Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(3)

宿に戻り、夕食。どんな食材があるか尋ねるとオクラがあるというので、オクラのカレーになった。もちろんチャパティチャパティは見るのも嫌になってきた。

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翌朝、運よくお湯が出たので、久々にシャワーを浴びる。水量も申し分なく、しっかりと身体を洗うことができた。すっきりした気分でチャイを一杯。

当初パス―に2泊してカリマバードへ行こうと思っていた。しかし、移動するのが億劫になり、もう1泊するか迷いが生じてきた。バンコクを出発する日は変更可能だが、変更するとますますだらだらしそうな気がする。変更手続きもタイ航空の事務所で行うので、予約している前日までに事務所のある土地(コルカタ、デリー、イスラマバードあたりか)には着かなければならない。

チャイを飲んで、宿を出ると人が手を振っている姿が目に入った。タシュクルガンからスストまで一緒だったフランス人カップルだった。今朝スストから来て、向かいの宿に荷を置いたところだという。彼らと村を歩き始め、もう1泊することに決めた。

フランス人と川に向かって歩き始める。

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パキスタンの山はネパールと比べて、尾根が鋭いところが多い。

彼らはトレッキングをしにパキスタンへ来たと話していた。恐らく30代、体力にも自信があるのか、道らしくないところもガンガン進み、着いていくのが精一杯。一度別れたが川岸に座って景色を眺めていたので、隣に座らせてもらい、ぼーっと過ごす。

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このあと、宿の近くまで戻り、フランス人カップルと別れた。

 

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(2)

歩いてきた道路沿いではなく、川に向かって歩き始めた。歩き始めて、ようやくパス―という村は川沿いに広がっている村ということがわかる。

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石を積み重ねて道路ができている。

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石で敷地を明確に分けているようだ。

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建築工事中。休憩しているところを一枚。

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リンゴ?杏?

しばらく歩くと人が集まっている気配。中を覗くと

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この村にこんなに人がいるのか?と思うくらい大勢の人が集まっていた。日本のNGOがモバイルライブラリー(移動図書館)を寄贈したらしく、その譲渡式のようなイベントが開かれていた。もちろん日本人も10名前後見受けられたが、NGOで働く崇高な思想の持ち主は、私のような風貌の日本人に声をかけることもなく、胡散臭い目で見られていたので、特に会話を交わすことなく、ただ式の様子を眺めていた。

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ああ、自分がフンザに勝手に思っていたイメージの子供たち。顔つきが街のパキスタン人と明らかに違う。

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頬にパキスタンと日本の国旗。

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英語でなにやら話していた。私なんぞより立派な英語。f:id:pumpuikun:20181111152223j:plain

子供だけではなく、大人も出席していた。

小一時間ほどここにいたものの、終わる気配もないため、一度宿へ戻ることにした。

宿の向かいにレストランと称する店があった。パキスタン人数名がいたが、やはり食事することもなくチャイのみ。私もチャイでひと休み。この店のほうが宿よりもわずかに安い。2杯ほど飲んでから宿に帰る。

少し休んだあと、今度は北方面に向かって歩き始める。川沿いは河原になっているため、道路(カラコルムハイウェイ)沿いに歩く。

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村の南端にあるゲストハウスの宣伝。ハイウェイ沿いの岩に描かれている。

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宿があったが、開いている気配なし。

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道路が少し高いところからだとこのように見える。

再び宿の方へ戻り、村の中を散策。

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子供たちが走ってきた。

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男は写真が好き。女性はトラブルを恐れ、撮らないようにしていた。ちょっと気にしすぎだったかも。

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古タイヤを使って遊んでいる子供たち。

ある子供がうちに来てチャイでも飲まない?と誘ってきた。小学生低学年くらいの英語は非常にわかりやすい。暇なのでのこのこと着いていった。

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自家製のローカルブレッドとバター、そしてチャイ。

言葉が通じずあまり話すことができなかったが、こういう気持ちは本当にうれしい。

インド横断とカラコルムハイウェイ~パス―(1)

