Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

2020年度行政書士試験合格発表

2020年11月に受験した行政書士試験の結果が、

2021年1月27日9時に発表されました。


受験申込者:54847人

受験者   :41681人

合格者   :4470人

合格率   :10.7%


残念ながら番号は見つかりませんでした。


指導校に成績を提出した受験生の記述式以外を除いた平均点が160点弱。

合格ラインが180点で変更なし。

記述式以外で平均以上取っていて、

60点満点の記述式で20点強取れれば、かなりの確率で合格できることになります。

しかし合格率は10.7%。

記述式の採点がかなり厳しかったことがうかがえますね。

問45、解答例は第三者詐欺ですね。錯誤はダメ?

問44、組合以外を正しく書けた人は多かったはず。


私はボーダーってほどじゃなかったのであまり関係ありませんが、

あと数点で涙を流した方が例年より多いと思われます。

やはり記述問題は、合格率の調整弁だよなあ、と確信できました。


記述以外の240点で180点を超えるスコアを取ることが最善ですが

そういう受験生は多くないのがこの試験。

SNSでは散見されるのですが、稀有な例としか思えないですよ)


そんなわけで2020年度の受験は、正式に終わりました。


リベンジするかどうか、についてですが

現在、ある通信講座を受講しております。

まだモチベーションは2020年度ほどではありませんが

少しずつ回復しています。

もう結果も出てしまったので、気持ちを入れ替えないとなりませんね。

若干言い訳がましいのですが、

2020年は10月初旬ころにピークが来ていた気がします。

このころが最もテンションが高かった。

本試験1週間前に数日寝込むとか、

11月に入るとメンタル的にも厳しいところがありました。

2021年は少しいい意味で気楽に

抜くところは抜いて、力を入れるところは入れる。

メリハリをつけた学習、生活を継続していきたいと思います。


今後は不定期に、学習記録をアップしていく予定です。


最後になりましたが、合格者のみなさま、おめでとうございます。

クラスのみなさんはどうだったのかな?

1年遅れで仲間に入れていただきますので、お待ちください。

【Book Review】『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 』(河野啓)

ニートアルピニスト」として売り出された栗城史多氏。「夢を共有する」とエベレスト登山の実況生中継を試み、何度も登頂を目指したものの、結果命を落とした。

多少なりとも山岳界を知るものからすれば、山を冒とくしているとしか思えない登山に対する向かい方。正直、彼が嫌いだ。実際この本を読んで、嫌いだったことに間違いはなかったと確信。

この作品は栗城氏の周囲をしっかりと取材している。取材拒否をされた方も多かったが、概ね、自分が思っていたことが書かれているような印象。

あえていえば、やはりこの本を書く必要はあったのかな?という疑問。読んでいていうのもなんだが、死者に鞭を打つ内容であることは間違いない。彼の周囲はみんな知っていること……それを世間に知らしめることに意味があったのかなと。

自分が唯一誤解していたこと。彼は周囲に持ち上げられて、止めるに止められなくなっていたと思っていた。そうではなかった。周囲は彼を止めたかったし、止めようとした。彼は止まらず、暴走した。彼にとっては暴走ではないのかも知ればないけれど、あれは暴走、または自滅への道としか思えない。そこは取材拒否された方々が一番よくわかっているのではないだろうか?

知ってよかったのかどうか、評価が微妙な1冊。

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寒くなりました

めっきり冷え込んだ日が続いています。

 

仕事は1年中温度が一定の職場なのですが

たまに異常に温度が低い場所に行くこともあったり、

氷水を扱うこともある。

そんな場所に行ったり、作業をしたりすると思いだすのは

ネパールでトレッキングしていたり

ラダック/ザンスカールを旅していた日々。

 

朝起きて最初に水を汲みに行く。

ストーブの周りを囲んで、炎の暖かさを実感する。

 

いつになったら、あのような時間の使い方ができるのかな……。

 

そんなことを思う日本の冬。

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写真はホームステイ先での1枚。

私の隣に写っている老婆が1か月前に亡くなった。

言葉は通じないけれど、日本からわざわざ来てくれた客と

「ありがとうありがとう」とマニ車を回していたことが思い出される。

 

 

温度差

さて、何か月ぶりの書き込みだろうか。

昨年来、ある資格試験を受けている。2回目の試験を今日終えた。結果は……。

この試験、かつては気軽に取れる資格として有名だったらしいが、近年は難化しているようだ。2年弱勉強しているが、正直、かなり難しいと思っている。(受かる人は受かるんだけど)ただ、私がこの資格のために勉強している話をすると、「あれって簡単に取れるんでしょう」「そんなに勉強しなくても取れるでしょう」と口にする人がいる。相変わらず昔のイメージを持っている人もいるようだ。2年目の今年、去年とは学校を変えた。この辺はいずれ詳しく記録を残しておこう(公開するかは別にして)と思っている。最初のころ、クラスメイトのレベルの高さに驚いたものだった。1年学習して土俵に立てるくらいにはなったと思っていた私が、あれなんだっけ?って思うようなことを「すらすら」と答える。それもひとりやふたりではない。ここにいるってことは、少なくても前回の試験は受からなかった方たち(初心者だったらなおさら恐ろしい。実際経験者ばかりだった)だ。それでいてあれだけ答えられる。あの資格を簡単に取れると思っている人に見せたい光景だ。

