Pumpui's Diary

タイに約18年住んだ男のつぶやき

海外進出に慣れていない企業のなれの果て

海外に慣れていない人間がタイに赴任して舞い上がってしまう例はよく聞く。その結果、海外法人が思うように立ち上がらない例もあるようだ。

J社は首都圏に本社があり、全国各地に工場や営業所を持つ製造メーカーだ。だが海外に拠点はなく、タイが初めての海外進出だった。社長の佐藤、そして深川という参謀のような男の二人を中心に会社を立ち上げようとしていた。佐藤は50代半ば、深川は40代前半の男性だ。会社の立ち上げに際し、経験のある人間として雇われたのが諸井であった。諸井は50代前半、タイで大手製造メーカーの立ち上げ数社に携わっており、いわばプロフェッショナルともいえる男だった。

諸井は管理部門のGMというポジションを与えられた。諸井が入社したときは、工場の建屋がようやく完成し、機会の搬入が始まろうとしているところだった。J社は初の海外進出ということで、立ち上げ要員ともいうべき日本人を本社から大量に送り込んでいた。タイに不慣れな彼らに対するサポートも諸井の仕事のひとつだった。諸井は支援者の送迎を命じられた。

「いや、俺たちタイ語わからないし、運転手に指示できないからさあ、諸井さん悪いねえ」

諸井の家は郊外にある工場の近くだったが、バンコクまで行き彼らを迎えに行ってから工場へ向かう生活。さらに帰りもバンコクまで送ってから部屋に戻る生活だった。渋滞を考慮するとそれぞれ2時間から2時間半はかかる。さすがにこれはきついので、1か月もすると専属の運転手を雇うようにしてもらった。

管理部門の仕事のひとつに経理業務があった。しかし予算の作成などといった仕事ではなく、あくまでも出入金管理の権限しか与えられなかった。深川が持ってきた領収書に応じて、現金を支払う。銀行からの出金の際にサインをするのが仕事だった。

深川はほとんど毎日、領収書を持ってきた。顧客との会合と称した食事代、カラオケ代がほとんどだ。あまりにも多いので諸井は一度「ちょっと多すぎるんじゃないですか?」と苦言を呈したことがある。しかし深川は「諸井さんは、サインしてお金を払っていればいいんですよ。諸井さん、うちの会社のこと知らないからわからないと思うけど、これくらいの経費はどうってことないんですよ」というだけだった。諸井から見ると、営業活動といいつつ、それが成約につながった様子は数か月経ってもひとつもない。深川は応援で来ている人間ともよく飲みに行っているようだ。

会社の立ち上げは決してうまく進んでいなかった。過去に大手メーカーの立ち上げにかかわった諸井からすると、お子様のような進め方だった。輸入手続きができていない、人を集める方法を知らない……。諸井がなにか意見を言っても「諸井さん、うちの業界のこと知らないでしょう。こんなもんなんですよ」と深川は相手にしない。その割には、時間になるとすぐに帰り、毎晩飲み歩いているようにしか見えなかった。諸井はなにもいわなくなった。

諸井の不満はそれだけではなかった。ビザの件である。タイでは労働する際にビジネスビザとそれに付随した労働許可書が必要だ。諸井がJ社をバックアップしているコンサル会社に問い合わせると「今の状態ですと、佐藤さんと深川さんの二人分しかビジネスビザを申請できず、諸井さんは申請できないんですよ。もう少し会社の体裁を整えて(売り上げをあげて)からでないと…」とのことだった。幸い、諸井はタイ人と結婚していたので、そちらの条件で滞在許可を得ていた。結局、諸井は給料こそ受け取ることができたが、ビジネスビザを取れずに働き続けることになった。(支援者はノービザで滞在できる30日以内に日本へ戻ることを繰り返していた)

諸井が入社して10か月が過ぎようとしていた。佐藤や深川がタイに来てから1年以上経っていた。だが、工場は量産も始められない状態だった。受注がない、ワーカーが集まらない、悪循環だった。

そんなある日、佐藤、深川、諸井の三人で会議が行われていた。日本から立ち上げ資金として与えられていた予算が、そろそろ尽きようとしていたのだった。

「諸井さん、あなたも知っているとおり、そろそろ予算が尽きそうだ。あなたは経理責任者なんだから、日本の本社に頭を下げて予算をもらってきてくれ」

深川のこのひと言に諸井はキレた。

「なにいっていやがる!営業といいつつ遊びまわっていたのはあんたたちだろうが!顧客と飲んでばかりで、いったいどれだけの成約取ってきたんだ!そこまでいうなら、おまえらが飲み歩いていたことをそのまま本社にバラすぞ、それでもよかったら日本へ行ってやってもいいぞ!」

諸井はそう言って会議室を出て行った。10か月の間おとなしくしていた諸井が初めて見せた怒りの感情だった。

翌日、諸井が出社すると佐藤に呼ばれた。

「諸井さん、深川とああいうことになってしまったら、あなたも働きづらいでしょう。深川は日本本社の人間だから、簡単に帰任させるわけにはいかない。どうだろう、契約にはなかったけど諸井さんとは1年契約だった、そして契約満了ということにしたいのだがどうだろう?その場合は契約にはなかった退職金も12か月分用意する。まだ1年経っていないけれど、その分は出社しなくてももちろん支払う。もちろん日本へ行く必要もない」

佐藤はこのような提案をしてきた。諸井はこれを飲んで退職した。

諸井が退職して数か月後。私の所属する会社に深川がやってきた。取引先からどうも苦戦しているようだから、話だけでも聞いてやってくれないか、と懇願されたので会うことになったのだ。実は私の業界と深川の業界は、あえていえば自動車部品メーカーとサラ金というくらいかけ離れていた。

それでも深川は自社の売込みに必死だった。営業先が違うだろうと思いつつ1時間ほど話を聞くと、深川は帰っていった。

J社は今でもタイで営業活動を行っている。

(この話は事実をもとに書いていますが、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません)