になる席となり、そちらの方がありがたかった。

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乗車直後に配られたスナック

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夕食。揺れでブレブレ。

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朝食。

出発すると、すぐに乗員が「ノンベジか?」と尋ねてきた。この列車は食事が付いていたらしい。調べてみると「Rajdhani Express」という豪華列車だったのだ。運賃に食事代が含まれていたらしい。アムリッツアルからの列車同様、エアコン寝台車は客層がいい。富裕層の乗り物なのかもしれない。旅行者に話しかけることもなく、グループで乗っている人はグループで話をして、ひとりの人はタブレットでなにかを見ている。私もカーテンを閉めて自分の世界に浸る。食事のサービスが来たときだけ話をするといった感じだった。楽で快適だけど、どことなく寂しい。ひとり旅はそろそろ限界かな、と思いはじめた。

インド横断とカラコルムハイウェイ~デリー(1)

定刻通り、20時40分にデリー駅に到着した。デリーには大きな駅がふたつ、このデリー駅とニューデリー駅がある。到着したのはデリー駅の方だ。

ニューデリー駅の前は安宿街になっているんですよ。行けばわかるし、泊るところには苦労しませんよ」

カシュガルで別れた方がそう話していた。

デリー駅を出て、ニューデリー駅前、メインバザールといわれるエリアへ移動することにした。駅を出ると暗闇の中、街灯がかろうじて点いている。薄暗い中、人通りは激しく、インドに来たなあ、と感慨深い気持ちになっていた。

列をなしているオートリキシャーの中から一台を選び、安宿街、メインバザールへ向かう。駅を離れるとますます暗くなり、運転手が途中で強盗に変わらなければいいなあ、などと不吉な思いが頭をよぎる。オートリキシャ―は狭い路地をなんども何度も曲がりながら走っていく。

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夜のメインバザール

曲がり角を曲がると、突然、ネオンが目に入った。あまりのまぶしさに、思わず目をつぶるほどの明るさだった。オールドデリーを出て、ニューデリーに入ったらしい。しばらく走って、ニューデリー駅前で降ろしてもらった。道路に面して、土産物屋やホテル、レストランが軒を連ねている。まるでバンコクのカオサンだなあ、と思いながら歩いていると、客引きの男が声をかけてくる。無視して歩いていると、いつの間にかいなくなってしまう。3,4人の客引きに声をかけられたが、みな消え去っていく。

道路に面したホテルに一泊。以前2か月ほど日本で住んでいたビジネスホテル並みの狭さで1500インドルピー(約2400円)。壁にTAX云々の文言が書いてあった。TAX込であることを確認し、2000インドルピー(約3600円)を払うと、お釣りはデポジットといわれる。

バッグを置いてメインバザールを散策。アムリッツアルといいデリーといい、インドの都会はさすがに大きく、人が多い。パキスタン北部が恋しくなってくる。

レストランの客引きも多いが、強引な店はない。愛想のいい店に入って適当に食べる。待っている間にスマホをいじっていると、店にあるFree wifiのパスワードを教えてくれる。ホテルより快適なスピードだった。

翌朝、歩いてニューデリー駅へ向かった。バンコク発の予約を取っている日まであと5日。バンコクには1,2泊するつもりなので、2,3日後にはコルカタに着いておきたい。チケットが取れなければ、飛行機でバンコクへ飛ぶことも視野に入れる、そんなことを頭の中で整理しておいた。

ニューデリー駅の周辺は怪しい客引きが多いと、「地球の歩き方」をはじめ多くの情報が出ていた。ニューデリー駅には「外国人用チケット予約オフィス」があると聞いていたので、まずはそこを目指す。途中声をかけてくる奴も多いと思っていたのに、だれにも声をかけてもらえない。外国人用チケット購入窓口へ到着。旅行者は2,3人しかいない。しかし、銀行にあるような順番のカードだけは用意されていた。窓口には3人の女性が座っていた。ひとりは勤務時間を終えたのか、帰り支度。ひとりは一緒に来た子供と遊んでいる。ひとりだけ客の相手をしている。その客の発券、支払いを終えると番号で呼ばれるものだと思っていた。しかし、一向に呼ばれる気配がない。窓口に客がいない状態でも話に夢中で、仕事している様子が見られない。いまどきタイでもなかなか見られない光景。

直接窓口へ行くと、私はあと10分経ってからが勤務時間とそっけない対応。もうひとりのところもいつのまにか別の客が……。10分後にそっけない対応をした女性のところへ行き相談。結局、翌日の夕方発のエアコン寝台で予約が取れた。

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ニューデリー

インド横断とカラコルムハイウェイ~アムリッツアル

ようやくパキスタンを出国。インド側イミグレへ急ぐ。

この間のエリアでは毎日日没2時間前からフラッグセレモニーというイベントが行われている。本来は国旗を降ろす儀式のはずだが、いまでは国家の威信をかけたイベントとなっている。

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両国の緩衝地帯?

