Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

インド横断とカラコルムハイウェイ~プロローグ

インドからクンジュラブ峠を越えてトルファンまで(陸路で)行く予定です……。

ある方からそんな話を聞き、同行させていただくことになった。インドのニューデリー空港で待ち合わせをし、ガヤーまで飛行機で行った。ガヤーから列車でパキスタン国境のアムリッツアルへ。国境を越えてカラコルムハイウェイを進み、クンジュラブ峠を越えた。目標のトルファンまでは時間が足りず、カシュガルで解散となった。

最初からきつかった……。バンコクからニューデリーへのフライトは3時50分発の予定だった。前日の24時前にホテルにチェックイン。昼前に地方からたまたま来ていた友人に会うためバンコクの中心地に行った。夕方は別の友人と食事。昼前からずっと動き回っていた。ホテルは比較的空港に近いので、LCCといえど深夜1時に出れば間に合うと思い、ホテルに戻ってから横になっていた。パッキングを確認しチェックアウトの手続きを済ませると、メールが入っていた。フライト遅延の連絡だった……。

空港へ行きチェックインカウンターはすでにインドが始まっていた。チェックインカウンタ―に並んでいるのはインド人ばかり。彼らはタイで仕入れをし、それをインドに持って帰ろうとしていた。荷物は重量制限に引っかかり、何度ももっと預け荷物を減らすようにといわれていた。チェックインがすんだとき、並び始めてから1時間が過ぎようとしていた。すでに眠気に負けそうだった。

フライトは6時40分発と説明された。こんな時間のフライトはあまりないのか、空港内は比較的空いていた。あるコーヒーショップに入り、充電しながらネットで時間を潰していた。

機内は満席だった。隣は体の大きいインド人。圧力に圧倒された。眠れない……。ニューデリーに到着し、ガヤー行きの搭乗口へ行くと、同行者が先に来ていた。ガヤーに着き、パキスタン国境のアムリッツアルへ行く列車に乗った。この列車がこれまでで1,2を争う移動だった。チケットは格安だったが、それは乗車する権利はあるものの、席を保証するものではなかった。席の権利を有するものがお情けで座ることを許してくれる、インド人の慈悲にすがるしかなかった。ガヤーで乗り込んだときは乗車率200%くらいだったのではないだろうか?2,3時間経ったころ、ようやく落ち着きはじめ、仕切り屋が現れた。彼がおまえはそこに座れ、おまえはあっちで寝ろなどと指示を出し始めた。外国人の私は横になるスペースが与えられた。寝台一人分の半分のスペースだが……。アムリッツアルまで約30時間かかった。

前日からの疲れとこの移動で完全にノックアウトされた。カシュガルまで同行者に頼りきってしまっていた。

これじゃあなにしに来たのか、わからないよなあ……。カシュガルで同行者と別れ、ベッドに横になりながらそんなことを思っていた。

カシュガルから先のルートは考えていなかった。行きながら決めようと思っていた。制限はバンコクから日本へ帰るチケットの日程だけ。あとは自由にルートを決められる。ここからひとり旅を始めよう、と心に決めて、今回の旅がスタートした。

こんな経緯からガヤーからカシュガルまでの行程は書かずにこの旅行記を書こうと思う。ただ、情報はなにか別の形で記録に残したいと思っています。

f:id:pumpuikun:20180928195015j:plain

f:id:pumpuikun:20180928195043j:plain

車内の様子。寝台に座る場合は5人、寝る場合は2人がデフォルトです(下段の場合)。