Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インド横断とカラコルムハイウェイ~カシュガル(番外編)

学生時代からの憧れていたカシュガルは、来る時期が遅かったようだ。

さて、この地を離れてどこへ行こうか……。カシュガルまでは同行者がいた。ここからは自分ひとりでルートを決められる。ガヤーからカシュガルまでの移動中、どこへ行こうかとずっと考えていたが、カシュガルに着いても決めかねていた。候補として次のようなものを考えていた。

1.中国国内を周り、地方都市からバンコクへ飛ぶ。

2.キルギスへ移動し、ウズベキスタンと合わせて旅行。アルマトイからバンコクへ飛ぶ。

3.南インドへ飛ぶ。南インドを周ってバンコクへ。

4.ニューデリーまで飛び、北インドを周る。

5.来たルートを引き返す。最終目的地はコルカタもしくはダッカ

中国は英語が通じず、初中国の自分には少しハードルが高い気がした。ドミトリー以外に泊まろうとすると、予算がちょっと厳しいかも。またチケットを調べると、3,4も思ったより高い。片道でも5万円以上するものがほとんどだった。2は陸路移動だから移動費はほかより安い。ただ、キルギスウズベクはしっかりと準備してから旅行したいという気持ちが強かった。移動費以外、インドやパキスタンより高そう。ちょっと懐も不安だった。

結局選んだのは5の来たときと同じルート。ギルギットからのフライトはカラコルム山脈の山並みがすばらしいと聞いていた。来るときは16時間(かなりスムーズ)だったけど、飛べば1時間ちょっと。時間短縮してペシャワールへ行き、カイバル峠まで行こう、あとは陸路でコルカタまで行ければパキスタン・インド横断もできる、という結論に達した。

大まかに日程を組むと、来るときほどではないにしろ急ぎ旅になりそうだ。

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羊肉の串焼き

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らぐ麺

新疆らしい食事をとって、明日からの移動に備えた。

 

インド横断とカラコルムハイウェイ~カシュガル(2)

翌日、空港へ向かう同行者とタクシーに乗り、エイティガール寺院の前でひとりで降りた。職人街といわれるエリアをひとりで散策。

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ザクロのジュース。1杯10元(約165円)。ちょっと高かったなあ。

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鍛冶職人。

続いて川を渡ったところにあるバザールへ。カシュガルといえばバザールというイメージだったので、楽しみにしていた。

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商店は閉まっている店も多く、期待外れ。ここも入場の際は金属探知機をくぐる。地元民(おそらくウイグル人のみ)は手荷物も検査されている。

もう一度職人街、解放北路を通り、エイティガール寺院裏のエリアへ。

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羊肉市場?

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カフェらしい。2階は旅行者がかなり入っていた。窓側は常に客がいたので、入らなかったが、だれかいたら入って休んだだろうな。

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現在地についてかなりあやふやだけど、こういった地図はあちらこちらにあった。

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街並みはいいのだけど、なにかイメージと違うなあ……。東南アジアのような活気がない。やはり政治的なものが絡んでいるのかなあ、と思いつつ帰路に着く。

インド横断とカラコルムハイウェイ~カシュガル(1)

同行者の最終目的地のトルファンまでは帰国の日程上、間に合わないと判断。カシュガルに着いた翌日、同行者のひとりは日本へ向けて出発した。今回の私があまりにもバテ気味だったのを同情してか、もうひとりの同行者が1日ほど滞在し、案内してくれることとなった。

砂漠の中のオアシス……。

出発前のカシュガルのイメージだった。行くことが決まりネットで調べると、新疆ウイグル自治区のマイナスイメージばかりが入ってくる。強制収容所、監視社会……。写真撮ったら拘束されるんじゃないか?そんなことばかりが気になっていた。

現在のカシュガルは人口64万人が暮らす街。高層ビルも数多く建っており、砂漠の中のオアシスの面影は全くなかった。ホテルなどの建物に入る前は必ず金属探知機を通過せねばならない(これはタシュクルガンで泊まった青年旅舎でも同じで、新疆ウイグル地区全体にいえることらしい)、商店は鉄格子を設置することが義務つけられる、といったところは、噂通りだった。

ホテルからタクシーに乗り、エイティガール寺院で降りた。中国語が堪能な帰国する同行者が「エイティガールでタクシーに通じましたから、ひとりで行くときは、こういってください」と親切に教えてくれた。タクシーを降り、エイティガール寺院へ。新疆最大のイスラム教寺院らしい。

 

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「中に入ります?まああまり面白くないと思いますが」

と1日残っていただくことになった同行者にいわれたが、入らずに街を歩くことにした。エイティガール寺院の裏にあたるエリアを歩き始めた。国旗を掲げている家が目立つ。忠誠の証だろうか。路上ではパンや果物を売っている店も多い。

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しばらく歩くと「ああ、こういう路地を入ると面白いんですよねえ」といいながら、ある路地に入っていく。路地に入ると人通りはなく、少し寂しい気がする。タイルが敷かれており、ヨーロッパの街並みに近いかもしれない。なにかあるわけじゃない、ただ歩いているだけで楽しいのはカトマンズと同じだ。