コロナ禍。マスク警察なんて言葉もあるように、他人に対してマスクの着用を強制させたい人もいる。人ごみにいる人を嫌悪する人も多い。マスクをせずに近寄ることを過剰(私基準)なまでに避ける人もいる。先に書いた資格学校のある講師は、学校は講義を休講しないことに不満だったらしく、「講義に来ないでください」と公言している人もいた。一方で旅行することに全く抵抗なく、マスクをせずに出歩くことが当たり前のように考えている人もいる。(最近も餃子屋で話題を提供した人もいるし)

人によって受け止め方はそれぞれ。温度差があるんだなあと。いや、当たり前なんだけど、自分の価値観以外認めない人、それを受け入れるかどうかではなく、存在すら認めない人が日本は増えてきたなあ、と思うのであった。

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近況報告

さて、約1年ぶりの更新。

この1年なにをやっていたかというと、2019年1月から新しい仕事を始めると同時に、とある資格試験のための学校に週1日通っていた。2019年はそちらに専念し、旅行も自粛していた。

1月に残念な結果が判明し、もう1年勉強を続けることに決めた。

このブログを始めた目的は

・タイで働いていたときのことを、帰国した客観的な視点で書く

・旅行の備忘録

のふたつであった。

現採残酷日記というタグにつづっているタイで働いていたときのネタは、PCに下書きを数本してあったのだが、ミスで消えてしまった。書き直す気力が沸かず、今に至っている。

通常のつぶやきはFBがメインとなっているが、さて、今後どのように運営していくか。受験生の中には勉強の進捗状況や知識をブログでつづっている人もいるが、自分には向いていない。

いずれにせよ、今年は復活させようと思う次第である。

インドパキスタン情勢から思ったこと

インドとパキスタンの関係が悪化している。昨年、両国を旅したものとしては気になるところである。

この両国、第三国人が通過できる陸路国境はひとつだけ、ワガーといわれるところにある。この国境、両国の関係もあって、出入国時のチェックが厳しかった。インド側では出入国ともバッグを地面に置くように指示をされ、鎖につながれた犬が現れた。麻薬犬による荷物チェックである。もちろん、ドラック系を嗜まない私は心配する必要はないのだが、だれかに仕込まれて……なんてことを考えると、やはり不安な気持ちに襲われる。

麻薬犬といえば、ある友人の話。インドを2か月ほど旅行していた。インドのある観光地で長い間、そちら系を楽しんでから日本へ帰国。成田に到着し、ターンテーブルから荷物が出てくるのを待っていても、なかなか出てこない。荷物が出てきて、そのままカスタムチェックへ行くと「麻薬犬がこのバッグに反応しましたので、荷物を調べさせていただきます」と告げられ、徹底的に調べられたとのこと。長い間楽しんでいて、バッグに匂いが染みついてしまったらしい。あのときは焦りました……と友人はこぼしていた。

入国時のひやひやといえば、タイで出入国を繰り返していた時期のこと。オーバーステイはしていなかったが、ノービザまたは観光ビザで出入国を繰り返していると、係官の印象はよくない。いつ入国拒否をされるか、いつもひやひやしていた。まあ、実際にノンイミグラントビザで出入国を繰り返していたのは1年弱だったのだけど。

そういえば、転職の際のギャップで1か月ほどノンイミグラントビザが取れないときがあった。前職を退職し、一度ラオスへ出国、転職先の入社まで1か月ほどあったので、その間はノービザで乗り切ろうと思っていたが、ラオスからタイ入国の時に引っかかった。ノーンカーイのイミグレで「ビエンチャンへ戻ってビザを取ってこい!」と告げられた。異議申し立てすると、別室に連れていかれる。別室の上席?係官に理由を説明(タイ語)し、なんとか30日の入国許可が下りたのであった。

インドパキスタン情勢を考えている間に、こんなことを思い出した次第である。

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インドパキスタン国境

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パキスタンにいた兵士

このボーダー、毎日夕方になるとフラッグセレモニーといわれるイベントが行われている。両国の威信をかけた真剣勝負?時間の都合で見られなかったのは心残りである。

資格試験を目指した人たち

新卒で入った会社では、働きながら資格試験を目指していた人、挫折して社員になった人を多く見てきた。

最初の配属先は社員よりもパートナーと呼ばれるアルバイトの方が多かった。彼らのなかには司法試験、公認会計士司法書士を目指しながら正社員の道を選ばず、アルバイトで生活をしている方がなん人もいた。彼らはいわゆる難関校(早慶上智、MARCH)を卒業していた。自分は大学を出てそのまま入社してきた若造であり、彼らのほうが年上かつ業務知識(業務上必要な法律や会計知識)が豊富であり、色々と教わったものだった。自分が在職中に彼らが資格を取得することはなく、タイに住み始めてから連絡を取ることもなく、その後の消息は不明。一番お世話になった方は40半ばで病に倒れ、亡くなっていることは親族から連絡があって知っている。

在職時の管理職にも似たような方が2人いた。2人とも大学を卒業後、司法試験を目指しながら断念し、初めて就職した会社が勤務先だった。彼らはその会社で実績を上げ、課長となっていた。

ふと思い出したので書いた次第である。