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フラッグセレモニ―を見に来ている観客。インド側。このときパキスタン側はだれも来ていなかった。

本当は見たかったが、どちらの国にも入国していない状態ではそれもままならず、インド入国を急ぐ。イミグレに着くと、建物に入る前にバッグを地面に置くように指示される。鎖につながれた犬が登場、麻薬検査が始まった。ドラッグ系に興味はないので心配していないが、やはり気になってしまう。終えると入国手続き。前回の出国時は、念入りなボディチェックをされ、目薬がいつの間にか消えていた。インド側はこの手のトラブルが多い。インドビザを確認され、無事入国。

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インド側への移動に使ったバス。

建物を出るとタクシーの客引きが近寄ってきた。来たときはオートリキシャ―で300インドルピー(約480円)だったので、それを目安に交渉しようとすると、Fix Priceといわれ、料金表示が出ている看板を見せられた。

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国境建物を出たところにあった料金表

まあ、ぼったくり価格である。さすが国境だ。

往路で泊まったホテルを指示して車に乗る。値段こそ高かったが、ホテルを予約してあるというと、運転手は手数料の入るほかのホテルに連れて行くこともせず、まっすぐ目的のホテルへ送ってくれた。インドも変わったのか……。

アムリッツアル市内に入ると渋滞が始まった。ペシャワールと比べると街がきれいだ。やはりインドのほうが洗練された国のような気がする。

運賃を払いホテルへ。タクシー代があまりにも高かったので、ホテル代が足りなくなっていた。ホテルのフロントで両替できないか、またどこか両替してくれるところ若しくはATMを教えてほしいと尋ねる。貫禄あるシーク教徒の従業員が、駅前にたくさん両替所があるからそこで換えてくればいいと教えてくれた。バッグを置かせてもらい、両替してから宿代を払いチェックイン。朝、ペシャワールを出て夕方にはインドにいる……。なんだかうれしかった。

横になっていると、いつの間にか真っ暗に。この日も朝から食事らしい食事をしていない。駅前のレストランに入り、ここでもお任せで出てきたものを食べる。

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アムリッツアルの夕食

ホテルに戻り今後のスケジュールを真剣に考える。予定では5日後にバンコクへ入ることになっている。KL経由でアムリッツアルから飛行機もある(エアエージア)。デリーから飛んでもいい(往路と同じ)。でもやはりここまで来たら陸路でコルカタダッカまで行き、そこから飛行機でバンコクへ行きたかった。コルカタまでの直行列車もあるだろうが、デリーのほうが確実だろう。まずはできるだけ早くデリーへ行くことにした。

翌朝、列車のチケットを買いに行く。駅構内にもチケット売り場があるはずだが、黄金寺院にもチケットオフィスがあるという。インドはチケットを買うのが一苦労する国だ。黄金寺院を見ておきたいのと、こちらの方が空いているだろうという希望を込めて、黄金寺院へ向かう。

黄金寺院は広かった……。オートリキシャーの運転手はここが黄金寺院だ、というが寺院らしいものは見られない。ただ巡礼者は多いのでこの近くであることはわかった。10人近くに聞いてようやくチケットオフィスにたどり着くが、やはりカオスだった……。20人くらいのインド人が窓口に殺到、窓口はひとつだけ。いったいいつになったら自分の番になるのか……。列なんてあったものじゃないので、インド人に交じって窓口へ向かう。しばらく立っていると、「おい、そこの日本人、こっちへ来なさい」と窓口の男性がほかのインド人を制して呼んでくれた。ありがたい……。