タクシーを降りた解放北路へ戻る。地下通路を通ってカシュガル老城、カシュガル職人街と地図に書かれているエリアへ行く。こちらは観光客も多い。辺境の地ということか、中国人民の旅行者が多い。見るからに外国人(白人など)はまったく見なかった。

しばらくぶらぶらとしながら、ひとまずホテルへ帰ることにした。

※ この日の移動はタクシーで。カシュガル市内は一律5元(約86円)と聞いていたが、実際にはしっかりとメーターを使い、メーターの額を請求された(ただし7.8元(約129円)だったら7元(約116円)で何もいわれなかったので切り下げか、もしくは5元でよかったか)。ひとりで乗った3回ともそうだったので、空港など遠いところ以外はメーターなのかもしれない。

インド横断とカラコルムハイウェイ~プロローグ

インドからクンジュラブ峠を越えてトルファンまで(陸路で)行く予定です……。

ある方からそんな話を聞き、同行させていただくことになった。インドのニューデリー空港で待ち合わせをし、ガヤーまで飛行機で行った。ガヤーから列車でパキスタン国境のアムリッツアルへ。国境を越えてカラコルムハイウェイを進み、クンジュラブ峠を越えた。目標のトルファンまでは時間が足りず、カシュガルで解散となった。

最初からきつかった……。バンコクからニューデリーへのフライトは3時50分発の予定だった。前日の24時前にホテルにチェックイン。昼前に地方からたまたま来ていた友人に会うためバンコクの中心地に行った。夕方は別の友人と食事。昼前からずっと動き回っていた。ホテルは比較的空港に近いので、LCCといえど深夜1時に出れば間に合うと思い、ホテルに戻ってから横になっていた。パッキングを確認しチェックアウトの手続きを済ませると、メールが入っていた。フライト遅延の連絡だった……。

空港へ行きチェックインカウンターはすでにインドが始まっていた。チェックインカウンタ―に並んでいるのはインド人ばかり。彼らはタイで仕入れをし、それをインドに持って帰ろうとしていた。荷物は重量制限に引っかかり、何度ももっと預け荷物を減らすようにといわれていた。チェックインがすんだとき、並び始めてから1時間が過ぎようとしていた。すでに眠気に負けそうだった。

フライトは6時40分発と説明された。こんな時間のフライトはあまりないのか、空港内は比較的空いていた。あるコーヒーショップに入り、充電しながらネットで時間を潰していた。

機内は満席だった。隣は体の大きいインド人。圧力に圧倒された。眠れない……。ニューデリーに到着し、ガヤー行きの搭乗口へ行くと、同行者が先に来ていた。ガヤーに着き、パキスタン国境のアムリッツアルへ行く列車に乗った。この列車がこれまでで1,2を争う移動だった。チケットは格安だったが、それは乗車する権利はあるものの、席を保証するものではなかった。席の権利を有するものがお情けで座ることを許してくれる、インド人の慈悲にすがるしかなかった。ガヤーで乗り込んだときは乗車率200%くらいだったのではないだろうか?2,3時間経ったころ、ようやく落ち着きはじめ、仕切り屋が現れた。彼がおまえはそこに座れ、おまえはあっちで寝ろなどと指示を出し始めた。外国人の私は横になるスペースが与えられた。寝台一人分の半分のスペースだが……。アムリッツアルまで約30時間かかった。

前日からの疲れとこの移動で完全にノックアウトされた。カシュガルまで同行者に頼りきってしまっていた。

これじゃあなにしに来たのか、わからないよなあ……。カシュガルで同行者と別れ、ベッドに横になりながらそんなことを思っていた。

カシュガルから先のルートは考えていなかった。行きながら決めようと思っていた。制限はバンコクから日本へ帰るチケットの日程だけ。あとは自由にルートを決められる。ここからひとり旅を始めよう、と心に決めて、今回の旅がスタートした。

こんな経緯からガヤーからカシュガルまでの行程は書かずにこの旅行記を書こうと思う。ただ、情報はなにか別の形で記録に残したいと思っています。

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車内の様子。寝台に座る場合は5人、寝る場合は2人がデフォルトです(下段の場合)。

 

心境の変化

タイで感じたことをだらだらと。

今回のタイ滞在中は友人と過ごす時間が多かった。バンコクでは在住者や、旅行中の友人と食事などができた。チェンマイやチェンライでも、それぞれ在住者と会うことができた。ほとんどの方が1年ぶりの再会ということで、話も弾んだ。

まあ、そのときはいいのである。友人と別れてから独りになる時間がどうもつらいのである。最初からひとりだと、それはそれでいいのだけど、宴の後の虚しさというか……。

自分は「旅行はひとり旅」というスタンスにこだわってきた、いや、自分の嗜好と合う人がいなかっただけなんだけど、常にひとり旅だった。去年北タイやネパールトレッキング、そしてインドネシアと常にだれかがいる旅が続き、その楽しさを知った。食事のメニューが豊富、常に話し相手がいる(これは適度な距離が必要なのだけど)、交通費や宿泊費のコストを下げることができる……。

年齢によるものが大きいのだろうけど、徐々に旅のスタンスが変わっていく。同じ旅は二度とできない。もう若いころのような気持ちで旅することはできないのだろうなあ、と思いながら、ホテルに戻りひとりベッドの上で思う日が続いた。

写真は最終日に友人と食事したレストラン。

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バックパッカーは滅びたのか?