往路でアーリアバードからソストへ行く途中、なんとなくいい雰囲気の村があった。ソストで同行者が「地球の歩き方パキスタン編」を持っているというので見せてもらうと、どうやらそれはパス―という村と思われた。ハイウェイ沿いに数戸の民家が見えただけだが、氷河のような氷の塊が見えたり、遠くに見える山々がすばらしかった。白人のカップルが歩いている姿も見られた。このときはカシュガル以降どういうルートを通るか決めていなかったが、もしこのルートを通るならこの村に数泊滞在しようと決めていた。

カシュガルにいる間にネットでこの村のことを調べると、宿に関してはPassu Innというところの情報が多かった。これだけ多くの人が止まっているのなら外れってこともないだろうと、ドライバーに宿の名前をいって目の前で止めてもらったのだった。

最初の印象は決していいものでなかった。部屋を見せてもらい部屋代を聞くと2000ルピーという。ネットでは1500ルピーという声が多かったので1500ルピーの部屋はないかと尋ねると、空いていないという。まあいいか、とレセプションに戻り2000ルピー払うと500ルピーを返してくる。なにこれ?と聞くと、さっきのは間違いだった。1500ルピーでいいよという。このいい加減さ、ここはインドかと……。

お湯は朝だけ出るというのでシャワーを浴びず部屋で過ごす。

この村はハイウェイからはほとんど民家が見えないが、道沿いに川が流れており、道と川の間に集落が固まっているようだった。もう片側は斜面となっているところが多い。初日はそんなこともわからなかったので、道路沿いを歩くもレストランらしきものはない。宿に戻りメニューを聞くも、材料がないのでほとんど作れないという。あるものでなにか食べさせてくれというと、エッグカレーとチャパティが出てきた。

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シーズンを過ぎているのか、外国人はひとりも見ていない。宿に泊まっているのはパキスタン人観光客だけだった。

朝を迎える。なにはともあれ、シャワーだ。期待していなかったが、やはりお湯は出なかった。この村にいる間は着替えることもないな、と覚悟を決めた。

食堂でチャイだけ飲み、散策に出る。道路沿いに南下。

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Mizushima Restaurantって日本語?

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ネットでは吊り橋と氷河がアップされていることが多い。吊り橋はこの先にあることが分かったけど、遠くから見る限り渡りたくないものだったので行かなかった。って、あああれが吊り橋だったのかあ、とパス―を出てから気がついたのが実話。

宿から20分ほど歩くともうこの先しばらく民家はなさそうだった。

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高台に登ってみる。パキスタン人観光客もあとから登ってきた。

このあと同じ道で帰るのもつまらないので、川沿いに歩いて戻ることにした。

 

遠近両用メガネ

f:id:pumpuikun:20181003133652j:plain老眼を意識して7,8年経っただろうか……。

以前遠近両用メガネに挑戦したが、遠くを見ることへの違和感が拭えきれず、使わなくなっている。特にタイにいたころは車の運転があり、遠くが見えずらいという恐怖感を払拭できなかった。普段はふつうのメガネをかけ、PCに向かうときはいわゆる老眼鏡をかけ、スマホタブレットをいじるときは、長時間でないかぎり、メガネを外した状態というのがここ数年続いている。

メガネを外した状態というのが、他人から見ると気になるらしい。食事をするとき、どうしても焦点が合わないので、メガネを外していると、一緒に食べている人から???とされることが、帰国してから増えてきた。

そこで昨日から再び遠近両用メガネに挑戦中。今のところ、以前ほど違和感がない。車の運転がないというのが一番大きいと思う。

遠近両用メガネの大先輩に、遠近両用レンズは値段が高いうえ、度の変更も頻繁に必要となって、費用がかさみますよ~といわれているが、さてどうなることやら……。

 

インド横断とカラコルムハイウェイ~ようやくパキスタン

クンジュラブ峠は4800mほどの峠。中国側の出入国手続きはタシュクルガンで行うが、パキスタンから中国へ入るときは、この峠にある税関で念入りな荷物検査が行われた。手順としては