「できるだけ早くデリーへ行きたい」

「11時55分発の列車がある。それでいいな?」

このとき9時半。急いでホテルに戻れば十分間に合う。黄金寺院もフラッグセレモニーも見られないが、このころから前へ進むことが楽しくなってきていた。

ホテルをチェックアウトして、駅へ向かう。往路はガヤーからアムリッツアルまで、乗る権利はあるが席の保証がないチケットだった。エアコンのない車両、座れても体の一部しか座れない、30時間……。これまでの移動でも1,2を争うきついものだった。このときは同行者がいて気を紛らわすことができた。だが、今回はひとり。できるだけ楽をしたいとエアコン寝台を希望していた。

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エアコン寝台

指定された場所はなぜか荷物置き場となっていた。しばらくすると枕が配られ、席も空席に。乗客はほとんどシーク教徒。エアコン車両だからか、シーク教徒が多いからか、品のいい感じの人ばかりだった。ノンエアコン車両と違って、話しかけてくる人もいない。車内食のカレーを買って食べると、カーテンを閉めて横になり、自分の世界に入った。やはり横になれると楽である。気がつくと、いつのまにか到着時間が近づいてきた。この列車、デリーは終点ではない。なんども通路を歩いている職員に確認、デリー駅に到着した。

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車内で買ったカレー

※ フラッグセレモニ―:最近ちょっとしたブーム(特にインド側)。アムリッツアルからツアーが出ているとのこと。動画を貼っている人も多いので、一度見てみるとその迫力がわかるでしょう。

※ 国境からアムリッツアル

国境を出たところにはなにもなかった。歩くかオートリキシャ―で集落(アタリ?)まで行くとバスがあるはず。車でバスが止まっているところを通過したが、結構歩きそうな感じだった。

※ 宿:Hotel Fairway

駅まで5分くらい。Cort Rd.沿いにある。往路で同行者が何度か泊ったことがあるというので、案内された(このときは24時過ぎの到着だった)。2回とも飛び込み。シングル2000インドルピー(約3200円)。なぜか往復とも同じ部屋に案内された。ホテル予約サイトにも載っている。復路では2泊目は満室だから泊まれないといわれていた。駅前からこの辺り、宿の看板が多いので泊る所には困らないだろう。都合のいい時間に出発できて幸いであった。

Hotel Fairway | Best Luxury Hotel in Amritsar

※ 両替:ATMでのトラブルを避けたかったこと、先が見えてきたので現金を使っても問題ないことから、現金を両替したかった。駅からホテルまでの間に10軒程度の両替屋が軒を連ねている。ネパールと違って、レートが表に出ていない店が多いので、いちいちレートを確認をする必要がある。インドは切れた紙幣は受けとらないので、受け取ったときに必ず確認しなければならない。今回は変な紙幣が混じっていることはなかった。この辺もインドが普通の国になったのかなあ、と思う所以。

※ 黄金寺院:シーク教徒の聖地。近くには無料で泊まれる巡礼宿もある(白人旅行者が出入りしていた)。無料で食事がふるまわれるらしいが時間がなく、場所もわからなかった。黄金寺院付近は安宿が多いためか、建物から出てくる外国人旅行者をちらほら見かけた。

※ 日本にあるシーク寺院:日本にも2か所、シーク寺院があるらしい。東京にもあるので、一度行ってみたいと思っている。

Gurdwara Guru Nanak Darbar (Tokyo)シク教寺院 グル・ナーナク・ダルバール (東京): 日本語

※ アムリッツアルという街:シーク教徒の聖地でもあることから、圧倒的にシーク教徒が多い。ターバンを身に着けて、体格に恵まれている男性が多い気がする。経済的にも成功している人が多いらしい。バンコクでもターバンをしたシーク教徒はビジネスを行っている人が多いイメージ。

インド横断とカラコルムハイウェイ~パキスタン総括

パキスタンについてまとめ

フンザ(カリマバード)。長寿の里、桃源郷、「風の谷のナウシカ」のモデルとなった地域、といった一般的なイメージのほかに、「帽子をかぶった顔つきの違う民族が住む土地」というのものも持っていた。実際にはそれはフンザというよりチトラールというエリアの話だった。ここにはカラーシャといわれるアレクサンダーの末裔とも呼ばれる人たちが住んでいるらしい。あとで述べるチュプルプソン谷よりも行ったことのある人も多そうだ。往路は時間がなく寂れた観光地という感じで楽しめなかったが、ひとりになり自分のペースで旅をしはじめると、居心地のいい土地に見えてきた。ひとりで食事が楽しめればもっと楽しかっただろうか。Cafe de Hunzaはコーヒーも景色もいいカフェで、ぜひ一度行ってほしい。