忘れないうちにタイに行ったときの話。

チェンライからチェンマイへはバスで移動。このルートを初めて移動したのは1995年。エアコンバスに乗ったのに、途中の山中でエンジンが故障し、あとから来たノンエアコンバスに乗り換えさせられたという思い出のルート。以来、何十回と乗ってきたが、こんなことは最初で最後だ。(出発前にエアコンの故障が発覚して、出発が1時間遅れたことはあった)

最近は事前にネットで買っておくのが主流と友人から聞き、友人にネットで予約してもらい、セブンイレブンで支払いを済ませた。手数料30THBは安いのか、高いのか。

今回乗ったバスはゴールデントライアングル起点のVIPバス。出発時間の30分前にバスターミナルに着いたが、当然バスは来ていない。バスターミナルで待っていると、このバスに乗ると思われる旅行者が少しづつ集まってきた。

自分は学生の時からの習慣なのか、移動の際はスーツケースを使わず大きめのバックパックとディパックの組み合わせだ。しかし、集まってきた旅行者は、決して小奇麗な服装をしているわけでもないのに、バックパックの旅行者はほとんどいない。みなスーツケースというか、キャスター付きのバックだ(サイズはそれぞれだけど)。

このあとチェンマイに着いてから友人とこの件を話した。タイはもはやバックパックスタイルで旅行する国ではないのではないか?という意見で一致。長い旅行をする旅行者は日本人に限らず減っているのだろう。バンコクにはカオサンロードという、少なくてもかつては有名な安宿街があった。もう10年以上足を延ばしていないと思うが、空港が遠くなったこともあり、かつてほどの活気はないと聞く。タイを旅行するバックパッカーはどこにいるのだろうか?やはりバックパッカーは滅びてしまったのだろうか?

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写真はチェンライにある「青い寺」ことワットローングスアテンで撮った1枚。青といえば中央アジアウズベキスタンにあるモスクや地下鉄駅のブルーを見てみたい。いつかバックパックスタイルで旅に行ける日は来るのかなあ。

1年ぶりにタイへ

 

仕事の区切りがついたので、本帰国からちょうど1年、タイへ行ってきた。

実はまだやり残したこともあったので、その区切りをつけることがひとつ。そして買い物が目的だった。

・友人に預けてあった荷物の回収

 実はどうしても捨てることも、持って行くこともできず、空港まで送ってもらった方に持って帰ってもらったバッグが一つあった。これを回収。中身の一部は記憶にないものも。記憶より重たかったのは誤算。

・銀行口座の閉鎖

18年の生活で口座はいくつか作ったけど、これらは毎年維持料かなにかの名目で引き出され、残高が0になり次第自動的に閉鎖されるはずなので、放っておいている。そして事実上使っていた口座はふたつだけになっていた。このうちのひとつはATMカードの有効期限も切れている、支店がサムローン(勤務していた会社の本社近く)という旅行者視点では不便な位置にある、といった理由もあったので口座を閉めることにした。

通帳を出して、口座を閉鎖したいというと書類を渡されてサインして、しばらく待つだけ。記憶より残高があったのはうれしかった(といっても1万B以下だ)。

長期滞在用のビザなしで銀行口座を開設することは難しくなってきている。今後の人生なにが起きるかわからないので、もうひとつの口座はまだ閉鎖せずにいる。

タイ語関係の本

本当は通訳の仕事で使いそうな本を探すつもりだったのだが、ここ2か月ほど専門性のない翻訳をしていたこともあり、結局それらしい本は買っていない。

住んでいたころ「本とCDは見つけたときに買っておけ。また目にするかわからない」といわれたことがあった。日本でも本については、一部のベストセラーを除き、こういう傾向にある気がする。

チェンマイのスリオンブックセンターで北タイらしい本、チェンマイ空港で目に留まった一冊を購入。f:id:pumpuikun:20180822152827j:plain

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タイ語キーボード

シールを貼ればいいのだけど、なんか好きじゃないので、ノートパソコンに外付けのキーボードをつないでいた(ワイヤレスだけど)。しかし、これが壊れてきたのでタイに行ったときに買おうと思っていた。今度いつ行くかわからないし、大きいので友人の帰国時に頼むわけにもいかないので2つほど買っておいた。今回の一番の買い物である(笑)

ジーンズの修理

デブなのですぐに切れてしまう。タイでは路上にミシンを出してこうした修理に応じている人が数多くいる(と書いて思い出したが、最近は減っているし地方では見かけないような)。自分の場合、アパートの近くに顔なじみになった店があったので、今回もそこに出しておいた。