・ゲートをくぐると、何台もの車両が税関検査を待っており、指示があるまで車から降りないようにとの指示を受ける。

・指示を受けて車を下り、車の上に積んである荷物を下ろして検査場へ進む。

・金属探知機にバッグを通し、靴を脱いで金属探知機をくぐる。

・ボディ検査。

・金属探知機をくぐらせたバッグを開けさせられ、荷物検査。

(以下私の場合)

・デジカメの画像を1枚1枚チェック、iPadも同様。幸い、削除された写真はなかった。

・新品のSDカードのパッケージを開けさせられた。SDカードを小型の機械に差し込まれた。なにをしていたのか、今でもわかっていない。

といったところだ。

金属探知機をくぐってから20分ほどかかっただろうか。ここまで入念に荷物検査をされたのは初めてのこと。パキスタン人は何度も来ているので慣れているようだ。税関職員はパキスタン人に対してかなり高圧的な態度。車の中では陽気だったパキスタン人も、このときばかりは神妙な顔で素直に従っていた。その後、同じ会社のもう一台の乗客の検査が終わるまで、車の中で待機することを命じられ、トイレに行くことさえ許されなかった。結局車を停止させられてから、出発まで2時間以上この地にいたことになる。ここは峠で、この辺りで最も標高の高いところである。去年行ったラダックで5300mの峠を越えているが、こんなに長時間滞在したわけではない。息使いが荒くなり、頭も痛くなり始めていた。うとうととしている間にようやく出発。少し離れたところでドライバーが車を止めてくれた。私を含めて乗客は急いで用をたす。後ろから来た職員にドライバーは叱られていた。こんなところで止めるんじゃないと……。

こんなことがあったので、クンジュラブ峠を越えるのは、いやだった。このあとまた検査で何時間待たされるんだ、しかも今回のほうが大量の荷物がある、どれだけかかるんだ、カシュガルで撮った写真、削除されないか……。

無邪気なイミグレ職員も、同じ中国人がいる現場に来ると顔つきが変わってきた。彼が車から下りると、乗客も続いて車を下りた。イミグレ職員は特に声をかけることもなく、事務所に向かっていった。その場にいた職員から、一列に並ぶように指示を受ける。パスポートチェックが始まった。チェックを終え車に乗り込む。来るときに検査を受けた場所へ車は進んだ。ああ、ここで下りてまたチェックかあ……。憂鬱な気持ちでいると車は検査場を通過していった。

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検査場外観。車の中から撮った写真。見つかれば削除対象。

なんと中国出国時はノーチェックだった。タシュクルガンでは金属探知機を通したが、特に引っかからなかったせいか、かばんを開けて検査されることはなかった。もちろん数多くの荷物を持ち込んだパキスタン人は、相当厳しいチェックを受けていたのは知っている(だから長い時間待たされた)。力が抜けてしまった。もっとカシュガルで写真を撮っておけばよかったと、後悔している。

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「This is Pakistan, No China !!! 」

車内で歓声が上がった。

パキスタン領に入ると、すぐに展望台がある。パキスタン人観光客はここで記念撮影をするのだが、我がバスは少しでも早くスストに到着したいのでノンストップ。往路も無視して通過してしまっているので残念だ。往路ではプロのカメラマンに峠で記念撮影してもらう約束をしていたのだった……。f:id:pumpuikun:20181004190840j:plain

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峠周辺は九折の道が続く。

バスはスピードを上げ、スストに到着。イミグレで入国手続き。続いて税関検査のはずだが、職員が「外国人はいいからもう行け」とノーチェックでイミグレを出た。

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スストにあるイミグレーション。

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ススト→タシュクルガンのハイエース

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タシュクルガン行きチケット売り場内

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スストのメインストリート=カラコルムハイウエイ

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スストで食べたチャウ麺。なんか違う……。

フランス人はスストに泊まるという。私はパス―まで行きたかった。声をかけてきた男は1500ルピーで行くという。高い、というとバスはそこから出ているよ、と教えてくれた。こういうところはインドと違って旅人にやさしい。