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Cafe De Hunza

前年に行ったインドのヌブラにあるTurtukという村が非常に似た雰囲気の村。規模はカリマバードよりずっと小さく、旅行者用のインフラもない。似た雰囲気だけどTurtukのほうが先に行っただけにカリマバードが少し物足りなかったのかもしれない。

・ススト(Sost)。帰国してから会った友人は、ここを起点に歩き回ったことがあったらしい。もう昔のことだから(たぶん20年以上前)といって詳しく話してくれなかったが、調べるとチュプルソン谷(Chapursan valley)というワヒ族が住んでいるエリアがある。友人もこの辺りまで行ったのだろうか?写真を見るとかなり興味をそそられた。ススト自体は従来から住んでいる人はおらず、みな商売で住み着いているという雰囲気だった。

・両替。インドから入国時に余ったインドルピーをパキスタンルピーに交換。途中ATMがあるはずだからそこまでのお金があれば大丈夫、と同行者にも言われて安心していた。ラホールからラワールピンディに行く途中、ドライブインのようなところで休憩。ATMがあったので下ろそうとしたが、お金が出てこなかった。しっかりと請求が来ていたので、帰国後カード会社に調査を依頼。今のところ(利用後約3ヶ月後)この分は引き落とされていない。請求する場合は改めて連絡が来ることになっている。結局、ラワールピンディのピールワダイ(Pirwadhai)というバスターミナルにて両替商と、レートが1ドル=80パキスタンルピー(約72円)というひどいレートで換えざるを得なった。カリマバードでは2台ほどATMを確認。ゼロポイントに1台とバルティットフォートへ行く分かれ道の手前にもう1台あった。パキスタン出国時もパキスタン側で両替。この国境ではパキスタン側で両替するのがベターな様子。入国時はスストのイミグレで声をかけてきた男と両替。1元➡17.5パキスタンルピーだった。

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バルティットフォートへ行く途中にルATM。ここで往復各1回現金を引き出した。

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ゼロポイントにあるATM。試していない。

・バス移動。

ラホール➡ラワールピンディ(2h):Daewooのバスターミナル。この便のみ食事がついてきた。

ラワールピンディ➡ギルギット(17h):アムリッツアルを朝出発し約12時間後にラワールピンディを出発。かなり疲れていたこともあり、移動が始まるとすぐに寝られた。同行者は窓がきちんと閉まらない席にいたせいか、体調を壊していた。

このルートはパスポートのコピーが必要。パスポートチェックが随所にある。顔写真のページとビザのページを各10部用意するように言われた。待っている間に停電となりコピーができるか心配だったが、出発直前に復旧し、なんとか間に合った。

チェックポストで車掌(運転手とは別にひとり乗っていた)が手続きしてくれていたが、チラールは本人が出向かなければならなかった。そこで外国人登録証が発行された。往路ではクンジュラブへ行く途中のチェックポストで回収、復路はこのチェックポストで発行、空港で回収された。

乗る前、同行者と「きついって情報しか見つかりませんねえ……」と話していたが、意外とスムーズな旅だった。たまたま土砂崩れなどなかっただけかもしれないが、疲れていてマヒしていたか、寝ている時間が長かったことが理由かもしれない。

ラワールピンディ➡ペシャワール(2h):ラワールピンディのDaewooのバスターミナルから出発。到着場所はガソリンスタンドの併設のスペースだった。暗闇の中の移動で外はよく見えなかったが、道はかなりよかった。

ペシャワール➡ラホール(6.5h):Daewooを利用。空いていたが思ったより時間がかかった。

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ペシャワール➡ラホールのバス

ハイエースとスズキ

近距離はこの2種。ハイエースは1列4人が定員なのでキツイ。男女を上手く分けている。スズキも狭いが時間が短いので助かった。

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ハイエース

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スズキ

・国境とラホール

入国手続きをすませ、バスのような乗り物でゲート外へ。バスはなさそう。駐車場のようなところで、そのうちタクシーが来るといわれたが一向に来ない。国境まで客を乗せてきた車(白タク?)と交渉。もう少し歩いて集落まで行けばバスがあったかも。復路はラホールのバスターミナルからタクシーで。タクシーはひとりだと予算が厳しい。

wifi

スストは宿、食堂ともにダメ。パス―はPassu Innからなんとか繋がっていた。カリマバードのホテルはフロント周辺はかなり快適だが、それぞれの部屋になるとあまりよくない。レストランはほとんどつながった。

・宿。

ドミトリーは苦手なので基本的にパス。すると2000パキスタンルピー(約1800円)くらい出さないと厳しいか。ラワールピンディやペシャワールは外国人が泊まれる宿は限られているので、「地球の歩き方」は参考にならず。ネットで調べたほうが良い。

 

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(4)

バスターミナルにいた方に教わったホテルを何度も伝えたはずだった。この方はドライバーの親父にも直接伝えていたはずだった。

ペシャワールに戻り、親父は何度も車を止めて、歩いている人にホテルの場所を聞いていた。

「おお、やっと着いたぞ」

大通りから狭い路地に入っていく。曲がるときに看板が出ていた。しかし、英語ではなくウルドゥー語……。この辺りで抗議するべきだった。だが、疲れていたのか、面倒だったのか、親父の言うままにホテルへ連れていかれた。

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受付にいた男性。この地で生きていくのは思いやられそうな容姿。

ホテルの前にも英語表記はない。親父が客人を連れてきたとフロントの男に伝える。部屋を見せてもらうと、トイレ以外はきれいな部屋だった。これくらいだったら外国人を泊める許可も得ているだろう。ここに泊まることにした。チェックイン手続きを済ませ、ドライバーともお別れだ。

「じゃあ、4000パキスタンルピー(約3600円)」

親父は嬉しそうに受け取ると

「ここからバスターミナルまでは20分も見ていれば大丈夫。ラホール行きは6時7時8時とある」と教えてくれた。

部屋に戻りひとやすみ。カリマバードを出てからどうも思うようにいかない。ホテルは日中だというのに地元の宿泊者で満室に近かった。なぜかひとりでいる男性が多い。外に出るにしても、見る限りなにもない。wifiもない。14時を過ぎたばかりだったが、部屋でごろごろするしかなかった。

ふとチェックイン時にもらった領収書を眺める。よく見るとホテルの名前が英語で出ていた。全く違う名前だった……。Palaceという言葉以外共通の言葉はなかった。やっぱり……。さらに、親父に4000パキスタンルピー払ったことを思いだす。4000パキスタンルピーで同意したが、ガソリンスタンドで1000ルピーをすでに払っていた。最後に3000パキスタンルピー(約2700円)払えばよかったはず。1000ルピー多く払ってしまった……。高いチップと授業料と考えるしかなかった。

夜になってさすがに腹が減ってきた。ポテトチップを食べただけだった。外は真っ暗であまり遠くに行けない。ペシャワールはハンバーグが有名らしいが、そんな店は見当たらない。近くに入った店に入ってもなにがなんだかわからない。いわれるがままに出てきたものを食べる。

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ちょっと味が薄かった。ヨーグルトはすっぱすぎてダメ。スプライト込みで290パキスタンルピー(約261円)

5時起床。荷物をまとめチェックアウト。まだ暗闇の中、大通りまで歩き車を探す。10分もしないで見覚えのあるバスターミナルに着く。ガソリンスタンドに机を出しているチケット売り場だ。ラホール行きは7時とのこと。やはり親父のいうことはあてにならなかった。

7時ちょうどにバスは出発。乗客は3人ほど。10分ほど走って止まったところから3,4人乗りこむ。乗客が少なくても定刻通りに走るバスはありがたい。

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ペシャワールからラホールへ。このバスで乗客は10人以下。

ドライブインで休憩し、バスは13時にラホールへ到着。2週間前に見た風景だ。

客引きに囲まれる。ボーダーまで3000パキスタンルピー(約2700円)という。来たときは1500パキスタンルピー(約1350円)だったので、値下げ交渉。しかし、1600パキスタンルピー(約1440円)までしか下がらず。乗らずにいると笑いながらバックを奪い去り車の中に入れ、私の体も車の中へ。

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囲んできた集団(笑)