外に止まっているハイエースは乗客も少なかった。パキスタンのバスはクレイジーエクスプレスといったのはだれだったか……。とにかく飛ばす。パス―に入るが、目的の宿がわからない。「Passu Innの前で止めろ!」と大声で叫ぶと、乗客がドライバーに伝えてくれた。スピードを落としながらその宿を探し、Pasuu Innの前で下りることができた。

※ 途中国立公園入場料として50元(もしくは800パキスタンルピー、8米ドル)を払う。外国人登録証(北部地域に入るとこれを発行されるようだ。来るときはチラースで発行)もここで発行された。写真撮影もあるが、外国人登録証に写真はない。のちにギルギット空港で回収された。

※ イミグレで声をかけてきた男と両替。1元=17.5パキスタンルピー。悪くないと思う。

※ ススト→パス―のハイエースは150パキスタンルピー(約135円)。

※ スストは宿が多い。タシュクルガン行バスチケットを買うときに声をかけてきた男に連れていかれた宿で1泊。3000パキスタンルピー(3人部屋。約2700円)。しかし、この宿はお勧めできない。朝6時ころ、天井から大量の水が降ってきた。雨漏りなんてレベルではなく、バケツをひっくり返したような水。隣のベッドで寝ていた同行者はびしょ濡れに。私も被害を受けたが、彼と比べると微々たるものだった。のちにパス―で会ったフランス人も、行きで一緒だった日本人もスストの宿は悪くないといっていたので、運が悪かったのだろう。

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大雨の降った宿です。

※ カシュガルで撮っておきたかった写真。

 ・商店の鉄格子

 ・棍棒を持った自警団

 ・黒服の公安(警察)

 ・各所にある金属探知機

一枚一枚チェックされると消去されると思い、最初から撮らなかった。

インド横断とカラコルムハイウェイ~クンジュラブ峠へ

気がつくと22時過ぎ。今から知らない街をひとりで歩く気力はない。明日は新疆時間8時からパキスタン行きのチケットが販売されると聞いていたので、7時半に目覚ましをセット、電気を消して横になる。

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タシュクルガンの街並み

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往路で食べた包子

 

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写真は青年旅舎の入り口。ドミトリーで60元(約990円)だった。

タシュクルガンは人工的な街という感じだった。カシュガル同様、監視体制が厳しい。タジク人の街なので、漢人に交じって、顔立ちの違う人々が目につく。とりわけ女性は帽子をかぶっている人も多い。ある友人はこの街に1週間ほど滞在していたことがあるという。近くをトレッキングしていたらしい。ガイドブックを見ると、バザールや石頭城といったところが観光スポットに値する。

パキスタン行きのチケットは交通飯店の横で売られていた。売り場と聞いていた場所をうろちょろしていると、白人のカップルも場所を探していた。「パキスタンか?」と声をかけられ、建物に中に連れて行かれ購入。225元(約3213円)。白人のカップルはフランス人だそうだ。多少中国語ができるらしく「彼らの言ってることわかる?わからなかったら聞いてね」と声をかけてもらった。バスターミナルで会いましょうといって、その場を離れる。

出発時間は北京時間の10時半という。急いで交通飯店に戻る。荷物をまとめてチェックアウト。バスターミナルは交通飯店から1kmほど離れたところにある。タクシーなら5元(約83円)、歩いたら15分ほど。ここはタクシーで。f:id:pumpuikun:20181002201810j:plain

バスターミナルに着くとだれもいなかった……。まだ入ることもできない。出発場所、間違えたか?と焦り始める。呆然としていると、中国人観光客がやってきた。ただ散歩しているだけで荷物はない。30分ほどひとりで待っていただろうか、ようやくパキスタン人らしい集団が現れた。実際に乗る人がどれだけいるかわからない。しかし、この荷物の量は半端じゃない。中国で仕入れたものをパキスタンで売る、彼らは運び屋のようだった。パキスタン人のひとりに声をかけられた。往路で一緒の車だったらしい。「あれ、一緒にいた人は?」と聞かれたから間違いないだろう。しばらくしてフランス人のカップルもやってきた。彼らは歩いてきたようだ。

入り口が開くとパキスタン人が殺到。大量の荷物が金属探知機を通過するまで中に入れず。ここを通過すると出国手続き。入国時はかなり念入りにチェックされたが、出国時はあっさりとしたもの。その後、もう一度金属探知機を通させられ、バス乗り場へ。パキスタン人の荷物をすべてチェックし終わるまで、ずっと待っていた。この日はパキスタン入国だけではなく、パス―という村まで行くつもりだった。往路ではクンジュラブ峠で中国のカスタムチェックがあり、ここで2時間以上待機させられた嫌な思い出があった。4500mの高地で2時間以上なにもせず待っていたのは、今回一番きつい時間だったかもしれない。f:id:pumpuikun:20181003233303j:plain

ようやく出発できると荷物をバス?に積み込むようにといわれる。しかし再び出国者の一部に書類の不備があったらしく、さらに遅れる様子。

結局新疆時間で12時過ぎの出発。10時半というのはいったい……。

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このタイプの車2台でスストへ向かう。

日本人1名、フランス人2名、漢人1名、あとはパキスタン人。f:id:pumpuikun:20181003151215j:plain

しばらくこのような風景が続く。

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ドライブインで休憩。カップラーメンを買っている人が多かった。このあと車内ににおいが充満。美味そうだった……。

車内には漢人のイミグレ職員がひとり乗っていた。どうやらクンジュラブ峠の事務所へ行くらしい。まだあどけない田舎の青年といった感じの職員は、アプリを使って私に日本はどこか?と聞いて来たり、顔なじみらしいパキスタン人の乗客と漫才のようなやり取りをするなど(言葉が全くわからない)、中国の役人らしからぬ雰囲気で車内を和まさせてくれていた。

※ タシュクルガン発ススト行きのバスは、北京時間10時より交通飯店横でチケットが販売される。出発はイミグレにあるバスターミナル。交通飯店や青年旅舎のありエリアからタクシーもしくは歩きで。乗客数によって車両数も変わるようだ。この日は2台で30人弱。

インド横断とカラコルムハイウェイ~タシュクルガンへ

新疆時間というものがある。カシュガルは公式には北京時間が運用されているが、あまりにも離れているため、2時間遅い時間、新疆時間で住民は生活している。北京時間で8時は新疆時間で6時。まだ真っ暗だ。

国境の街、タシュクルガンまで移動時間は5,6時間。だが、往路ではスストでイミグレーション(もちろんパキスタン)がストライキを起こして、出発が遅れてしまった。タシュクルガンに着いた頃は真っ暗で、ホテル探しに苦労したという苦い思い出がある。往路は中国語が堪能な同行者がいたが、今回はひとり。とにかく早くタシュクルガンに着いておきたかった。

明るくなった新疆時間8時過ぎにホテルを出る。ガイドブックには国際バスターミナルからパキスタン行きのバスが出ているという情報が書かれているが、現在直行バスは走っていない。タシュクルガンまで、バスもあるようだが、シェアタクシーのほうが一般的なようだ。シェアタクシーの乗り場はバスターミナルではない。ネットでも詳しい場所を地図で表している情報は少なく、みなシェアタクシー乗り場へ行く、と書いてあるだけだった。ようやく「これをタクシーに見せて連れて行ってもらった」という情報を見つけたので、そのページをコピー。ホテルの前でタクシーが通るたびにこれを見せたが、どのドライバーも行かないという。この情報、本当に当たっているのか?と思いながら30分以上経ったころ、ようやく行くというドライバーに当たった。