うっすらと国旗が見えてきた。国境だ。途中、なんどかパスポートの提示を求められ、ゲート近くまで行く。車はここまでだ、と警備兵に言われ車を下り、運転手に1600パキスタンルピーを渡す。指示されるがままに別の車両に乗り換えると、乗っていた男が両替を誘ってきた。パキスタンルピーをインドルピーへ。

出国はちょっとトラブった。私のインドビザはe-visaと呼ばれるもので、事前にネットで申請し空港で受領、パスポートにスタンプが押されたものだった。パキスタンイミグレはこれに疑問を呈し

「このビザが本物かどうか、スタンプだからわからない。(スタンプだと簡単に偽造できる?)ここでお前はパキスタンビザは使い切る。インドに入国できなかった場合、パキスタンに戻れないから、お前も我々も非常に困ったことになる。お前の出国は認められない」

といってきた。

パスポートは返ってこない……。袖の下の請求?しばらくすると白人のカップルがやってきた。イタリア人だという。彼らはバイクで旅行していた。バイクの置き場のことなどイミグレ職員と話し始めると、窓口を空けるように促され、イタリア人に譲った。

イタリア人の出国手続きが終わると、再び呼ばれる。先ほどのような拒否姿勢はなく、ごく普通に出国手続きが終わった。よくわからない国境だった。ようやくパキスタンを脱出できた。

※ ペシャワールの宿:1泊目はEmaraat Hotel。帰国後地図で調べると旧市街の奥の方に位置している。ホテル予約サイトにも載っている。しかし、日程をいつにしても満室の表示(Agoda)。営業していないのか、外国人を泊めたくないのか。今もってホテル閉鎖の真実は不明。2泊目の宿はバスターミナルと道路を挟んだ向かいのエリアにあった。2000パキスタンルピー(約1800円)。日中でも部屋で水浴びをしている音や話し声でうるさい。外の表示はウルドゥー語のみ。パスポートのコピーを取られたから、外国人が泊まることもあるのだろう。トイレ以外は自分が泊る宿泊施設として十分だった。ペシャワールも外国人が泊まれるホテルは限られている。

www.emaraathotel.com.pk

※ ペシャワールの雰囲気:北部とは全く違う。外国人が少ないので目立つ。遠慮ない視線を浴びせられ、ひとりで気後れしてしまった。しかし離れてしまうと、あの雰囲気をまた感じたいと思っている自分がいる。

※ カイバル峠:行くときは本当にビビっていたが、行ってみると拍子抜け。日中であれば襲われる心配はない。車両の往来が激しく、それどころではないだろう。展望台のようなところがある。映像はYoutubeにある。たどり着けなかったことが悔やまれる。

※ 両替:インド側よりパキスタン側のほうがいいといわれている。このときは1パキスタンルピー➡1.65インドルピーだった。

※ アフガニスタン:ビザが必要だが、アフガニスタン領事館では日本大使館からのレターを必要としているため、観光ビザは取れない。他国ではそういう方針は聞かないので、観光ビザで入っている旅行者もいるはず。(英語サイト調べるほどできないので)タリバンに仏像を破壊されたバーミヤンで、日本人女性がゲストハウスを経営している。

インド横断とカラコルムハイウェイ~ペシャワール(3)

カイバル峠へ向けて出発。ドライバーの親父は典型的なパシュトゥーン人の容姿と身なり。立派な髭で私より年上と思うが……。英語はあまりできそうもない。

昨夜は暗くて見えなかった街並みも、今日ははっきりと見ることができた。バンコク並みの渋滞、秩序のない交通ルール、古びたビル、物乞い……。女性の服装も違う。フンザにはほとんどいなかったブルカを身に着けた女性ばかり。ほかのパキスタンの街とはちょっと違うといわれていることがよくわかる。

30分ほど渋滞の中を走ると、ようやく道が空いてきた。道路沿いにバラックが延々と軒を連ねているのが目につく。家畜がおり、野菜や果物を売っているテントもある。どことなく殺伐とした空気が漂っている。これがアフガニスタン難民キャンプなのだろうか……。

「さあ、ここがカイバル峠だ」

石でできたゲートの前で親父がいった。どうみても峠じゃない……。

ここはJamrudという街で、この街がどうやらカイバル峠の入り口にあたるらしい。

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Jamrudにあるゲート

「No,No. Pass Pass , Border , Afganistan」

わかる単語でドライバーに目的地を伝える。

「ああ、あそこかあ。そこに行くには別料金だ、いいな?」

ゆっくりと金額を伝える親父、もしかしたら英語がわかっている?