ドライバーはここだといって私を下ろすと同時に「タシュクルガン行くタクシーはここでいいんだろう?」と近くにいた客引きらしい親父(ウイグル人だと思う)に確認しているようだった。ひとりの客引きが近づいてきて、ここに座っていろというので、その横でずっと座っていた。

座っていると、目の前のタクシーが何台も出発していく。予約してあったのだろうか……。親父にまだかまだかといっても、ここに座っていればいいというだけ。しばらくして旅行者らしい漢人の女性が中国語で話しかけてきた。シェアタクシーを待っているのか?と声をかけてきたようだ。だが私の横にいた客引き親父が「こいつは俺の客だ」とでもいったのだろうか、彼女はすぐにその場を去っていってしまった。その彼女もその後タクシーを見つけ出発していった。

どうやら私はこの親父の管理下に置かれているらしい。すでにタクシーは一台も止まっておらず、この日もカシュガルに泊まらなければならないのか?という嫌な予感が頭をよぎり始めた。

ようやく親父が待っていたらしいドライバーが現れ、こいつと交渉しろといってきた。漢人のこのドライバーは200元(約3300円)でいいな、といってきた。タシュクルガンの青年旅舎の掲示板の情報(もちろんタシュクルガン発カシュガル行きだが)では「シェアタクシーは120元(約1980円)から。最高でも150元(約2480円)」とあった。実は往路もタクシーが捕まらず、中国語が堪能な同行者が歩き回ってようやくカシュガルへ行くという車を見つけてくれたのだが、このときも足元を見られ200元を払っていた。これを断るとおそらく今日中にタシュクルガンへ行く車両は見つけられないと思い、やむを得ず200元で手を打った。

出発は12時近かった。客は全員漢人だった。なんとなく居心地が悪かった。

車は順調に進む。カシュガルを出ると2回検問があり、車を下ろされる。漢人は不要。私ひとり下ろされてパスポートチェックを受け、終えると先に行っている車まで歩いていく。漢人の乗客は面倒な外国人を嫌な顔をせず待っていてくれる。

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ドライブインのようなところで食事休憩。乗客がここで食べるぞ~と教えてくれた。漢人反日思想の塊と構えていたが、このあともそんなことはなかった。ちょっと漢人に対する見方が変わった。18元(約297円)。この日最初で最後の食事となる。

カシュガルを出るとしばらくは岩山ばかりの景色が続く。岩山に飽きたころ、雪に覆われた高峰が遠くに見えてくる。f:id:pumpuikun:20181001205922j:plainカシュガルから200㎞ほど離れたところにカラクリ湖がある。湖畔に住むキルギス人が羊を放牧している。私以外の乗客はこのルートを何度も通っているようで、関心がないため車を止まらずに通り過ぎていく。ゆっくりできれば、写真を撮りたかったスポット。中国人観光客でにぎわっている。

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以上、往路で撮った写真。

新疆時間17時前にタシュクルガンに到着。車は街の中に入っていった。交通飯店の前で下ろしてもらい、部屋の確認。今回は空いていた。荷物を置くとすぐに横になってしまい、食事もせずに寝てしまった。画像に含まれている可能性があるもの:寝室、室内

交通飯店。120元(約1980円)/泊。シャワートイレ付。お湯も出た。

※ カシュガルからタシュクルガンはバスもある(たぶん1日1往復)が、シェアタクシーのほうが一般的。シェアタクシーは街の西の方にたまり場がある。詳しい場所はホテルの人に聞くか、ネットで地図を探してドライバーに見せたほうがいい。定員は車両によるが、一列3人で計算。満員になるまで出発しない。タシュクルガンまで120元(訳1980円)が相場のようだが、需要と供給の関係で値段は跳ね上がることを覚悟しておいた方がいい。往復ともこの区間、中国人・パキスタン人しか見なかった。

※ タシュクルガンの宿は交通飯店と功徳賓館は外国人も泊まれる。もちろん青年旅舎もOK。往路では青年旅舎以外は満室で断られ、それ以外は外国人は泊まれないといわれた。