実はバスターミナルで交渉した額は、聞いていた額よりもはるかに安かった。なにか理由があると思っていたが、これならわかる。親父の言った額は聞いていた額より安かった(教えてくれた人は護衛も一緒だったかもしれない)ので、すぐにOKした。

親父は再び車を走らせ始めると、ガソリンスタンドへ入った。

「あそこまで行くなら、ガソリンが足りないから、先に少し金を払ってくれないか」

1000パキスタンルピー(約900円)ほど親父に渡す。親父は500パキスタンルピー(約450円)ほどガソリンを入れたようだ。もちろん釣りは返ってこない。

この辺りから「トライバルテリトリー」と呼ばれるエリアに入る。パキスタン国内でありながら、国家の法の外にあり、事実上多部族が支配しているエリアである。かつてはこの地域に入るにも、許可証や護衛をつけることが義務つけられていると聞いていた。来てみると、チェックポストなどなく、拍子抜け。車は砂漠の中九十九折の道を駆け上がっていく。しばらくすると、過積載でのろのろと登っていくトラックを追い抜き始めた。

「あれはアフガニスタンへ行くのか?」

「そうだ」

パキスタンアフガニスタンの間の物流はかなり盛んなようだ。

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過積載のトラックが並ぶ

過積載のトラックが列をなしている。渋滞だ。車列を無視し、追い越し車線を走っていく。途中いくつかの城塞、フォートが目に入った。人が歩いている。イメージにあった閉鎖された空間とは程遠い、ごく普通の辺境の街だった。これだけ交通量が多く、人も歩いているのなら襲撃されることもなかろう。車が進むにつれ、緊張がほぐれてきた。

線路が目に入る。かつてこの地には蒸気機関車が走っていたらしい。『地球の歩き方の最新版(2007-8)』に「蒸気機関車に乗ってハイバル峠へ」なんて記事も掲載されている。このころにはすでにレギュラー運行されていなかったようだ。険しい岩山を削って造られた線路やトンネルを、蒸気機関車が走っている姿を見たかった。

大きい集落に入った。Landi Kotalと書いてある。親父は道を探しながら車を進める。またトラックが列をなしている。

「外国人はこの辺りまでだろう」

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車を止めた駐車場。ショッピングモール並みに広かった。

辺りは広く道路のわきにはタイのショッピングモール並みの駐車場があった。そこに車を入れ少し散策。トラックが長蛇の列をなしている。税関検査?これじゃあ1日以上待たされるだろう……。両国を行き来していると思われる人でごった返していた。ゲートがあり、勝手にこれ以上は行けないと判断し、引き返す。現在、日本人はアフガニスタンのビザを取ることができない。観光ビザの申請には日本大使館のレターが必要で、当然日本大使館は発行していない。ただ、他国の旅行者は観光ビザで入国している。ここもどこかイミグレーションがあるはず(両国民は行き来しているのだから)だが、見つけることができなかった。(Google mapにはある)

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ここまでといわれたところ。よく見るとイミグレーションの表示があった。

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カオスに負けてこの程度の写真しか撮れなかった

数か月前に行った方から展望台で撮ったという写真を見せてもらっていた。スマホを操作してもその写真が出てこない。親父に説明できない。私がイラつき始めたのを見て、ほかの人を呼ぶ。英語できる人いないかあ~と言ってたらしい。食事中の男のところへ連れていかれ、英語で言えと促される。

景色のいいところへ行きたいとジェスチャ―付きで説明した。親父もわかったような顔をして聞いていたが、やはり場所の特定は難しいようだった。むさ苦しい男に囲まれ、雰囲気に飲まれていた。ほとんど滞在せずこの地を去る。アフガニスタンの紙幣らしいものがあったら、手に入れたかった。

帰り道、なかなかイメージしていた風景に出会えない。親父もここはどうだ?というが、イメージが違う。適当なところで記念撮影。今回の数少ない自分が写っている写真だ。

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ここで記念撮影をした。

九十九折を下り、石でできたゲートのところまで着いた。なにもしていないのに疲れていた。親父が少し休ませてくれというので車を下り休憩。

横になりたかったので、教えてもらったホテルへ向かった。